159 プロローグデジャビュ 【1】
「はじめまして……俺の名前は大桜ゆきひとっていいます」
その男は、爽やかな声でこの特殊な部屋に入って来た。
青と白の壁に囲まれたこの部屋に、全身黒のタンクトップ男が来たのだ。
……男? お、おとこ、だと?
しかも……無駄にマッチョだ。
いやいやいや何を考えているのだ、落ち着くんだ。
男に飢えすぎて、理想的なマッチョの幻覚を顕現させてしまったのか?
一先ず自己紹介、してみようか。
「僕の名前はエーデル・スターリンだ。呼び捨てで構わない」
「わかりました」
幻覚ではなさそうだ。
もしかしたら僕と同じように、強制的に過去から連れて来られてしまった男の可能性が高いか。
「僕に何の用かな?」
「エーデルに会ってみたかったんです。だって、今陸上で活動している男は「三人」しかいないんですよ?」
やけに人当たりがよく素直な男だ。
日本人らしいといえば日本人らしいが。いや、注目する所はそこじゃない。日本人にしては……マッチョすぎる……。本当に日本人か? 男にしろ女にしろ、もっと華奢なイメージだったが……それは僕の偏見か。そういえば何か質問されたような。陸上で活動している男が、三人だとか……。昔一瞬だけ脳裏に送られた情報を思いだす限り、計算すると四人になるような。
「君を含めたら四人じゃないのか?」
「元々この時代にいた方が亡くなられたんですよ」
「この時代最後の男性か。もう一人の米国の男は今どうしてるんだ?」
ロシアの施設を出て四年経つが、案外覚えているものだな。
「この時代に溶け込んでましたね」
「会ったのか? 随分自由が利くんだな」
この男、ゆきひとと言ったか。
米国の男も気になるが、今はこの男から目が離せない。
口調は穏やかで、この時代に順応している様子が窺える。
それ以上に、筋肉に目がいってしまう。
「……いや、不自由ですよ」
ちょっと残念がる仕草もいい。
「俺が情報を得たのは、たくさんの女性と結婚生活をしたからです。ある女性からは情報を得ることの大切さを学びました。無知は罪だと」
ストレートは確定か。
「確かにその通りだな。でも当時のことを思い出したくない……今日はもういい。帰ってほしい」
気取られてはまずい。
ここは態勢を立て直さなければ。
それに精神を病んだよくわからない外人のおっさんに会いに来るなんて、何か別の目的があるはず。一度、距離を離したほうが良さそうだ。
その後、何度かゆきひとが訪ねて来たが、面会を拒否した。
この程度で接触をやめるならそれまでという事。
正直、あの筋肉をもう一度拝みたかったが、ここは我慢した。
ゲイである事がバレて嫌な反応をされるくらいなら最初から接点などない方がいい。……そう考えていたのだが、それからもゆきひとは病室に足を運んで来た。
「エーデル。俺の話をします。男の過去に興味無いかもしれないけど聞いて下さい」
めちゃめちゃ興味あるんだが。
「俺、この時代に来るまでベスト・ワイルド・ジャパンという大会でチャンピオンを目指してたんです。ベスト・ワイルド・ジャパンっていうのは、ボディビルとは違ってゴリゴリ筋肉ではなく、野性的でかっこいい筋肉が求められるんです。正直筋肉のことばかり考えてました。新しいプロテインのこととか、隙があれば腹筋とか懸垂がしたくなって。俺は二〇十八年の夏大会に向けて体を鍛えてたんです」
「二〇十八年?」
時系列に関心のあるふりをして、僕の意志に反応する中央に隔たれた曇りガラスを解いてしまった。
やはりこの男、ボディビル的な事をしていた。
そりゃそうだ、こんなにいい雄っぱいしてるもんな。
「ようやく顔を見せてくれましたね」
「僕は二〇十五年だった。アレの選定基準は何なんだろうな」
「メンズ・オークションのことですか?」
「あぁ」
メンズ・オークション。
それはこの時代最大のスぺクタルショーである。
一先ず、その事は脳内から消去だ。
「今陸上で活動してる男は三人だったか……つまり三回で打ち止めということか? また行われるのだろうか」
「そんな話は今まで聞かなかったですね」
「不思議だな。君はたくさんのことを知っている。いや……」
だめだ、顔が良すぎて内容が頭に入ってこない。
彼は、もしかしてタイプなのか?
……なんなのだ。春希と相対してる時は、こんな感じにはならなかった。
どうしても容姿が気になって頭が回らない。
……それに、屈んでしまう。
だって仕方にだろう。今まで男を抑制していた生活に、突然マッチョを放り込まれたらこうなってしまう。今の僕には、刺激が強すぎる。
「今日はもうやめよう」
「今いい所じゃないですか」
「いい所ではないな」
「……俺がまずいことを言ったなら教えて下さいよ。気を付けますから」
「何を必死になっている」
必死なのは僕の方だが。
「必死になんて……いや確かに必死です。俺には後がないし」
「考える時間が欲しいだけだ。僕と話したいならまた明日来てくれ」
次の日。
……ふぅ。大丈夫だ、心も体も落ち着いている。……ストレッチでもするか。
「おっいいですね」
自然に入ってきたゆきひとにストレッチを褒められた。
嬉しい。
「体を動かしていないと、いざという時動けんからな」
「結構いい体してますよね」
君に言われてもとは思ったが、褒められて嫌な気はしない。
「ストレッチはゆきひとの専売特許かな?」
「今まで何をされてたんですか?」
「敬語はやめてくれ」
「えっと……何してたんだ?」
「まぁいいか。スパイだ」
「スパイ?」
こんな簡単にスパイ活動をしていた事を明かした自分に驚いたが、ゲイである事を知られる事に比べたら大した問題ではない。
「何のスパイを?」
「あまり驚いている様子はないな。その話はいい。今更関係ないしな」
「……そうだな」
「昨日の話の続きをしよう。君は様々な情報をどういった女性から聞いたんだ?」
彼のようなマッチョと結婚生活を送れるなんて、中々羨ましい女達だ。
「まず最初に出会った女性が色々と親切に教えてくれました。……俺の悩みを聞いてくれたりして」
やけに悲しそうに話すな。
「……その人はゆきひとにとって大事な人なのかな?」
「はい」
もしや、ゆきひとの想い人か?
「彼女の名前も知っておきたいんだが」
「ヴィーナ・トルゲスと言います」
「聞いた事があるな。いや最初に会ったのは同じ人物かもしれん」
暫く髭を触りながら考え込んだ。
そうだ、この訳の分からない環境に着いて最初出会った女性の事だ。
確かにあの可愛らしい女性なら惚れるのも無理はないのかもしれない。
……はぁ。……いや、なんだ。
ゆきひとに好きな相手がいて落胆してしまったのか?
はは、そんな、まさかな。
「エーデルどうしたんだ?」
「いやすまない。僕が色々と勘違いしていたようだ。……続けてくれ」
あの時は、特殊な拷問かと思って彼女の言葉に耳を貸さなかった。
冷静でいれたら、もっと簡単に情報を得られたというのに。
やはり僕は三流だ。
「そっか。彼女は今俺達がいる時代が西暦二八二五年だと言っていた。当時だから……今は二八二六年になる」
未だにここが未来だという実感はない。
「この時代はY染色体がほぼ消失していて、男子はもう生まれないらしい」
「そこで過去からオスを連れだしたと」
ちょっと怒りっぽく言ってみた。
真面目なおっさんだと思われなくては。
「まだ数人ということは……過去からオスを連れて来るのに余程金がかかるのか……一気に送ると過去で騒ぎになるからか」
「ちなみに過去から未来に人間を送れても、過去には戻れない」
「……はぁ」
「さっきのストレッチを見たら、俺も久しぶりに筋トレしたくなったな」
「勝手にやってていいぞ」
是非、筋トレの様子を拝見したい!
ゆきひとは腹筋を始めた。体を動かし足りないのか、バク天、バク宙を連続でこなした。体操選手顔負けの動きである。
「何者なんだ? 凄いじゃないか」
彼に対して、じわじわと興味が湧くのを感じている。
まさかここにきて、こんな気分になるとは思いもよらなかった。
眺めているだけで心が安らいでゆく。まさに眼福である。