175 魔女のパレード
眠れない。
少し仮眠してしまったせいだ。
仕方ない、筋トレでもするか。
殺風景な部屋で腹筋、腕立て、スクワットを数百回した後、壁に向かって倒立をし、肘を何度か曲げて自重トレをした。この程度で疲れた訳ではないが大の字で寝そべった。……物足りない。
体内のナノマシンを活用し、日常的に太らないよう、筋肉がつくよう、自己暗示やイメージトレーニングを積んでる為、数か月間筋トレをしなくても体形が崩れる事はない。先ほどやった筋トレが無意味だとは思わないが、達成感のようなものが欠落しているとは感じた。
多分、筋トレは食事と同じだ。現時点での科学力があれば、栄養を摂取するのにプロテインや健康食品で事足りる。しかし、人間は幸福感を得るために、暖かい手料理や調理した一品が必要なのだ。栄養剤だけでは食べるという行為に満足感を得られず、結果的に不健康になってしまう。
筋トレも文明の力を借りれば、自動で腹筋を鍛える器具を使えるし、極端な話、手術で痩せる事も出来る。人工的に割れた腹筋も手に入る。だからといって筋トレが不要になる訳ではない。体を鍛える事は、人体に適度な刺激を促し、幸福感を得る為に必要なものだと感じる。
そして筋トレと食事は何方も重要。それをまとめると……。
「あぁージムに行きてぇ、牛丼食いてぇ!」
モバイルオーダーしちまおうかな、フリージオの金で。
いやいやいや、自分を律しなければダメだ。
俺は精神が弱すぎる。肉体だけではない、精神も鍛えなければならない。
それを加味しても、この時間に食うのはありえないな。
深夜一時半に再び羽毛布団の中で横になる。
ニュージーランドにいるし、せっかくだから羊でも数えるか。
ひつじが一匹。
ひつじが二匹。
ひつじが三匹。
しつじが四匹。
しつじが五匹。
「ああぁぁああああぁ、こんなんで眠れるかぁ!」
ガバッと起き上がる。
誰だよ羊を数えると眠れるとか言った奴。どういう原理だよっ!
んっ? しつじ? ひつじー。羊、執事?
そういえばストックさんの執事長も、人間らしいアンドロイドだったな。……となると、彼も襲われる危険性があるのか……。
名前は、確かバロン。
バロンとは何度か会った事がある。第一回メンズ・オークションの時と、ヴィーナさんとの結婚を許してもらう為に開かれた家族会議での一時。あの後、ヴィーナさんとは結婚出来たんだけど……これより先は考えるのをやめとこう。抱いた時の事を思いだすと、夢精しちまうかもしれない。
「スマホでも見るか」
ここでこういったものを見ると、余計に眠れなくなる訳だが、もういいや。
青い鳥のマークのSNSを見ていた。使っているアカウントはフリージオが用意した見る専問のアカウントで、ひたすらにタイムラインをスクロールした。話題の画像を発見出来るので、時折、青い鳥のSNSを活用していた。
「……俺がオーストラリアでサーフィンしていた時の写真がアップされてる」
見知らぬ人に撮られていたようだ。
俺が夕焼けをバックにして波に乗っている瞬間の写真だった。
コメントには「……(´;ω;`)」と添えられているが、(´;ω;`)はどういう意味だ……? 俺のサーフィンが下手という意味か? ……わからない。
クッソ……! トイレットティーチャーの謎も解明されていないのに、新たな謎が生まれてしまった。
謎に謎が上乗せされて頭が回らないまま、指はクルクルとスマホの画面上を八の字に周回した。
「ん……? これ萌香のアカウントか?」
おススメユーザーに和宮萌香が出てきた。
タップしてトップツイートを確認してみると、一万リツイートされた動画付きツイートが固定されていた。いわゆるバズり動画だった。
「私が予想する、駆け落ち騒動映像のリーク者……?」
胸の鼓動が高鳴っている。
あくまで予想だ。これが犯人という訳ではない。
的中しているかどうかはわからないが、見ないという選択肢はなかった。
和宮萌香とセンテンスプティングの記者Pとの対談。記者Pは、パステルだよな、きっと。最初はアンドロイド暴走事件の話題だったが、次第に駆け落ち騒動の話題へと逸れていった。そして萌香の発言。
その発言を聞いて驚きを隠せない自分がいた。
「リークの犯人は、自作自演をしたヴィーナ……さん?」
いやいや、そんなはずはない。あの時の記憶は曖昧だけど、ヴィーナさんは自作自演するほどの余裕はなかったと思う。ソフィアも取り乱していたし、そんな感じではなかった。……ていうか、コールドスリープ装置のあった地下施設って、重役しか入れない場所だったのか。配信のコメント欄に書き込みがあって気付く事が出来た。
「……?」
確かあの時、クレイ……俺の師匠もあの場にいた。
クレイは去年ずっと俺のボディガードをしてくれていて、バンコクやニューヨークでは俺の稽古をつけてくれた。それ以来、俺はクレイの事をボディガードではなく、戦術の師匠として見るようになった。クレイはタイ出身のトランスジェンダーで、体の性は女性だが、心は男。実妹に可愛らしい少女、セラがいる。
あの時、師匠は何であの場にいたんだ?
ヴィーナさんのボディガードか? 重役しか入れない場所にボディガードを入れるのか? 入れる必要があるなら、誰かから身を守る必要がある訳だが……引っかかるのはそこじゃない。ヴィーナさんは、俺がコールドフリーズされるのを知らない様子だった。じゃぁ、誰から聞いたんだ? 師匠から聞いたから一緒に来たんじゃないのか? でもそれはおかしい。ヴィーナさんは当時、ストック・ウィッシュ・ホールディングスの日本支社社長だった。社長の知らない情報を、一介のボディガードが知っているというのはおかしい。師匠がコールドフリーズの情報を知っていたなら、何処でその情報を得たんだ?
「……はぁ、……はぁ」
体中から冷や汗が出て来る。
これ以上、考えてはいけない気がする。
寝よう。寝るんだ俺。
羽毛布団に包まって、脳内を空にしようとした。
次第に関係ない情報でイメージが埋め尽くされる。
羊の大群がハードルを越えていくイメージが湧く。そして暗黒の空からもくもくと広がる黒雲を突き破って、巨大な黒い牛が顔を出し、俺を見下ろしていた。その禍々しい表情は、半人半牛の怪物ミノタウロスの頭のように感じ、赤く光る右目から目を離せない俺がいた。
夢を見た。
魔女が大都市でパレードを開くという。
それは街を上げての大イベントで、魔女は自分が国家の最高権力者だという事をアピールする為に開催される運びとなった。
騎士である俺はレジスタンスと手を組み魔女の暗殺を企てていた。魔女は傍若無人な振る舞いで、気に入らない相手は自らの力をもって簡単に退け葬ってしまうなど、恐ろしく身勝手な性格だった。
暗殺計画は、レンガのアーチ橋の下に魔女のパレード車が来た瞬間、爆破班の俺が出入口を爆破して塞ぎ、混乱に乗じた隙に、相棒のガンナーが急所を打ち抜くという算段だった。
パレート当日の夜、魔女はパレード車に乗って、ネオンに満ちた街をゆっくりと周った。街中を七色の紙吹雪が舞い、地上では魔女に対しての賛美の声が国民から送られていた。恐怖心を抱いている人もいたが、絶対的力に魅せられている人が大半を占めていた。歓迎的な空気があったのは、以前の指導者が不人気だったという側面も少なからずあったからだろう。だが、魔女をのさばらせておけば、いずれこの国は破綻してしまう。今、暗殺しなければならないのだ。
魔女を乗せたパレード車が、巨大なレンガのアーチ橋の下を通過して橋の真下に来た瞬間、俺は出入口を爆破して、ガンナーが魔女にトドメを刺す瞬間を待った。しかし、ガンナーは撃てなかった。
俺はガンナーの元へ詰め寄り何故撃たないのかと問いただした。するとガンナーは「あの魔女の中にお前の大切なものが宿っている」と言うのだ。
訳がわからない。そんな話を鵜呑みにしている暇はなかった。
俺は魔女のいるパレード車に乗り込んで、魔女に刃を向けた。
ここでトドメを刺さなければいけない。
しかし、戦っている最中脳内に響く声に体が痺れ、俺の動きは鈍くなっていった。意識が曖昧になりながら魔女の顔を見るが、視認出来ない。体の自由が利かなくなってくると、魔女は氷の刃を空中に幾つも作り出し、その刃の一片が俺の胸を貫いてた。氷の刃に貫かれた体は地上に叩きつけられた。
夢の中で俺は息絶えた。