154 白銀、再び
僕はどうなってしまったのだろうか。
どうにも生きている実感が湧かない。
腹は拳銃で撃たれ、腕もナイフで割かれたはずだ。
この状態で無事なはずがない。
塞がれた傷口を触って確かめている僕に対して、ヴィーナ・トルゲスと名乗る女が、心配そうに様子を窺っていた。
「僕は確かに銃で撃たれたはずだ、何故……傷が塞がっている?」
「こちらの方で手当てをしました。何事もなく、これから動けるはずです」
「ここは何処なんだ。僕はどうなった?」
「この施設はロシアにあります。え……と、疑問に感じる事が多いと思いますが、貴方の生まれたロシアとは違って、安全な場所ですのでご安心ください」
いや、待て。長い間日本にいたから、つい日本語で話してしまっているのに、会話が成立している。……どういう事だ? 僕が日本語を話せると知っていているのか? 目の前にいるヴィーナという女は、どう見ても日本人には見えないし……かと言ってロシア人にも見えない。ロシアに日本語を話せるロシア人では無い人間が何故いる。この子供部屋みたいな場所は何なんだ……頭が痛くなってきた。
「喉が渇いたんだが、水をくれないか?」
「水ですね。わかりました」
数分経って、ヴィーナと名乗る女が水を持って来た。待っている間、ドアを確認した。開く気配は無かった。思ったよりもハイテクな施設なようだった。
コップに水を注いでもらった。毒が入っている可能性もあったが、死んでも構わなかったし、一気に飲み干した。
「具合はどうですか?」
「大丈夫だ。問題無い」
「あの、五分ぐらい経ったら、直接脳に情報を送ります。……少し頭が痛くなるかもしれませんが、心配ありませんのでそのままお待ちください」
「……?」
そう言って、ヴィーナは席を外した。
部屋には古びた振り子時計があった。
ドアは頑丈な造りに対して、中は遊具やアンティークな家具で満ちていた。
何なんだこの場所はと思いながらも、僕の視線は催眠術を受けるかのように、時計の振り子に釘付けとなった。
「……!! ぐぁああああああああああああ!」
頭が割れるように痛い。脳裏に大量のイメージが注がれてくる。
西暦二八二二年、女性達が闊歩しているロシアの街並み、男性と女性の人口比率のグラフが浮かび、みるみる内に男性の人口数が減っていく。染色体を研究している女性の科学者達。傷だらけの僕が何かの装置から運ばれていく。手当てを受けた僕は飛行機で運ばれ、この施設の子供部屋みたいな場所へ。カレンダーは一月一日から七日まで数字が進んでいく。
「……っ。……あああああああああ」
フェイントで第二派が来た。この施設の見取り図が脳裏に焼き付き、深夜、明かりの見えない中で、この部屋のドアが開く。まるで逃走経路を示すかの様に矢印が伸びていく。
「大丈夫ですか?」
ヴィーナが慌てて、部屋に入って来た。
「……何なんだ、この痛みは」
「どうですか? 今どうなっているのか、わかりましたか?」
「わからない。何もわからない。何が目的だ。殺すなら一思いに殺ればいいだろう!」
「ええええ……。私達は、貴方を殺すつもりはありません……!」
……私達?
複数いるのか。
「今日は出直します。監視カメラが設置されてますので、くれぐれも自害とかはなさらないで下さい」
そう言って、ヴィーナは部屋を後にした。
その日の夜。
ドアの開くイメージが頭から離れなかった。
監視カメラがあるなら、逃げる事は不可能だろう。
そう思いつつドアに近づいて触れると、自動で勢いよく右に開いた。
その瞬間、部屋の監視カメラが別の画像と入れ替わるイメージが湧いた。
……もしかして、逃げられるのか?
僕は暗い通路に足を運んでいった。