170 新人記者の京都取材 【2】
「さぁ、始まりました! 萌香の部屋! 今回のお相手は、センテンスプティングの記者Pさんです!」
和宮萌香の動画配信がスタートした。
何処からともなく、ルンルン気分にさせる女性の歌声が聞こえてきた。この配信のBGMだろうか。何処かで聞いたような曲だった。
実名で活動している私だが、念の為、名前は伏せてもらった。
「どうも、初めまして。センテンスプティングの記者Pです。今回は京都で起きたアンドロイド暴走事件について、和宮萌香さ……様に、お伺いしたいと思います」
事前に配信をチェックした所、配信中は和宮萌香に対して様付けが基本だった。郷には郷に従えということで、名前の語尾に様を付ける。様付けは伊達じゃなく、視聴者は瞬時に五千人を超えた。
流石、YOーチューバー兼インフルエンサーと言った所か。
「実を言うと、わたくし、この話題に対して興味が薄くて」
「それは何故ですか? 地元で起きた大事件じゃないですか。せっかくの暖冬祭もめちゃくちゃになってしまった訳ですし」
「本物の日本人男性ならともかく、被害者はアンドロイドなので」
「でも今回、そのアンドロイドが日本人男性を襲いましたよ?」
萌香様は少し考える様子を見せた。
大桜ゆきひとと萌香様が会っていたという公式的な情報はないが、事件の映像や様々な観点から推測するに、接触していたのは明白だった。
この配信で明言するだろうか。
「そうなんですよー、よくわかりましたねっ! ふふふ皆さん羨ましいでしょー」
羨望的なコメント七割、否定的なコメントが三割ぐらい。SNSの反応も同様だ。萌香様は炎上芸をものにしていた。
「彼らは何処に行ったんでしょうか?」
「知りませんが、知っていたとしても、この配信では言えないですね。そうですねぇ、確かにゆきひとさんに何かあったら発狂していたかもしれません。貴重な純血の日本人ですから」
「彼に対しては、恋愛感情を持っていますか? 日本人男性と結婚するのが夢だと、プロフィールに記載されていましたが」
「今でもその夢はあります。だって、止まったらエラ呼吸出来なくて試合終了じゃないですか」
何処かで聞いたことのあるセリフだ。ネタとういうかオマージュというか。
こういう配信は真似た方が視聴者数は伸びるんだっけか。
このスタイルが成功法なのかもしれない。
「そのセリフ、聞いた事があるんですけど、何のセリフでしたっけ」
「えー、知らないんですか?」
「是非、教えて下さい」
「ふふふ、実は私も知らないんです」
知らないんかい。
「……ていうのは冗談で、スライムダンクのセリフです」
知ってるんかい。
「記者Pさんは、好きな人、いないの?」
「私は恋愛に疎くて……視聴者さん、私の恋愛事情に話題興味ないと思いますよ」
「わたくしは興味あるから、聞きたいわ」
大桜ゆきひとに好意を持っているかどうかを確認したいのだろうか。
「私、誰かに恋愛話やセクシャリティを聞かれたら、クエスチョニングと答えているんです。自分の性についてよくわかっていないというか。誰かに恋愛感情をもったこととか、ないんですよね。もしかしたら、Aセクなのかもしれません」
クエスチョニングと言われたのは、忘れもしない、カーネーションという人物からだ。彼女は、リリー・レズビアン・ラインというレズビアン団体のナンバー2で、本名はビリーヴ・トルゲスという。私の親友ソフィアとは姉妹関係にある。ビリーヴは私が落ち目だった頃に、団の勧誘の為、度々私の元を訪れた。当時の私は、それがストレスでトラウマになるほどの出来事だったのだが、クエスチョニングというセクシャリティは私の中でしっくりきていた。なので、こういう話題になったら、クエスチョニングと答えるようにしていた。
Aセクは何処で覚えたんだろう。Aセク、Aセクシャルというのは、他者に対して恋愛感情や性的欲求を持たないセクシャリティだが、この辺り、アロマンティックやノンセクシャルと複雑に分類されているので明言は避けておく。……そういえば、アメリカ大統領がAセクシャルだった。二号は大統領から頂いたものだから、忘れてはいけない、覚えておいたほうが良さげだ。
「じゃぁ、異性に関心はないんですね」
萌香様はライバルが減って嬉しそうだ。
「多分」
「多分?」
「関心はないです」
そう言っておいたほうが良さげだ。
「わたくし、実はアンドロイドの暴走事件より気になる事があるんですよ」
「それは何ですか?」
「メンズ・オークションに出品された大桜ゆきひとさんと、ストック・ウィッシュ・ホールディングス元社長のヴィーナ・トルゲスさんの駆け落ち騒動です」
半年前に起きた駆け落ち報道。日本国内では、アンドロイドの暴走事件よりも関心が高い印象だ。私もこの一件には関心がある。
「それは私も気になっています」
「社内の映像をリークしたのって誰だと思いますか? ゆきひとさんをコールドスリープで破棄しようとしたなんて噂もありますけど」
確かにネット上において、そういった噂がある。萌香様もある程度駆け落ち騒動の事を調べているようだ。
仮に大桜ゆきひとがコールドフリーズで破棄される所を、ヴィーナ・トルゲスが助けるという状況であれば、駆け落ちにはならないような気がする。
「誰が社内の映像をリークしたのかという予想はありますが」
「えー誰?」
「ピー入ります?」
「生配信なので入りませんね。もぉー記者Pさんにピー入れるとか、面白い事言わないで下さいよー」
私が滑ったみたいな流れやめて。
「じゃぁ、ここでは言えませんね」
私の社内リークの犯人予想は「ギフティ・トルゲス」。彼女はトルゲス六姉妹の末っ子で、現ストック・ウィッシュ・ホールディングスのアメリカ本社社長。日本支社社長は、現在姉のソフィアが務めている。ソフィアはギフティの事を嫌っているけど、今回の件と何か関わりがあるのだろうか。ただの姉妹仲が悪いというだけでは無い気がするけど。
「わたくしは……この人が犯人だと思う人物がいます。聞きたいですか?」
「えぇ」
「この駆け落ち騒動は、ヴィーナ・トルゲスさんの自作自演だと思います」
萌香様の発言にコメント欄は荒れた。ヴィーナという人物は炎上を恐れないからこそ言える相手なのだ。
リークの犯人がヴィーナ・トルゲスというのは考えた事がなかった。でも、あながちあり得ない話ではない。重役しか入れない場所の社内映像を持ちだせる人物は限られている。そして、コールドフリーズで男を破棄するという情報を知る人物も。条件に合うのは、アメリカ本社社長のギフティ。日本支社社長のソフィア。元日本支社社長のヴィーナ。
犯人がギフティじゃないなら、動機は?
「仮にヴィーナさんの自作自演だとして、動機は何だと思います?」
「うぅん……メンズ・オークションとかいう馬鹿げたイベントをぶっ潰したかったとか、ブラック企業すぎて疲れたから社長業を降りたかったからとか? だって彼女、あれ以来、表舞台に全く姿を現さないじゃないですか」
萌香様の言う通り、あれから全くヴィーナ・トルゲスの目撃談を聞かない。うちの会社の人間が捉えていてもおかしくないのに。
ヴィーナ・トルゲスは、今何処で何をしているのだろう。
「萌香様の着眼点、すばらしいと思います。なるほど、ヴィーナさんが自作自演していたという線も十分にありますね」
「直接、本人の口から聞きたいですよね」
「それは、そうですけど」
「記者Pさんは、ヴィーナさんの妹、ソフィアさんと仲がよろしいかと存じますが、間を持って頂く事は出来ませんか?」
痛い所を突いてくる。私がセンテンスプティングの記者となって以降、ソフィアとの関係は浅くなり、連絡も取っていない。彼女が社長業忙しくなったのもあるが、記者という職業柄、会いにくくなってしまった。有名企業の社長とゴシップ記者、これは相性が悪すぎる。がむしゃらに勉強をして記者の世界に飛び込んでしまったが、そこまで考えていなかった。
完全に私の考えが浅はかだったから起きた事態だ。
「今は、無理です」
「もしかしたら、リークの犯人、ソフィアさんかもしれないですよ」
うっ、それは考えたくない事だ。少なくとも私はソフィアの事を親友だと思っているから、犯人ではないと思ってしまうのだが、私情で犯人説から外してしまうのは記者失格だ。
「それはどうでしょうか。動機は……」
ソフィアはヴィーナという姉に心酔していたから、動機は十分にあるな。
「……置いといて、この駆け落ち騒動の社内リークの犯人と、アンドロイドの暴走事件って同時期に起きているから、関係があると思いませんか?」
この配信、アーカイブに残るだろうから、迂闊な事は言えない。
「京都の前は、東京で起きているらしいですね」
「その前にアメリカのニューヨークとニューオリンズで起きているんです。最初のアンドロイド暴走事件はニューヨークで四月の中旬、駆け落ち騒動から間もなくの事なんですよ」
そうだ、私は駆け落ち騒動とアンドロイドの暴走事件は、何か関係があると思っている。理由は、駆け落ちの報道と最初のアンドロイド暴走事件の発生時期が近いから。最初に暴走事件の起きたニューヨークには、ストック・ウィッシュ・ホールディングスのアメリカ本社がある。そこは、ギフティのテリトリーだ。
「駆け落ち騒動の社内リークと、アンドロイドの暴走を発生させている人物が同一人物だと思ってるんですか?」
「……そこまでは」
萌香様は、アンドロイドの暴走の要因を、コンピューターウイルスかバグを振り撒いている人物がいると考えているのか。AIの感情が発展してというより、バグで暴走したという考えの方がベターなのかな。
「まぁ、重い話はこれくらいにして、ちょっと清涼剤を挟みましょうか」
「それは、何でしょう」
萌香様は、私達にカメラを向けている二号に対して、おいでおいでと手招きした。二号は自分を指差し「自分?」と困惑の表情を浮かべている。私も萌香様の機嫌を損ねないように、二号においでおいでと手招きをする。
それから二号も「萌香の部屋」に加わり、話題は二号をいじる話に変わってしまった。広間中央に新たに設置されたソファに座る二号。彼はコメント欄でも人気で、「暴走しない自信はありますか?」などの質問に照れながら「暴走しない自信、ありまぁす!」と答えていた。
場の空気は二号に癒され、そのまま配信は終了した。
取材が終わって旅館から出ようとした祭に、萌香様から呼び止められた。彼女は両手を合わせて広げた上に、紅葉柄の折り鶴を乗せていた。私がそれを受け取ると、後で開いて見て下さいと告げた。彼女は「そこにヴィーナ・トルゲスの連絡先が書いてあります」と言った。
私は、一瞬、何を言っているのだろうかと思った。
何故、彼女がヴィーナ・トルゲスの連絡先を知っているのだろう……と。
「覚えていませんか? わたくし、貴女のラストライブにヴィーナさんと参加していましたのよ? その時交換した番号ですから、まだ生きているかはわかりませんが、彼らとの交渉材料には使えるでしょう」
去年の十月三十一日に開催したライブに、ヴィーナ・トルゲスは来ていた。その彼女の隣に、萌香様もいた……かもしれない。
私は掌に乗せた紅葉柄の折り鶴をまじまじと見た。
ヴィーナ・トルゲスの電話番号、大桜ゆきひとなら、喉から手が出るほど欲しい情報かもしれない。
「この番号、彼らには教えなかったんですか?」
「だって……何か癪じゃないですか」
「癪、ですか……」
「同じイベントで炎上した者同士としての誼です。受け取ってください。陰ながら応援しております。今回は萌香の部屋に参加して頂き、ありがとうございました」
「こちらこそ、取材に応じて頂き、ありがとうございました」
「記者Pさん……いえ、パステル・パレットさん」
「……?」
「なぁにやら……面白い事が、起きそうですねぇ」
萌香様と別れる際の最後の言葉は、サスペンスドラマで謎の女が発するような、ゆったりとした怪しげな京都弁だった。
一礼後の笑顔は、相変わらず曇りの無い笑顔だった。
しかし、腹の底には巨大な雷雲を潜ませていると感じた。