176 ヒロインラスボス説
目が覚めると、大きな窓から暖かい日が差していた。
体は汗をビッショリかいていて気持ち悪い。起きて早々、シャワーを浴びた。その間に考えていたのは夢の事。ぼんやりとだが記憶に残っている。あの夢は何だったんだろう。何か、当時プレイしたゲームの内容に似ていた気がする。うーん、思い出せない。もはやわからない事だらけで、体の気持ち悪さはシャワーで拭えたが、頭の気持ち悪さはこびりついたままだった。
シャワー室を出た時に、トージさんとすれ違った。俺はトイレのペーパーが切れている事を思い出し、慌ててトージさんに声をかけた。
「あの、すみません。男子トイレのペーパーが切れているので、補充お願いできませんか?」
「これはこれは、大変申し訳ありません。わたくしめがこのモーテルで働き始めてから、男性客が来たのは初めてだったもので」
含みのある言い方のような気がした。
「確かにこの時代で男性客が来る事はないですもんね」
「いえいえ、これはわたくしの完全な不手際です、申し訳ありませんでした」
気になる事は聞ける内に聞いておいた方がよさそうだ。
これ以上謎が増えると頭がパンクしてしまう。
「……ちょっと簡単な質問いいですか?」
「どうぞ。お答え出来る事でしたら、お答えします」
「トージさんは、何時からこのモーテルで働き始めたんですか?」
「約、三十年ぐらい前から経営しておりまして、確か二七九六年からここで働いております」
……三十年前?
このモーテルを経営しようと思ったきっかけが三十年前にでもあったのだろうか。とてもじゃないが、利益が出ているとは思えない。何かしら別に収入源がないと生活はできないと思う。聞いてみるか。
「このモーテル以外に事業とかされてるんですか? そういえば、アスカさん……
部屋にずっと籠っているみたいですし、そっちで何か別の仕事を?」
「事業というか、現在、別に収入源があるのは確かです。当時は貯金を切り崩していたので大変でしたね」
「あの……つかぬ事をお聞きしますが、アスカさんは……男ですか?」
「ハッハッハッ、面白い事を仰いますね。主人はれっきとした女性ですよ」
ある程度話をしてみると、やはり人間らしいアンドロイドのように感じる。でも、そこはAIだから嘘はつけないみたいだ。
そうだ、アスカさんの年齢もここで聞けばいいか。
「彼女、歳は幾つですか?」
「……主人があの場で答えなかったので、わたくしの口からはお答えできかねます」
嘘がつけず答えたくない場合は、秘密にするのか。
年齢だけ変に隠されると気になるな。
「アスカさんに直接お会いする事はできないんですよね」
「主人はとてもご多忙な方ですので、次お会い出来るのは、お客様がお帰りになられる時ですね。……そろそろ、よろしいでしょうか」
「はい、お時間取らしてしまってすみません。ありがとうございました」
トージさんは、笑顔で会釈をし、その場を離れる。
俺は自室に戻って夢の内容を改めて思いだそうとした。
一時間ほど自室の羽毛布団に包まって考えた結果、答えが出た。
あの夢は「ドラゴンファンタジーⅧ」のストーリーの内容に酷似していた。
「ドラゴンファンタジー」は、俺が小学生だった当時、「ファイナルクエスト」と合わせて二大RPGと呼ばれていた。「ドラゴンファンタジーⅧ」は「ドラゴンファンタジー」の八番目のタイトルとなっている。以下「DFⅧ」と呼ぶ。「DFⅧ」はゲーム機「プレイ・ステイ・ジョン」で発売されたタイトルで、ディスク四枚組という大河並に長いストーリーだった。
実はこのゲーム、面白い「説」がある。
作中に出て来るレジスタンスのヒロインと、物語終盤、時空を超えて戦う魔女のラスボスが、同一人物だというのだ。
このゲームのシナリオライターはその説を否定しているが、ヒロインラスボス説を前提にDFⅧを進めていくと、所々の設定が伏線に感じられ、面白いほどシナリオに合致する。
クリエイターには、作品を創らされている感覚が体を支配するといった現象が時折あるという。そういった感覚が、特殊な説を生んだりしているのではないかと考えていた時期がある。
この、作品を創らされる感覚がどういう現象なのか、ぼんやりと考えていたのは大学生の頃。本来、物事を創造する場合、脳が想像力を働かせ、文字なり、物なり、音にして、この世の顕現させている。でも、それは想像ではなく、異世界の知識や情報を得ているだけだとしたらどうだろう。DFⅧにそれを当てはめてみる。
この宇宙空間には、DFⅧの世界、もしくは異世界が、現実の何処かに存在しており、ヒロインラスボス説の方が実際の所、正しいとする。シナリオライターはそのDFⅧの世界を断片的にしか捉えられず、ヒロインとラスボスは別々の存在として認知した為、別人として描く。しかし、実際にはヒロインとラスボスは同一の存在なので、数々の情報や物事が一致する。だから、シナリオを書いた本人がヒロインラスボス説を否定しても、ヒロインラスボス説の方が、様々な観点で情報が合い、納得感があるのではないだろうか。
改めて考えてみると意味不明で、俺、こういう事は普段考えない性質なのだが……ヒロインラスボス説を俺に当てはめてみると、ヒロインはヴィーナさんになりそうだから、ラスボスはヴィーナさんになる。
これ、主人公からしたら、たまったもんじゃないな……。
自分の愛する人間が最後の敵とか嫌すぎる。
夕食の時間、昨日と同じテーブル席で食事を待った。
エーデルはこの部屋に置いてあった古い新聞を読んでいた。少し埃っぽく、相当古いものだと感じさせた。
トージさんが食事の皿を持ってくると、エーデルは新聞を畳み、近くの棚に置いた。出された皿は二人分で、フリージオの分が無かった。
「今日はコーンスープとサラダの盛り合わせですね。パンもお持ちしますので、少々お待ち下さい」
「あの、フリージオの分は?」
「フリージオ様は、今後自室で食べられるそうです」
「そうですか……」
人知れず殺されていたりとかはしてないよな。
一人ずつ消えていくパターンは嫌だぞ、俺。
コーンスープにスプーンをつける。
それにしても汁物が多いな。コーンスープが嫌いな訳ではないけど、汁物であれば、味噌汁か豚汁が食べたい所だ。オーダーしたのはフリージオだから、トージさんに要望しても意味ないんだよな。
スプーンを持つ手が震える。目の前の食事が苦手じゃない、そういう訳じゃない。ただ、食欲が……。魔女に殺される夢を思い出すと、気分が悪くなる。
吐き気がしたので、口を手で押さえた。
トージさんが再びやってきて、パンを置いて去る。
俺の事を一瞥したが、声はかけてこなかった。
一方でエーデルの視線は感じていた。
「ゆきひと、大丈夫か?」
「あぁ……少し、気分が悪い。実は死ぬ夢を見て……」
「死ぬ夢!?」
エーデルが大きい声で驚いたため、俺もビクッっとなって驚いてしまった。
「そ、そうだけど、何でエーデルがそんなに驚くんだ?」
「あ、いや……」
「もしかして、エーデルも死ぬ夢を見たのか?」
「そ、そうだな、そんな所だ」
今の反応は気になるが、話しを突き詰める元気が無かった。
この宿に来てからまだ二日目だというのに、なんて情けないんだ俺。
「ゆきひと、ちょっといいか?」
「ん、何だ?」
「僕なりに、アンドロイドの暴走事件を考えてみた」
「うん」
「今まで、アンドロイドの暴走事件は四件起きていて、場所の関連性はわからないが、少しずつ規模が大きくなっているように感じた。京都での一件は、過去三件の事件に比べて異質で、今思えばとても危険な出来事だったのかもしれない」
「京都の一件と過去の三件とどう違うんだ? アンドロイドがアンドロイドを襲ったという事件には変わりなくないか?」
「思い出してみろ、一部のアンドロイドはゆきひとに向かっていった。この時代のアンドロイドは人間を襲えないようにプログラムされているらしい。つまり、そのセーフティが外されて、アンドロイドが普通の人間を襲えるように進化してしまったと言える」
「AIが人間に復讐とか、人間が危険な存在だから排除するって話は、SFでよくある話だし、それはちょっとベタすぎるかな」
「これはあくまで仮説だが、今まで襲われてたのが、アンドロイドではなくサイボーグだとしたら?」
「……アンドロイドとサイボーグの違いって何だ?」
「アンドロイドはロボット、サイボーグは人体を機械化した人間だ。体の九十九パーセント機械化してもベースが人体なら、アンドロイドではなくサイボーグだと言える。その場合、一貫してアンドロイドが人間を襲っていた事になる」
「いや、でも警察だって残骸というか死体を調べるだろ」
「警察がグルじゃないとは言えない。南米では薬の売人と警察が手を組んでいたりもする。それを抜きにしても、襲われた方は、原型がわからなくなるほどに破壊されているから、アンドロイドとサイボーグの違いもわからないまま、処理された可能性はある」
「男がほぼいない世の中で、隠れて生きている男がいるかもしれないという事か。それにしてもエーデルは博識だな。アンドロイドとサイボーグの違いとか、俺、知らなかったよ」
「病院にいた頃、ずっと小説ばかり読んでいたから」
「じゃぁ、引きこもっていた時間も無駄ではなかったんだな」
「そう……だといいな」
話が一段落して、俺達はコーンスープ、サラダ、パンを平らげた。
俺が手を合わせて「ごちそうさまでした」と言うと、エーデルもそれに続いて「ごちそうさまでした」と言って、手を合わせた。
少し気持ちが落ち着いた所で、俺は席を立った。
「ゆきひと、昨日の男子トイレの件も少し考えてみた」
「あぁ、トージさんに聞いてみたけど、アスカさんは女性なんだって」
「そうか」
「それなんだけど、モーテル以外に収入源があるとしたら何だと思う? アスカさん超多忙らしいんだけど、何か別の仕事をしているんだろうか」
「株とかじゃないのか?」
株……。
確かにそれなら、部屋から中々出れないか。
やり方は人によると思うけど。
「あ、スマン。男子トイレの件、聞かせてくれ」
「もしかして、逆の可能性はないか?」
「逆?」
「トージが人間で、アスカがアンドロイドの可能性。それであれば、男子トイレの説明がつく。……確かめてみるか?」
行動に移そうとしたエーデルの手首を掴んで静止した。
「いや、待て。今確認するのはやめよう。俺たちの胃袋を掴んでいるのはトージさんだぞ? 仮に相手が何かを隠しているなら、バレまいとして食事に毒を混ぜるかもしれないじゃないか」
「モ、モバイルオーダーもあるし、不安ならそっちを頼めばいい。だから、そこまで気にする必要は無いんじゃないか?」
「確認した事が原因で、どっちがアンドロイドかはわからないけど、暴走するかもしれないじゃないか」
「今までの事件のパターンを考えると、アンドロイドの暴走は、襲う側と襲われる側、二体以上のアンドロイド、もしくはAIがいた時に発生している。この条件が正しいかはわからないが、今の所、そこまで心配する必要は無いんじゃないかと」
「どっちもアンドロイドだったら、どうする……! もう既に条件は揃っているじゃないか!」
俺の大声にエーデルは驚いていた。
「確かに、トージもアスカも何方もアンドロイドだという可能性があるのか」
「な、なぁ。明日も俺と一緒に食事を取ってくれないか?」
フリージオに続いてエーデルも消えてしまったら、俺は恐怖でどうにかなってしまうかもしれない。
「ゆきひとが望むなら、それでいい。食事をしながら話すのは嫌いじゃないしな」
「エーデル……何か、顔赤くないか? 風邪でも引いたか?」
「そ、そうかもしれない。……ン、ゴフォォン! 僕も少し体調が優れないから、休ませてもらうよ」
「あぁ……お大事にな。……あっ!」
「どうした?」
「トイレ大丈夫か? 体調悪いなら、俺、付き添ってやろうか」
「そうだな、一緒に行こうか」
俺達はトイレを済ませ、それぞれの寝床に就いた。
羽毛布団に包まっている間、俺はずっと念じていた。
ヴィーナさんは黒幕じゃない。
ヴィーナさんは黒幕じゃない。
ヴィーナさんは黒幕じゃない。
そのまま思考に疲れて眠りについた。
また、あの夢の世界に俺はいた。
俺は何度も魔女の氷の刃に胸を貫かれて死んだ。
次第に魔女の顔がヴィーナさんに見えてきた。
ヴィーナさん……俺が、そんなに憎いのか。
夢の中で精神と心臓がズタボロになりながら、俺は深い所まで堕ちていった。