126 シュガーレスディナー 『〇』
モスクワ市内のビルの一角にある高級レストランにて、空港理事のイトコイと兄さんの食事会が行われた。彼らは向かい合いながらナイフやフォークを器用に扱い上品にステーキを食べていた。レストランで食事をする客層は富裕層が多く、兄さんが緊張している様子が遠目でもわかった。僕はその間に割り込んで、兄さんの隣の席にサッと座った。するとイトコイの食事の手が止まった。
「何なんだね、君は」
見下すような視線が伝わってきた。
「彼の弟です。兄さんがお世話になったとの事でご挨拶に、と」
媚びを売るつもりはなかったので、太々しい態度、服装で対応した。
「……弟? お前弟がいたのか? 似てないな」
「はい。血は繋がってないんですよ」
イトコイは僕らの見た目が似てない事を不審そうに見ながら、僕に質問をする。
「君、名前は?」
「オズです」
「職業は?」
「現大統領が昔やっていた仕事……と言えばわかりますか?」
考え込むイトコイ。
「いや……わからんな。はっきりと言いなさい」
「口外出来ない仕事なんですよ」
半分正解を言ってしまったようなものだが、この男に知られても問題ないだろう。
「それなら仕方がないな」
踏み込んで来ないか。まぁ、自分も知られたくない事があるもんな。
「パパーニャ大佐はご存知ですか? 彼の依頼を遂行するのは、いつも骨が折れました」
「……軍の大佐と知り合いなのか?」
「はい」
大佐の名を出した途端、怯える様に動揺しはじめた。わかりやすい男だ。大佐の女装癖を知らない人間にとって、彼は恐怖の対象でしかないか。
「……嘘じゃないだろうな?」
「信じて頂かなくてもいいですよ。その方がありがたいですしね」
「そ、そうだ。ビヨンド……ここをやめてどうするつもりなんだ?」
イトコイは僕から兄さんに話す相手を変えた。
「アメリカで修行を積んで、レストランを開こうと思っています」
「今からレストランなんか……大丈夫か? まだここで働く気はないのか?」
「……戻る気はありません」
イトコイは困った様子で携帯電話を手に取った。
「社長もお前の事を心配してたぞ。今、電話繋いでやるから……」
……面倒だな。
僕は立ち上って、イトコイの携帯電話を奪い電源を切った。
「……君っ! 何をするっ!」
「兄さんの気持ちは変わりませんよ。僕も仕事をやめて兄さんの仕事を手伝うつもりなので」
「口外出来ないような、仕事をやめれるのか?」
「大佐が便宜を図ってくれました」
「た、大佐が……?」
「信用出来ないなら大佐と電話しますか? 大佐と電話を繋ぎますが」
「いや……いい」
僕はイトコイの携帯電話をテーブル中央に置き、再び席に座る。
「申し訳ありませんが、兄と退職祝いをしたいので、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」
「オズ君といったか……君のお兄さんとは大事な話があるんだ。君、ガールフレンドはいないのか? ハンサムだし、おモテになるでしょう。彼女がいるのであれば、彼女と過ごされてはいかがかな?」
僕を外しにきたか。
「あいにく今、彼女はいないんです。長続きしない事が多くて」
「そうだビヨンド……! お前は付き合ってるいる女はいるのか?」
「い、いえ……」
「そうだ、私の娘を紹介しよう! きっといい関係になると思うぞ!」
何が何でも横領の件に取り込む気か。
キリがないな。
「兄さん、もう行こう」
僕は兄さんの手を掴んだ。
「……待て。もしかしてお前ら……血が繋がっていないと言っていたし、そういう関係なのか? お前達はゲイなのか?」
手を繋いだぐらいで……とは思ったが、引き留める為に言ったのだろう。……だとしても、ゲイを駆け引きの材料に使われた事に、もやもやするものを感じた。怒りのような何か。そう何かだ。
「僕らがゲイだと、何か問題でも?」
少し声が大きかったが、構いやしない。どうせこの国を出るのだから。
「わが国で同性愛は法律で禁じられているんだぞ。知らないのか?」
「ええ、知っています。そんなのは常識ですよ」
「こ、この事は黙っておいてあげよう。私は寛大だからな。ゲイは何処に行っても生き辛いぞ。うちに残れば、私や社長が守ってあげられる。どうだ?」
「……例えば、例えばですよ。僕や兄さんがゲイだとして、その秘密を知った人間がいたとしたら……生かしてはおけないですよね」
「……えっ?」
「次の日辺り、湖にぷかぷか浮かんだ屍になっていると思います」
「い、いや待ってくれ」
「……冗談ですよ。僕も兄さんもゲイじゃないです。僕が兄さんを大好きなだけです。良かったですね、僕らがゲイじゃなくて」
「……あ、あぁ良かった」
「僕は職業柄秘密を守るのが好きなんです。秘密は守る為にあると思いません?」
「そうだな、秘密は守る為にある」
「だから仮に、貴方達が如何わしい事をしても、秘密を口外する事はしません。ですから貴方も僕達のこれからを応援して頂けませんか?」
「そりゃ勿論、応援しているぞ」
「流石、出来る男は違いますね」
「……それほどでも……ないよ」
「では失礼しても、よろしいですか?」
「……」
無言になったイトコイに、兄さんは声をかけた。
「今までお世話になりました。俺、向こうでも頑張ります! ……それでは失礼致します」
「あ、あぁ……向こうでも頑張れよビヨンド」
やっと折れてくれた。ここまで踏み込んで言う必要はなかったが、少し腹が立ったのかもしれない。でも釘をさしておく事に越した事はない。
イトコイとの食事会を終えた僕達は、生まれ故郷のロシアを離れ、アメリカへと旅立つのだった。