171 ニュージーランド モー テル
俺に視界には黒い黒い曇り空が見えている。天を覆い隠すほど、その黒雲は広がっていた。その風景は走行中のバスから見えている。地上は靄がかかっていて、遠くまでは見渡せない。俺は何処に向かっているのだろうか。行き先という意味ではなく、方向性という意味だ。目的地は聞いているが、都心部から離れてゆく景色に不安を覚えている自分がいた。
そうそう、バスを待っている間、隣に黒い牛がいた。尻尾をふりふりして、何度か口から舌をペロペロ出して、バス停から見える走行する車を見ていた。何故、バス停に牛がいたのだろう。車を見るのが好きなのだろうか。
サツキとメイもバス停でトロロさんを待っている間、不思議な気持ちだったんだろうなぁ。サツキとメイというのは、「となりのトロロさん」というアニメに出てくるキャラクターで、その少女達は、病気の母に会いに行く為に田舎町のバス停で待っていた所、全長三メートル近い妖怪のような怪物トロロさんと遭遇した。怪物といってもマスコット的な可愛らしがあり、パパのような包容力がある。トロロさんは、自分の愛用バスであるにゃんこバスを呼び、少女達を母親の元へと連れて行くのだ。
話が反れるけど、サツキとメイはどちらも五月という意味がある。
何で五月なのか。それは知らんけど。
となりのトロロさんを思いだしていたら、目の前を流れる風景と、となりのトロロさんの作中アニメに流れる風景のイメージとが重なった。……重なったのだが、作中のキラキラとした自然溢れる新緑と、視界に広がる靄がかった深緑という差に出た言葉は「実際、田舎で生活するのは大変なんだろうなぁ」というものだった。
サツキの家族は四人家族で、サツキには妹のメイと両親がいた。母が重い病気という要素で、姉妹で喧嘩をしてしまう事もあったが、そういった家族の不和要素があっても、この家族は仲の良い家族だと思った。
俺の家族はというと、兄と両親と母方の祖母がいた。両親は物心つく前に離婚して、父は兄に引き取られ、俺の家族は母と祖母だけになった。男遊びをしていた母とは仲が悪く、俺はゴリゴリのお婆ちゃんっ子だった。サツキとメイは病気の母を心配していたが、俺の母親が死ぬかもしれない病気になったら、どう感じたのだろうか。ちゃんと、心配したのだろうか。婆ちゃんが死んだ時は悲しかったな。
兄弟仲の方は、一言で言うなら「無」だ。父親と兄がどんな人物だったのか俺はよく知らない。祖母が亡くなった後に、父親と兄宛に手紙を書いた。初めて誰かに書いた真面目な手紙だったと思う。……けれど、彼らが葬式に現れる事は無かった。だから別に今更、会いたいとは思わないかな。
もう、会えんけど。
靄がかった変わり映えしない景色を見るのにも飽きてきたので、通路を挟んだ奥の座席にいるエーデルの方を向いた。四十代半ばの彼は、窓の外の風景を見て黄昏ていた。こうやって見ていると普通にかっこいいおじさんで、彼は俺が目指すかっこよさの到達点の一つに達していると思った。こういう感じの渋いおじさんになるのもいい。……にしても、黙っていたら彼がゲイだとは気付かないな。いや、口調も自然だし会話をしてもわからないだろう。彼、自ら告白しない限りは。
隣同士で座ろうと誘ったら断られてしまった。俺はただ友達みたいに仲良くなりたいだけなんだけど、色々不自然な接し方をして嫌われちゃったのだろうか。
エーデルには距離感がわからないと言われたが、自分自身、何でこんなに積極的にコミニュケーションを図ってしまうのかわからなかった。何ていうか、エーデルからパパみというか、父性のようなものを感じているのかもしれない。幼少期に血の繋がった父親もとい両親に甘えられなかった寂しさや悲しさを、今更埋めたくなっているのかもしれない。
また窓の外の景色を眺めた。すると羊の群れが見えてきた。何故、バスの走行中に羊の群れが見えるのか。それは今、ニュージーランドにいるからです。
なんと、ニュージーランドには、人口よりも羊の数の方が多いそうです。
ミニ知識は置いといて、ニュージーランドへの渡航は、フリージオの希望だった。フリージオは自称フランスの第一王子で、自称ジェンダーレスだ。体の性は女性。彼のお蔭で、世界各国を旅出来ている。先月、京都でアンドロイドの暴走事件に巻き込まれてすぐに、俺達は京都を離れた。もう少し滞在していれば、記者になったパステルに会えると思っていたのだが、「今会うのは違うかな」的な事をフリージオが言い出したので早々に日本を離れた。
京都の次に訪れたのは、オーストラリア。俺のイメージでは、サーフィンの国という印象が強かった。まぁ、ハワイと印象がごっちゃになっている。
早速滞在二日目で、豪華ホテル近くの海岸沿いでサーフィンの練習をした。波に乗るのは難しかった。冬だというのに海水も砂浜も暖かく、京都で開催された暖冬祭と同じように床暖房的な装置が機能していたのだと思う。エーデルも俺に付き合ってくれて、形状一眼レフに変形させたナノカメラでパシャパシャと写真を撮っていた。波間の黄昏時はとても美しかった。日が沈みきる頃には、ある程度サーフィンも上達して波に乗れていたと思う。
久しぶりに、あの黒いサングラスをかけて、ホテル近くのショッピングモールを散策した。日本の駅近並みに人で溢れていた。やはり活気のある場所は好きだと感じた。おもちゃ兼グッズ屋に寄った時に、暇潰しになるかと思って、トランプを買った。「ジュラシックバスター」というハンティングゲームのモンスターのイラストが一枚一枚に描かれているトランプだ。愛用している黒いサングラスも、ジュラシックバスターの限定グッズらしく、お揃いになったのがちょっと嬉しかった。
そんな感じで、満足のいくオーストラリアライフを一か月間送っていたのだが、現在進行形で向かっているのは、よくわからないモーテル。バスが荒野を走っている時点で、豪華な施設は期待できない。
この生活を維持出来ているのはフリージオのお陰で、ニュージーランドへの渡航を嫌がるのは違うと思って黙って従った。だが、今は少し後悔している。一時間経っても目的地に着かない。増えていくのは、外にいる羊だけ。窓を開けたら、きっと「メェメェメェメェ」うるさいだろう。不安と焦燥感が募っていく。このまま行って大丈夫なのか? 待っているのは、モーテルじゃなくて、巨大な羊小屋なのではないのか? ふいに思ったのは、この道をバスが走っている違和感。とてもじゃないか、需要のある道だとは思えない。羊好きには天国だろうが、羊の花道を運通しているバスに恐怖を感じた。
恐怖と言えば、オーストラリア滞在二週間ほどが経った頃に、エーデルと一緒に映画を見た。ふかふかのベットとソファがあり家電も充実した最高級の部屋で、明かりを暗くして見た。エーデルの趣味が映画鑑賞だというのを何時だったか聞いたのもあって、見ようと思ったのだ。
見た映画は「夏至祭」。ホラー映画だ。何故この映画を見ようと思ったのか。単純にそのテレビに搭載されていたネットリラックスという動画配信アプリで無料公開されていたからだ。
内容はというと、主人公の女性が、彼氏の友人の地元へと旅行をする事になり、その地元の村社会というか宗教的要素に巻き込まれるといったストーリーだった。その映画は単純に驚かせる恐怖というより、じわじわと迫ってくるタイプのホラーだった。ラストはおどろおどろしい何とも言えないシーンで幕を閉じた。決して後味の良くないその惨状は、強烈なインパクトを与えて脳裏に焼き付いた。
同じだ。
夏至祭に登場した主人公が車に乗せられて集落に向かうファーストシーンと、今俺がバスに乗せられて謎のモーテルに向かう状況が。
肩にひんやりとした感触があり、ビクッと体が痙攣した。
フリージオが「着いたよ」と言って、俺の肩を叩いただけだった。
どうやら、目的地のモーテルに着いたようだった。
バスに数時間乗った事でかったるくなった体を起こし、俺はバスから降りた。少しだけ修学旅行気分になったが、それはレーザー光線の速度で過ぎ去っていった。見渡す限り、日本で言えば確実に田舎で、辺りは、土、砂利、生い茂る木、靄、空は禍々しい黒雲、日は暮れて暗黒が訪れようとしていた。
あれだけ大量発生していた羊は何処に消えてたのか。何か見えない力で取り除かれたようで怖かった。
……何て言うか、不安しかない。
田舎のような景色と、何も立ち寄れそうな店がない状況にストレスを感じてしまっているのは、俺が都会っ子だからだろうか。俺は贅沢な生活を送りすぎてしまったのか? 重い足取りでモーテルだと思わしき建物を目指す。
着いた。
そのモーテルの外観は、某バイオというゲームの最初のナンバリングに出てきそうな洋館だった。
二階建ての屋根におびただしい数の烏が飛び立つ幻影が見えて、目を擦った。
入口付近に突っ立っていると、ゾンビとゾンビ犬が現れて、急いで洋館に入らないといけない展開が訪れそうだ。数十分前に見た羊の大群が今では愛おしく感じる。でも、ここに羊がいたら、ゾンビ犬を引き寄せて俺達諸共噛み殺されてしまうだろう。
目的のモーテルなのか確認をとろうとフリージオの方を見たら、彼はちょっと怯えていた。君が行きたいと言った場所だぞ。
思ったよりも、幽霊屋敷感が強かったのだろうか。
このモーテルに誘った理由もだが、フリージオの考えや目的は、未だに知る所ではない。何度か聞いた事もあったが、はぐらかされるので何時の間にか聞かなくなった。わかっている事と言えば「仲間を集めている」という事だ。
人の目的をとやかく言って、己の目的はどうなんだって感じだが、俺の目的は、俺がストック・ウィッシュ・ホールディングス日本支社の地下深くでコールドフリーズされそうになった際に、ヴィーナさんが俺を助けた時の映像を社外に持ちだして「リークした人物」を見つけ出す事だ。
アンドロイド暴走事件とかがあって、目的意識が薄れていた。
フリージオのビクビクを見て、エーデルの様子が気になった。
様子を確認してみると、彼はいたって冷静だった。流石元スパイだな。エーデルのお蔭で、俺も落ち着きを取り戻した。……多分。
俺は殺人事件が起きそうなモーテルの扉の取っ手に触れた。
あぁ……心臓がバクバクする。
未だにリークの犯人はわからず、手がかりすら何も無い。
何故、リークしたんだろう。俺か、ヴィーナさんの何方かが恨まれる事でもしたのだろうか。犯人を見つけたとして、その時にどうすればいいのだろうか。犯人がわかった瞬間、どういう感情を抱くのだろうか。リークした犯人を捜しているのに、何でこのモーテルに宿泊しなければならないのだろうか。
ぐちゃぐちゃな感情を押し殺して俺はモーテルの扉をゆっくりと押していった。