134 泥棒猫
まだ遠くに行ってはいないはずだ。
僕は美春を追って新宿の街を駆け抜けた。
確定した訳ではないが、十中八九、犯人は彼女だ。
最初から窃盗目的だったのだろうか。何故携帯電話を奪ったのだろうか。もしかして春希と共犯の窃盗グループだったのか、などという考えがグルグルと頭を巡っていた。
肝心の美春は新宿の駅前付近にいた。人の多い場所だが、目に留まりやすい場所だった。彼女は僕を見つけると笑顔で手を振った。警戒心の無い様子をみせているが、安全な場所を選んでいる。春希との一件もあり、油断は出来ない。
「僕が何故君を探していたのか、わかるか?」
探りを入れた。
もはや元恋人という情報も疑わしい。
「私が可愛いから忘れられなくなったとか?」
「残念だが、強気な女性はタイプじゃない」
本音だ。
「じゃあ、何しに来たのよ」
「君こそ、誰を待っているようでもなさそうだし、何をしている」
「何だっていいじゃない? ……もしかして何か物を無くしたの? なら交番に行きなよ」
痛い所を突くな。
だが、今のではっきりした。
携帯電話を取ったのは美春だ。
「僕は日本の地理に詳しくない。君が交番まで案内してくれ」
僕は美春の手を掴んだ。
普段ならこんな強引な行動はしないし、本気で交番まで案内してもらうつもりもない。単純に状況をかき乱されて、イライラしていただけだった。
「きゃっ……」
美春は驚いたように小さく声を出したが、嫌がっている様子はなかった。
「あの……オズさん、やっぱ近くで見るとかっこいいですね」
「……は?」
「ごめんなさい、携帯電話ですよね」
「あぁ……そうだ、返してくれ。ちなみに春希とグルでスリを働いた訳じゃないよな?」
「アイツは関係ないです。少しオズさんと二人きりで話がしたくて」
「もしかして……スリ師なのか?」
「違います違います」
美春はキョロキョロしながらおどけていた。スリという言葉が気になったのか、位置を移動しようと提案してきたので、人通りの少ない路地に移った。
「私、地元で手品や大道芸してたんですよ。だからこういうの得意なんです。春希からルパンの話は聞いてませんか?」
「……聞いてはいる」
「アイツ、馬鹿ですよね。ルパンみたいになりたいとか言って、探偵の仕事を手伝ってたんだもん。でもそんな馬鹿に感化されちゃって、私もルパンに出てくるフジコみたいになりたいと思って手品師になったんです」
「……フジコ?」
「フジコは、ルパンにとって恋人のような、天敵のような関係で、ルパンと同じように彼女も泥棒家業で各地を転々と活動してるんです」
「でもそこは泥棒にならずに手品師なんだな」
「そうですね。流石に犯罪は……。何て例えたらいいかな、シャーロックホームズは知ってます? シャーロックホームズにとってのアイリーンに近いかな」
「それは、何となくわかった。取り敢えず携帯を返してくれ」
「条件があります」
このごに及んで何なんだ。
「なんだ、言ってみろ」
「私と付き合って下さい」
「……? すまん、よく聞き取れなかった」
「だから、私の恋人になって下さい」
……恋人?
どうゆうつもりなんだ。
春希を追って上京してきたんじゃないのか?
「意味がわからないみたいな顔してますね」
「当たり前だ。春希と復縁したいんじゃなかったのか?」
「そうなんですけど、本人と直接話をして、全くその気がないのがわかったので」
美春は軽い口調で話ながら、携帯電話をポケットから取り出し弄り始めた。
「何をしている」
「まだパスワードかけてないんですね」
「おい、見るな」
「恋人になってくれないなら、このPAPAって名前の人に電話かけちゃいますよ」
PAPAの連絡先はパパーニャ大佐の連絡先だ。
まさか携帯電話を掏られるとは思っていなかったから、不用心にも登録してしまった。何て馬鹿な事をしてしまったんだ。この短期間の間に、ここまで日本人の平和ボケが移ってしまったというのか。日本人を甘く見ていた。
……というか、春希も美春も思っていた日本人のイメージと違う。
「やめろ、死ぬぞ?」
もし電話をかけて、問題が起きた時に死ぬのは僕の方か……。
「えっ、お父さんそんなに怖い人なの?」
「父親じゃない。元……上司みたいな相手だ」
美春は何かを察したようで、携帯電話を閉じた。
「……さぁ、返してくれ」
「嫌です。付き合って下さい。私……そっちの人でも構いません」
「僕はゲイじゃない」
「あ……ゴットファーザー的な何かかと思ったんだけど……」
「……」
ゴットファーザーといえばマフィア映画か。
そっちってゲイじゃなくて、元マフィアの方か……紛らわしい。
「勿論ゲイだなんて思ってませんよ。春希にそそのかされたんですよね」
「……あぁ」
「……知ってます? フジコは色んな男を手玉にとって弄ぶんです。貴方を利用して、春希を嫉妬させたいんですよ」
「僕をダシに使うのか?」
「オズさん経験豊富そうだし、硬派な恋愛は嫌かなって思って。別に体の関係だけでもいいですよ」
「……怒るぞ」
「何方にしろ、私の一目ぼれは事実なんですよ。貴方がゲイでも元マフィアでも関係ない。私は貴方の恋人になりたいんです。日本には据え膳食わぬは……なんとやら? ……って、ことわざがあるんです。受け入れて下さい」
「据え膳食わぬはなんとやら?」
「あ、なんとやらは別の言葉が入ります。後でググって下さい」
日本語は難しいな……。
「あぁ、わかった」
「オズさん……人探しで日本に来たんですよね。長期滞在するなら日本人の彼女がいた方が便利ですよ。家は私の借りる所に住めばいいですし。お互いに相手を上手く活用しましょうよ」
日本人の彼女がいた方が活動しやすいのは確かだ。
それに彼女がいた方が、一々ゲイだと疑われずに済む。
美春の言う通り、付き合った方が僕にとっても都合がいい所ではあるが。
「はい、これ」
美春は僕に携帯電話を差し出した。
「携帯は返しますが、記憶は消せませんよ。良い返事、待ってますね」
そのままの日本語を理解すれば、何気ない言葉を返されたと思う所だが、半分脅しも含まれているという事は理解出来た。
戸惑っている状態の僕をよそに、美春は笑みを浮かべて新宿のネオン街に消えていった。