177 さくらん ボ
目が覚めたのは深夜三時だった。
最悪な夢をループして気分が悪い。吐きそうだ。
また汗をビッショリかいている。羽毛布団は汗で蒸れ、自分の匂いが染み込んでいた。お天道様で干さないと、このジメジメはもう取れない。
両目を腕で隠した。抑えても抑えてもヴィーナさんが黒幕なのではないかという疑念が増していく。否定すればするほど、頭にこびりついて離れない。
結婚生活をしていた時、俺には話せない事があると言っていた。
今更だけど、言えない事ってなんだ?
あの状況でも言えない事。
人でも……殺したのか?
もしそうだとして、あの時そういった事を告白されたら、俺はヴィーナさんを愛せただろうか? 好きな人が罪を犯していたら、どうするのが正解なんだ? 萌香の配信でも言及されていたが、何故姿を現さないんだ? 今何をしているんだ?
ヴィーナさんがリークの犯人じゃない。
犯人じゃない。
じゃない。
じゃぁ、他に候補は?
重役しか入れない場所に師匠がいたのは不自然だから、師匠が犯人か?
でも彼は自主的にそんな事をするタイプではない……はず。
だから、別の人間からの指示があったのではないだろうか。
別の人間……それは誰だ?
「……」
体が寒くなってきた。
体だけじゃない、心もだ。
師匠に指示を出せる人物、それはフリージオだ。
師匠とフリージオは主従関係にあった。
そう感じさせる瞬間があった。
バンコクにいた際、彼らは珍しく揉めていた。
肉体的な強さでは師匠の方が上回っていたと思う。しかし、師匠はフリージオに逆らえなかった。師匠はフリージオに対抗しようと苦肉の策で自殺を図った。何故だ? 何故、自らの力を以って対抗しなかった。弱みでも握られているのか?
そもそも、駆け落ち動画のリークで、誰が一番得をしている?
フリージオは仲間を集めていた。現時点で俺はフリージオの仲間みたいな感じになっている。あの動画が出回った事で得をしたのは、フリージオではないのか?
俺が病院で静養中のエーデルに会いに行ってからすぐにフリージオは現れた。タイミングが良すぎる。そして、フリージオはどうゆう訳か様々な事を知っている。俺がコールドフリーズされるという情報を知っていたとしてもおかしくはない。
動画のリーク者、もしくは指示を出した主犯はフリージオではないのか?
俺はゆっくりとベットから出た。
「確かめよう……」
寒くて怖かったが、確かめたいという感情の方が強かった。
足元が、ギィ……ギィ……と、軋む音を放った。壁伝いに歩く。手に触れる木の冷たい質感が全身の肌を氷点下まで落としていく。
フリージオの部屋は、恐らくここ。俺の部屋の前を通る廊下ではない、もう一つの廊下に沿った場所の部屋。俺の部屋の窓からは西側の景色が見え、フリージオの部屋は東側の光景が広がっている。ある意味、真逆に配置されている部屋だ。
ノックをしたが、出る来る気配は無かった。
「フリージオ、いるか? 話たい事がある」
もう一度ノックをした。
もしかしてこの部屋じゃない? 従業員スペースと鍵がかかっている部屋以外は、どの部屋も自由に使っていいとトージさんは言っていた。別の部屋を使っているのかもしれない。念のため、ドアノブを捻ってみる。鍵がかかっていた。
この鍵は内側から施錠されているもので、元々鍵のかかった侵入禁止の部屋ではないはず。だから、フリージオはこの部屋にいる。では、何故出ない? 深夜だから寝ているだけか?
「深夜にすまない。でも、今どうしても確かめたい事があるんだ」
返事がない。
流石に迷惑か?
……ていうか、死んでいたり……してないよな?
フリージオが黒幕だったら、少なからず怒りが湧くかもしれない。
それと同時に、本当の黒幕に殺害されていないか心配してる俺もいる。
フリージオが黒幕ではなかったら、今まで助けてもらった人間を疑った事になる。それって最低じゃないか?
「……はぁ」
俺はその場に座り込んだ。
ドアに寄りかかる音が、深夜だからか響いて聞こえた。
仮に、本当の本当にフリージオが黒幕なら、俺は既に詰んでいる。
このモーテルに放置されたら、生きていける自信がない。
体が恐怖で支配され、体育座りなった。
この座り方、小学生の頃を思い出す。
学校のトイレに一人で行くのが怖かった。
校内のよくわからない場所にドアが配置されているのが怖かった。
掃除している時、エリアの用具入れの裏に扉を発見した。中を覗くと謎のスペースがあった。戦争時に防空壕にでも使われていたのだろうか。こんな場所、今思えば爆撃なんて防げないのに、そんな事を考えた。その扉を発見して以降、そのエリアが怖くて避けて通った。小学生の時は何もかもが怖い時期があった。死ぬのが怖かった。死んだら何処に行くのだろうか。答えが出る訳もなく恐ろしくて仕方がなかった。
忘れていた。
俺は、本当は、ビビりだ。
暖かく接してくれる仲間に囲まれ、燦然と広がる娯楽社会にどっぷりと浸かり、それが当たり前になった。誰かに、何かに、支えられて強くなった気でいた。
でもまだ、まだまだ、俺は……弱い。
悩むのに疲れた。
誰かを疑う事に疲れた。
黒幕なんて、本当はいないんじゃないのか?
リーク映像だって、何か手違いがあって漏れただけかもしれない。
もう……なんかいいや。
気付いたら自室に戻って羽毛布団に包まっていた。
脳の強い疲労が睡魔を呼び起こして、二度目の眠りについた。
次に目が覚めたのは昼頃。
日差しは相変わらず暖かい。
またぼんやりと夢の事を考えていた。
DFⅧには、ヒロインラスボス説以外にも面白い説がある。
全4枚のディスクで折り重なる長編ストーリーの中で、ディスク1のラストシーン、主人公は魔女の放つ氷の刃で体を貫かれている。ディスク2に移ると、主人公は刑務所の牢屋の中で目を覚ます。不思議な事に、魔女の氷の刃で貫かれた体が癒えている。これが不可解で、ディスク2以降のシナリオが主人公の死後の世界なのではないか……という説があるのだ。
ディスク1まではある程度リアルな戦場シーンが描かれていた。しかし、ディスク2以降は奇怪な生物が出たり、軍の施設が空を飛んだり、上司が人間じゃなかったりする。そして、最終的に時空を超える。
ただ、ヒロインラスボス説に比べると、伏線が弱く、元々ファンタジー作品ではある為、ネタの範疇を越えるほどではなかった。
ゲームの話はともかく、今の俺はどうだろう。
九分九厘が女性の時代で、男性がほとんどいない社会。
俺はタイムマシンで時を超えたらしいが、その瞬間の記憶がない。
そもそもメンズ・オークションって何だよ。
男を競売にかけるとか、ありえるのか?
俺、もしかして既に死んでいるのでは?
夕食。
とぼとぼと歩いて、ぐったりとしながら席に着いた。
向かいにエーデルが座った。生きている事、いや、存在して来てくれた事に安堵している自分がいた。
エーデルが傍にいるだけで、頼れる父親がいるみたいな気持ちになった。
弱音を吐きたい。
めちゃくちゃ甘えたい。
でも、そんな恥ずかしい所見られたくない。
堪えるんだ、俺。
でも、でも、今更だけど、俺の末っ子属性が炸裂しそうになっている。
少しぐらい吐露したっていいじゃないか。
少しぐらい。
少し……だけ。
「なぁ、エーデル」
「ん? どうした、ゆきひと」
「俺達って、もう死んでるんじゃないのか?」
十秒の沈黙。
「うー……む」
「だって、おかしい。男性がほぼいなくて女性だらけの社会。男が競売にかけられている。俺達はタイムマシンでこの未来に来たはずなのに、タイムマシンがあたかも存在しないみたいに皆言う。よくわかんないけど、アンドロイド同士で喧嘩している。男子トイレが無い……! ペーパーも無い……! ヴィーナさんがいない……! フリージオが部屋から出て来ない……! ここの従業員も意味わかんない……!」
「お、落ち着くんだゆきひと。韻を踏んでいるから、ラッパーみたいになっているぞ……!」
「エーデルみたいなイケオジが、俺に優しくしてくれるのもありえない……」
「イケ……オジ……」
「オラ、このモーテルはいやだぁあああああ」
テーブルに顔を押さえつけて、泣いた。
涙は流れていないが泣いた。泣いたというより泣き言を放った感じだった。
「こういう考えはどうだろう」
「……考え?」
「仮に、僕が死んでいたら地獄に行って、ゆきひとは天国に行くと思う。僕達が死んでいたら行く所が違って出会えていないし、このテーブル席に相向かいに座る事はない。だから、僕達は死んでいないと思う」
現実的な話ではないが、筋が通った説で少し笑ってしまった。
「……どうかな、親不孝者ではあったし、天国に行けなかったんじゃないかな。でも何か元気が出た。ありがとう」
「どういたしまして」
トージさんが料理を持ってきた。
「本日は、カレーライスにございます」
スパイシーな香りが部屋に充満した。食欲をそそる。お腹がギューっと鳴り腹部を摩った。ここに来てからお腹が空いていても食欲が湧かなかっが、これはがっつきたい感じだ。カレーといえば男子が全員大好きなイメージがある。勿論、俺も大好き。しかも久しぶりの米。これは嬉しい。
「いただきます」
手を合わせてから、ガツガツ食う。
我を忘れたように食う。
数分で平らげてしまった。
「はぁー美味しかった」
「元気が出たか?」
「そう……だな」
「ならよかった」
午前中の最悪な感情が吹き飛び、数日ぶりに少し気持ちが晴れた気がした。食後にシャワーを浴び、歯を磨いている間、グッと眠気が押し寄せてきて、ガクッと体が傾いた。何故だろう、今までずっとベットに横になっても眠れなかったのに。
自室の羽毛布団まで急いで向かい、倒れ込むようにして意識が落ちた。
目を開くと海の中にいた。青い青い海の中。様々な種類の海洋生物が泳いでおり、自分の口から水泡がぶくぶくと放たれているのが見えた。
沈んでいる。どんどんと沈んでいく。
息が苦しい。手足をバタバタさせる。
下半身は重くてあまり動かない。
深海の濃い青が、死を予感させる色に感じた。
両手を大きく動かすと、何か障害物のようなものに当たった。
それを、ガシッっと掴んだ。
ガバっと目を見開く。
夢から覚めたという感覚があるのに苦しい。
何かを掴んでいる。掴んだものは硬い。硬い腕、これはアンドロイドの腕か?
「うぐっ……!」
首を絞められている? 誰か、馬乗りなって俺の首を絞めている。
「おはよう」とドスの効いた声が聞こえた。
視線の先に男の顔があった。
その顔は、悪魔や般若のような顔をしていた。