161 ライドンウィング
その奇想天外な日々の話は、僕の好奇心をかりたてた。
ゆきひとの最初の結婚相手は、オネット・シュバリー。国籍はフランス、職業は弁護士で、ゆきひととオネットは共に不倫裁判を経験し解決に導いていった。
二番目の結婚相手は、タンナーズ・ライオネル。国籍はエジプトで、職業はカジノオーナー。ここでのゆきひとは、カジノにどっぷり浸かってしまったが、その誘惑を押しのけた後に戦闘術を学んだらしい。話を聞く限りタンナーズと僕はもう既に出会っている。
三番目の結婚相手は、和宮萌香。国籍は日本、職業は不明。彼女とは京都の風情を楽しんだようだ。ちょっとではあるが脱毛の件が気になった。
四番目の結婚相手は、パステル・パレット。国籍は日本だが、髪の色はピンクで日本人には見えないらしい。職業はアイドル、タレント、マネージメントと多種多様。ゆきひととパステルの結婚生活はアイドル再生物語となっていて中々聞き応えがあった。彼女とも会った事があるようで、何を言いあったか詳しく覚えてはいないが、あの時は申し訳ない事をしたと今では思っている。
五番目の結婚相手は、ソフィア・トルゲス。国籍はアメリカ、職業は科学者兼ストックウィッシュホールディングス社の部長。この期間ゆきひとは、ほとんどソフィアと過ごしておらず、この時代に最初に来た男、ダニエル・ウォーカーと一緒にゲームプレイをしながら過ごしていたようだ。ダニエルウォーカー氏の国籍はアメリカで、元々モデルをしていたらしいが、この時代ではゲームディレクターの道に進んでいる。既婚者で妻は女優のヴィオラ・ディーヴァ。
六番目の結婚相手は、ゆきひとの師匠となる人物。国籍はタイ、職業はボディガード。タイでの生活を満喫したらしいが、途中でヴィーナの誘拐事件が発生し色々と問題が起きたようだ。
七番目の結婚相手は、テュルー・バトラー。国籍はアメリカ、職業は大統領。大統領か……中々凄い相手が出てきた。この時代のほぼ全てが女性であるならば、トップは勿論女性となる。この結婚生活では主に映画撮影をしていたらしく、誘拐事件もそれの一環だった。何とも紛らわしい話だ。
そして最後の結婚相手はヴィーナ・トルゲス。国籍はアメリカ、職業はストック・ウィッシュホールディングス日本支社社長。ここでは純粋な結婚生活を送っていたが、最終的に上手くいかなかったようだ。ちなみにゆきひとは、ここで童貞を卒業している。いや……別にいいじゃないか、これだけの男前なら、一人や二人いても可笑しくなはい……。
話を戻すと、ゆきひとがヴィーナに対しての片思いという構図で、これからも結婚生活を送りたいゆきひとと、一時的な結婚を望んだヴィーナとで祖語があり、関係は破綻した。ゆきひとは過去に帰る決断をしたが、過去へのタイムマシーンは完成しておらず、コールドスリープ装置へ誘導される所を、ヴィーナと師匠とやらに助けられたとの事。その時の映像が世に出回り、ヴィーナは社長退任に追い込まれた。ヴィーナは、今後、ゆきひとと会う事は許されず、別れ際にある事をゆきひとに頼んだ。
ここまでの話は数日に分けてじっくりと聞いていた。
休憩を挟み、テレビゲームなどの話題にもなった。ゲームで思いだされるのは、春希がやっていた「テトリス」や、ホラーシューティングゲームの「バイオ」。春希には何度も誘われたが、僕は見ているだけで誘いにはのらなかった。それが一つの悔いになっているのかわからないが、何か縁があれば、ゆきひとと一緒にゲームをしたいと思うようになった。
一通り話を聞いて思ったのは、僕がこの精神病院に閉じこもっていた間に彼は波乱万丈な濃い人生を歩んでいて、自分が病院で過ごした四年を凄く勿体なく感じた事。歳も四十を越えて、人生を捨てた僕がそう感じた事に違和感があった。多分問題に感じたのは、人生を無駄に過ごした事では無い。少なからずここで体と心も癒えたし、小説で得た知識もあった。悔やんでいるのは、精神を病んで病院へ行かずにこの時代に早く順応出来ていれば、もっと早くゆきひとに会えていたかもしれないという事。それが悔しくて堪らないと感じているのだ。
そして肝心のゆきひとが僕に会いに来た理由なのだが……。
「つまり……僕に会いに来たのは愛する女の為か」
「……そうだ。ヴィーナに言われたからだ」
「いや、理由としては悪くない。何て言ったらいいのか……」
「俺に幻滅したかな」
「……いやその逆だ。僕がこの一年何もしていない間に君は大変な思いをしてきたんだな」
「何でヴィーナが俺だけにしか救えないと言ったのか……それはわからないけど」
「まだわからないのか?」
「……?」
ヴィーナはロシアのイベント会場にいた。
恐らく僕がゲイである事は知っている。
なるほど、イケメンのマッチョをあてがう事で、ここから僕を出そうとしたのか。合点がいった。ゆきひとの話を聞く限り、僕がゲイである事は知らない。セクシャルマイノリティに対して偏見はないようだが、どうしようか、言ってしまった方がいいのだろうか。相手がこれだけ自分の内を晒したというのに、僕が晒さないのはフェアじゃない。
……それに、拒絶されるなら早い方がいい。
「君は色んな人と関わってきたんだな。僕は自分のことを他者に詳しく話さないけど、ゆきひとが身を削って自分を晒してくれたんだ。教えるよ……その理由」
心臓の鼓動が強くなっている。
カミングアウトはここまで緊張するものだったのか?
今まで自分からゲイである事を誰かに言おうとは思わなかった。
何で今更……。イベントでぶちまけてしまって、たかが外れてしまったからなのか。それとも、ゆきひとを信じたいからか。ゆきひとなら大丈夫、そう信じたいからか。その告白の先に、何が待っているのか知りたいからなのか。
もう言ってしまえ……!
言ってしまえ!
「僕は……ゲイだ!」
一瞬、時が止まった。
僕は、恐る恐るゆきひとの様子を伺う。
「そっか、そっか納得した」
ゆきひとの表情はゆるやかで、嫌な顔一つ見せなかった。
「第二回メンズ・オークションのことは知っているな。僕はあの場所で……ロシアの中心でゲイを叫んだ。そして倒れた。その流れでここにいる。君こそ僕に幻滅したんじゃないのか?」
「何でだよ。俺はエーデルに何かされた訳じゃないしまだ何もしらない。エーデル……ここを出よう。今は一人でも多くの仲間がほしい」
これから何かしてしまうかもしれないのに?
……いや待て。あくまで仲間が欲しいから、何も気にしていないふりをしているだけではないのか?
ここは少しぶつかってみようか。
「……僕は出ないよ」
「どうして?」
「では聞くが……僕が君のことを本気で好きになってしまったらどうする気だ?」
何を言ってしまっているだ。
冷静さを欠いてしまっている。
しかし、そうだな。僕自身これからどう動くかわからない。
でも、でもだ。
もう気持ちは……。
「ラブには応えられないけど……出来ることなら何でもするし、努力する」
ライク止まりか。
「何でもする? 無責任だな。中途半端な優しさは、結果的に相手を傷つけるだけだぞ。僕はもう君に情が移ってしまった。君が彼女と再会したら僕は捨てられるだろう。傷つくとわかっていて同行する馬鹿はいないな」
「ヴィーナはそんな小さい女じゃない」
「……何なんだよ君は」
ゆきひとは言葉に詰まっている。
何なんだよって、それは僕もだな。
「もう無理はするな。帰ってくれ」
感情と真逆の言葉が出て来る。
これは、もしやツンデレという奴なだろうか。
いや、僕はツンデレじゃない!
「エーデル、俺達が付き合い始めてもう一か月になるな」
……!?
突然なんなんだ。
「いや、付き合った覚えなどないが」
「元カノの話題を出して悪かったよ、謝るから許してくれ頼む!」
「許さないこともないが……」
「エーデルは俺の筋肉を見るのが好きだろう?」
「……否定はしない」
「俺は自分の筋肉を見られるのも触られるのも好きだし、俺達は相性がいいと思うんだ。だから一緒にここを出よう!」
「残酷な男だな」
「一緒に来れば、俺の筋肉触りたい放題だぞっ!」
そんなん……一択やないかい。
「いや……何て言うか、それは少し気持ちが揺らいでしまうが、僕はここからは出ない」
「俺は一緒にエーデルと旅がしたい……! 俺は一緒にエーデルと色んな世界が見たい……! 俺は一緒にエーデルとたくさん遊びたい……! エーデルが悩んでいるならその悩みを分かち合いたい……!」
「うるさいっ!」
「……エーデル!!」
「僕は行かない……!」
「今は、黙って、俺について来い……!!」
「ハッハッハッハッ!」
まるで映画の一シーンみたいじゃないか。自分が俳優になった気分だ。
ヒロインが言われるような事を言われるのも悪くはないな。
母から影響を受けた趣味が、ここでじんわりと胸に広がってくるとは……人生、何が起きるかわからないものだ。
「今のはなかなか悪くない。グッときた。わかったわかった。ゆきひとがそこまで言うならついてってやるよ」
「俺のことを試したのか?」
「そう言うなって。まぁ……確かに、もう気持ちは決まっていた」
僕は中間の隔てた壁を解除した。
何故か、肩の荷が下りたような感覚がした。
ここは相手に合わせて乗ってやるか。
「ゆきひとが他の女性を愛していたとしても、僕は君に全てを捧げよう」
少し本心とは反れるが。
「ありがとうエーデル!」
突然、ゆきひとが僕を抱きしめてきた。
溢れる肉体にジュワリと包まれる。
程良い弾力。
二枚の分厚い鉄板のような大胸筋と大胸筋がぶつかる。
腹筋は逆さまのたこ焼き器が熱い。
……このまま抱きしめられたら、僕はから揚げになってしまうのだろうか。
「君がくさいセリフを言うから、これでおあいこだ。……こちらこそありがとう、ゆきひと」
自分が可笑しくなっている。
今までになかった幸福感だ。
食事以外であまり思い当たる節がない。
兄さんとニューヨークで食べ歩きをした時も、こんな気分にはならなかった。
マッチョに抱かれると、これほどまでに癒し効果があるのだな。
この感覚はきっと初体験だ。
それにしても、ゆきひと……いい匂い。
旅立ちの日。
僕は探偵のような出で立ちを選んだ。宛らシャーロックホームズだ。シャーロックホームズとは、架空の名探偵だ。
探偵で思い起こされるのは、春希、美春達と立ち上げた探偵事務所での生活。
あの時は、あの時で充実していた。二人はあれからどうしているだろうか。無事でいてくれたらいいな。
支度を済ませ、病院の外に出た。
三年ぶりの青い空、地平には何処までも続く爽やかな緑。
日陰で過ごした四十年が長すぎて眩しすぎた。照りつける太陽を手で覆わずにはいられなかった。
暖かい。日の光による暖かさだけではない、心の暖かさも感じている。
視線を正面にに移すと、ゆきひととフリージオがこちらを向いて待っていた。
「おまたせ」
「その服凄い似合ってるよ。俺もそんな色気を出せるようになりたいな」
「煽てても何も出ないぞ。それよりこれからどうするんだ?」
「……俺はSWH地下の監視カメラ映像を、誰が週刊誌やネットニュースに流したのかを知りたいかな」
ゆきひとの目的はそうだろうな。
探偵業を手伝っていた経験が生きればいいが。
「じゃぁ、情報収取も兼ねて世界を旅しようよ! 探しものは探してる時には見つからないって言うし」
フリージオ……か。
資金力のある彼無しでの旅はありえないのだが、今の所、特に興味が湧かない……スマン。
「どうかな」
「小父様? 女性達の世界もそんな悪いもんじゃないよ」
「あぁ、そうだな」
元々、美春との付き合いもそれほど嫌ではなかったしな。
「心がこもってなーい!」
「いや、半分本心だ。ゆきひとの話を聞いて考えが変わった」
「それより俺達は勝手に動いていいのか?」
「ソフィア新社長と交渉をして、この僕が、これから君達を管理していくことになりましたー!」
「おぉ」
「それとユッキー?」
「ん、なんだ?」
「君が元気になってくれて嬉しいよ。……また気持ちが折れそうになる時が来るかもしれない。でも自分が思い続けたことはいつか何かの形で実を結ぶから。例えそれに届かなくても糧になるから。だから自分を信じて……!」
「……わかった。もう自暴自棄にはなったりしないよ」
「流石僕の認めた男だね! 大好き!」
フリージオがゆきひとに抱きついている。
この二人の特殊な関係にはまだ入れないが、こういうじゃれ合いを見るのも悪くはないな。
「おいくっつくな。やめろ」
「小父様にはハグしたじゃないかー」
「ハッハッハッハッ!」
これから僕達の旅が始まる。
果たして何が待ち構えているのだろうか。
期待と高揚感が満ちる一方で、ゆきひととヴィーナの関係に痛みを感じていた。
二人の関係に嫉妬しているのか?
そんな、まさかな……。
僕は心に違和感を抱えたまま、この時代の闇を探る旅に出るのだった。