158 白夜前の静寂
ゆっくりと目を開いた。
どうやら気絶してしまったようだ。
意識を取り戻した時に、医師、もしくは看護師に何度か質問を受け、飛行機に乗せられた。何処へ運ばれるのだろうか。日本に行きたいと呟いた気がする。もしかして日本だろうか。
飛行機から降りた後は車に乗せられた。外界の様子を伺い知る事は出来なかったが、謎の安堵に包まれるのを感じた。何故か第二の故郷に帰ってきた気がした。
ずっと意識がぼんやりとしていて、思考が安定してきた時には診断室のような場所にいた。そこで少し医者と話をした。精神異常者のふりをしたつもりはなかったが、精神が可笑しくなっていたのは事実で、これからの生活は精神病院で過ごす事に決まったようだった。
ここで生涯を終えるかもしれない。その事に対して妙な納得感があった。
自分の最後には合っている場所で相応しい末路であると、……そう感じたのだ。
与えられた部屋は、不思議な場所だっだ。
形状は円形のドーム型の広い部屋で、中間には透明な仕切りがあり、奥が生活スペースになっていた。カラフルなクッションがまばらに置かれていて、様々な姿勢で寛ぐことが出来た。仕切りで目隠しされた奥には洋式のトイレ。シャワー室は流石に無かった。言えば貸してくれるのだろうか。部屋は抗菌されているようで、一週間に一度、シャワーを浴びられればいいか。
少し現実逃避をしたら、少し前向きになった。
ここでの生活も悪くないかもしれない。
それから時間を喪失した生活が始まった。
体内に埋め込まれたナノマシンのネット及びオンライン機能はロックしたと言われたので、己の体は今まで通りの感覚。外の情報を調べる事が出来ず、テレビ等の電子機器はNG。その為、担当の看護師に本を頼んだ。ひたすら日本語の小説を読み漁り、何時の間にか活字全般を難なく読めるようになった。今までの趣味と言えば、映画が基本ではあったが、本を読み漁る生活も悪くはなかった。
一日、一週間、一か月、もう一年は経っただろうか。
ちゃんと数えれば正確な時期、時刻など容易にわかったが、時間というものが意味を無くして、ここに来てからどれだけ時間が経ったのかわからなくなっていた。
同じことをしていれば飽きが来るもので、自分の中に飢えを感じる事があった。
「男が……男が足りない」
男という存在をここまで意識した事はなかった。
ゲイである事を誰かにカミングアウトするつもりもなかったし、同性と付き合うつもりもなかった。まぁ、あの会場でぶちまけてしまった訳だが、もうあの時の事はどうでもい。……にしても、心の何処かで欲しい時には何時でも男が手に入ると高を括っている節があったのかもしれない。男がこの世にいない事が、物凄く絶望的で、男に飢えて飢えて仕方がなかった。
いつもの看護師さんに、マッチョの写真集を頼んだら持ってきてくれるだろうか。いや、そんな恥ずかしい事は言えない。ここは我慢するしかないのか。
「春希の事……抱いておけばよかったかな」
相手もまんざらではなかったし。……なんてな。
アレはただのジャパニーズジョークだ。
「……!?」
ある事を思いだした。
そういえば、かなり長い間、煙草を吸っていない。
すげぇ……禁煙出来ている。
「でも、やっぱ吸いてぇかな」
また、だらしなく横になる。
それでも筋トレは欠かしていなかった。生活習慣もあるだろうが、前の施設で上手く走れなかった事に悔いがあった。
やはりいつ何時も動けない体はダメだと思ったのだ。
時間が無尽蔵に経ったある日、僕はいつもの看護師にある事を尋ねた。
何て事はない質問だ。
自分の年齢を尋ねたのだ。
「えっと、エーデルさんは現在四十五歳ですね」
廃墟で殺りやってから、自分の体は四年が経過したようだ。
それから看護師は、近々面会を希望している日本人が来ると告げた。
……面会? ……日本人が? 何の為に。僕に何の用だ。
少なからず動揺している自分がいた。
しかしこの動揺は、水面の波紋でしかなかった。
そうなんだ。僕はここで君に出会ったんだ……。