141 風来坊
春希と美春をテレビで見たのは、十一月に入ってからだった。その間、関東を転々と渡り歩き、悶々としながら使わずに貯まっていったお金を切り崩して生活をしていた。やはり、二人のテレビ出演の件はずっと気になっていた。探偵事務所に関するテレビ番組をチェックしながら、当てのない日々を過ごしていた。
放送はネットカフェで見た。
春希は緊張した様子で取材を受け、美春の方は舞台慣れしている事もあってか自然な対応だった。放送中、ロシア人の従業員が休職中である事や、美春が赤毛にした理由、母子家庭の依頼を無料枠で受けるといった「母親」というワードをふんだんに盛り込んだ内容になっていた。そして放送終盤に従業員募集も行っていた。事務所を大きくしたいようだったし当然の流れだろう。僕の代わりはいくらでもいる。無断で出て行った僕に文句を言う筋合いは無かった。全く寂しくないといったら嘘になるが、放送を見た後に、僕がいなくても順調にやっていけそうな雰囲気を醸し出していた事について、安心感が少なからず湧いた。
ぼんやりとホットコーヒーを飲みながら、僕は大佐の資料を手に取った。今の今まで見る気分になれなくて放置していたが、気持ちに一区切りがついた所で、やっと見る気分になれた。
資料を見てみると、パパーニャ大佐の経歴が年表順に表記されていた。丁寧な仕事だ。流石に女装癖の事は書かれていなかったが、よく調べたなというくらいに事細かに書かれていた。
途中まで読む限り、大佐の経歴を調べた意図がよくわからなかった。そう、最後の一文を見るまでは。
「二〇〇六年、パパーニャ死去……ははっ……」
大佐は八年前に亡くなっていた。
乾いた笑いが出た。
僕を縛る依頼はとっくのとうに無かったのだ。
僕はもう自由だった。
でも何故だろう、この胸を竦む虚無感は。
それから数日の間、場所を問わず、事ある事に大佐の資料を見た。もう中身はわかっているのに繰り返し読んでいた。春希と美春が調べて残してくれた資料だから、特別気になってしまうのかもしれない。
育ての母に出会ってから、要求や依頼が途切れた事は無かった。無ければ自分から求めていた。勉強や掃除の手伝い、射撃訓練、スパイ学校での訓練、スパイとしての仕事、大佐から依頼、ビヨンドからの頼み、探偵の仕事。誰かの頼みや依頼を受ける事が性に合っていた。だから誰からも必要とされていない状況が落ち着かなかった。
何かを頼まれたい。依頼を受けたい。それがグルグルと頭を駆け巡った。
寒空の夕暮れ、風が強い橋の上で、大佐の資料を片手に空を見上げた。
「兄さんに……会いたいな」
今会いに行ったら迷惑をかけるかもしれないと考えつつも、段々とその気持ちが膨れ上がってくる。育ての母を殺した奴をまだ捕まえられていない不甲斐なさで迷う所ではあるが、会いたい気持ちが鋭さを増していった。僕に残された思いは、もう兄さんしかいない。兄さんに会えば、きっと何かしら頼ってくれるかもしれない、生きる目的をくれるかもしれない。
そう考えた瞬間に手が緩み、手元の資料が風に飛んで舞い上がっていった。
ヒラヒラと舞う四枚の紙は、儚く息絶えるカモメのように川の水面に不時着して吸い込まれていった。拾いに行こうとする思考の間もなかった。
「もう、日本を離れよう」
僕は意志の赴くままに、羽田空港へと向かった。