174 トイレットティーチャーの呪い
食事後、シャワーを浴び歯を磨いてから寝床の羽毛布団に包まって数時間ほど眠りについた。その後、すぐに目が覚めた理由、そこに深い理由なんてない、単純にトイレに行きたくなったのだ。体内のナノマシンで時間を確認する。深夜零時だった。部屋の電気を点けると、淡い黄色が室内に広がった。自室のドア開けると、そこは深い闇が濃くなっていく廊下。トイレに行くには、この闇を通過しないといけない。
こ、怖えぇ。
無意識にドアを閉めていた。どうして食事後、エーデルがいる時にトイレを済ませておかなかったのか。どうでもいい後悔が上半身をじわじわさせる。
ここはエーデルを連れションに誘うか。どういう理由で誘うんだ? トイレの場所はナノマシンを使えばわかるし、怖いから一緒に行こうとか、かっこ悪すぎて言えない。深夜、一人でトイレに行けないとか、俺小学生かよ。
……別に何もいやしないさ。さっさと済ませてこよう。
俺は壁伝いに、戦々恐々としながらトイレへと向かった。
着いてみると、この時代では珍しいマークを見かけた。
「男子トイレのマークだ……」
九分九厘が女性という時代で、男子トイレはほとんどない。あったとしても男子トイレだと思わせる男性のシルエットマークは無いし、男、自称男は多目的トイレを使うのが基本だ。
恐怖心に好奇心が上乗せされた状態で、男子トイレに入ってみる。
入ると室内が明るくなるタイプのトイレで、蛍光灯は等間隔で点いたり消えたりしていた。小便器が四つほど並んでおり、個室の洋式トイレは三か所ある。何となくだが、小の方は水が流れない気がした。男子のいない世の中で、下水は通ってない気がした。なので、個室トイレの水が流れるか確かめた。
ジャァァーと吸い込まれるように水が流れた。下水は大丈夫みたいだった。
大もしたくなったので、腰を下ろし両方出した。
「ふぅ……」
スッキリ……。
何だよ、何もないじゃないかと思いつつ、次からは明るい内にトイレを済ませておこうと思った。そして尻を拭こうと、トイレットペーパーを巻こうとした所……。
「な、無いっ! 紙が無いっ!」
クッソ! こんな古典的ギャグみたいな展開が我が身を襲うとはっ! 周囲を見渡しても、ペーパーは見当たらない。この個室に無いなら、恐らく別の個室にも無い。男の客が来るのだから、ちゃんとペーパーは用意しておいておくれー!
「うわっ!」
蛍光灯の点滅が無くなり、全くの暗闇になった。
胸の辺りがどよーんとした重圧に襲われた。
地獄だ……。
一先ず水を流してから、考えた。
この時代ではナノマシンのIDを交換した相手とテレパシーのような会話が出来る機能がある。便利といえば便利なのだが、こういう機能を使うのであれば親しい相手に限定にしたい所ではある。エーデルやフリージオとは、そこそこ関係性も深くなったし、ナノマシンのIDを交換してもよかった。しかし、大抵の事は直接言葉を交わせば足りる事だし、遠くにいればスマホ型端末を使えばよかった。
そしてスマホ型端末は、羽毛布団の中。連絡は取れない。
……どうしよう。
ピカ―ンと閃いた。
洋式トイレには、いくつかウォシュレット機能があるタイプの個室があるはず。その個室に移動すればいい。……というか、そもそも今の時代の洋式にウォシュレット機能が無いとかありえんぞ。
俺は、目が暗闇に慣れ、尻が多少乾いた状態を見計らって、別の個室を確認した。入口から一番奥の個室を確認した所、洋式トイレにウォシュレット機能があった。紙はやはり無い。仕方ないので、この洋式トイレで尻を洗い流す事にした。
ウォシュレットのボタンを押すと、ジーっと音がして、水の出る管が出てきていると認知出来た。ジュ、ジュ、ジュっと水が尻に当たる。
「勢いが弱いな」
その水の勢いでは、俺を満足させる事はできないぞ。
ここは最大火力だと、勢いの段階を最上位まで上げた。
じゅじゅじゃびゅびゅじゅじゅあビュウウウウウァァァジュアアア!
うおおおおおおおおおおおおっ!
これが、これが俺の求めていた洗浄力。
恋人以外には見せられない門を、消防車のホースから放たれる水がジュコーンとヒットさせる。泥だらけの車を洗車させるような清々しさが下半身を突き抜けた。
はぁぁぁぁ気持ちいいぃぃ。
俺の尻は便座のスケートリンクを駆け、ゆっくりとスピンする。今ここで、全ての穢れを落としたい。尻とウォシュレットでエンドレスワルツを踊りたい。
「あぁぁぁ……き、気持ちいぃぃ」
洗浄たる戦場の波で浄化され、俺のケツはオアシスと化した。
ウォシュレット、これは神々の発明だ。
トイレの神様って、ウォシュレットの事だったんだな。
そう思ってすぐ、ある疑問が浮かび、ウォシュレットを止めた。
そういえばエーデル、温泉に入った時、トイレットティーチャーがどうとか言っていたな。トイレットティーチャーって何だ?
トイレの神様がウォシュレットだとして、ティーチャーって何が入るんだ?
思い出せない。何かが何かだと言っていた気がするが。
温泉のワンシーンを記憶から呼び起こす。俺が温泉に入浴中のエーデルにダイブした際、危険を察知したのか勢いよく後退し、ほにゃららがトイレットティーチャーだと口にしていた。もしかして、俺に対して、今後何か危険な事が起きると伝えようとしていた? トイレットティーチャーは今の状況なのか?
エーデルは、こうなる事を予見していたというのか!?
いや、違うか。
……にしてもトイレットティーチャーって何なんだろう。それがわかったとして絶対に有益な情報ではないと思いつつ、小一時間何なのかを考えたい所だ。わからない事が、物凄く気持ち悪い。
尻を乾かす間に、ずっとトイレットティーチャーの事を考える。
全く、思い出せないし思い浮かばない。
こんな状況でゾンビに襲われたらヤバイ。ゾンビはないにしても、暴走したアンドロイドが男子トイレに攻め込んで来たら、俺はフルチンケツマルダシで戦わないといけないのか。それはカッコ悪いから嫌だな……。
そういえば、俺ってちょっとカッコつけたがりではあるよな。こういうのは良くないかな。カッコ良さって自然に溢れ出てくるものが真のカッコ良さだよな。
「もう尻乾いたから出るか。トイレットペーパーの事トージさんに言っておかないとな」
寝間着の軽いジャージズボンを腰まで上げて、俺は男子トイレを出ようとした。
「うわっ!」
入口に謎の男が……!
「すまない、ゆきひと。驚かせてしまったか」
エーデルだった。暗くてよく見えなかった。
「部屋の前を人が通ったと思って……恐らくゆきひとがトイレにでも行ったんじゃないかとは思ったけど、帰りが遅いから心配した」
「何時からいたの?」
「ウォシュレットが止まって、謎の沈黙があったぐらいからか……」
「十分ぐらいいたって事か」
「入ったらまずいかと思って……」
そういえばウォシュレット使っている間、俺……気持ちいとか言ってたか?
……もしや勘違いされている?
「べ、別にトイレで抜いていた訳じゃないぞっ!」
「そ、それはわかっている。そんな風に思ってはいない」
何なんだこの状況は。
「トイレットペーパーが切れていたから、ウォシュレットで処理したんだ。尻が乾くまで待っていた」
「そうだったのか、それは大変だったな」
「それよりエーデルはトイレ大丈夫か」
「あぁ……今から済ませるよ」
「俺、入り口で待ってるから」
エーデルの小を済ませる音が聞こえる。
どうやら済んだようで、ズボンを擦る音も続いた。
何だろう、エーデルと話していると落ちつくな。
帰りはエーデルと一緒に帰れば怖くないか。
「おまたせ。立ってするのは久しぶりだったな」
「水、ちゃんと出たか?」
「ちゃんと流れたぞ」
「なぁ……このモーテルに男子トイレがあるのってどう思う?」
「古い建物だし、男性が普通にいた頃からある建物なんじゃないか?」
「あの女主人どう思う?」
「アスカとやらか?」
「実は男とかじゃないのか? だって、こんな街から離れた最果てのモーテルに女子一人で生活してるなんておかしい。実は男で、それを隠す為にこんな偏狭の地に住んでいるんじゃないだろうか。だから男子トイレがあって下水も通っている」
あの胸は天然だと思いたいが、女性にしては身長は高い。
「うーむ、どうだろうか。主人には主人の専用トイレがあると思うしな」
「エーデルのお義母さんって、オカマだったんだよな。その観点からどう感じたかを聞きたい」
「母は……今思うと、割とわかりやすい方だったかもしれない。比較的オネェよりではあったし。ただそれでも気付かれないほどには美人だった。完全に性転換して女性を演じているタイプだったらわからないとは思う。一番判断がしやすいのは声だが、アスカの声は女性の声だと思った。ただ、声もこの時代の技術があれば変声機のようなもので変えられると思うし、なんともいえないな」
謎は多いけど、トイレの入り口で考えていても仕方ないな。
あ、そうだ。今エーデルにトイレットティーチャーの事を聞いておこう。
「話変わるんだけど、トイレットティーチャーって何?」
「な、何で今トイレットティーチャーの話が出てくるっ!」
「あ、いや、ただ気になったから」
「別に立っていた訳じゃないぞっ! あっ!」
「さっき小便を立ってしたのは知ってるから、今俺が聞きたいのはトイレットティーチャーの事で」
「す、すまない……突然の腹痛が、急いで部屋に戻らないと」
エーデルはお腹を抱えて廊下を走っていった。
「エーデル便所はこっちだぞ! お腹痛いならトイレでしないとダメだぞ! ペーパー無いからウォシュレットでええぇって、トイレットティーチャーが何なのか教えてくれえっ!」
気付いたら、真っ暗なトイレの入り口前に一人残されていた。
「俺を一人にしないでくれよぅ」
涙目の俺は、ビクビクしながら自室に戻るのであった。