125 汚れたスカイライン
互いにシャワーを浴びて一息ついた後、ビヨンド兄さんが言っていた大事な話とやらの話題になった。
「大事な話があると言っていたが……何かあったのか?」
「実は……」
兄さんは言い辛そうな表情で、言葉が中々出てこない様子だった。
「……言いにくい事なら、無理に言わなくてもいいぞ」
「いや、だ丈夫だ。実は……会社で横領の手伝いをさせられている」
暗い表情をしていると思ったが、気のせいではなかった。
よく見れば目のクマも深いし、やさぐれている。相当悩んでたんだな。
「上司が横領している事に気が付いた。それで、機会を見て社長に相談してみたんだ……でも」
「……グルだったのか」
「そうだ。俺は逃げ場がなくなった。仲間に引き込まれた。どうしようもなかった……」
兄さんは髪をクシャクシャに掻き、酒をグイッと飲み干した。シェメレーチェ空港で働き始めた頃は輝いて見えたが、気付けばその輝きは失われていた。
「……なぁエーデル、やっぱ生まれや育ちが悪いと抜け出せないのか? この地獄からっ! ただ、普通に生きたいだけなのに!」
「抜け出せるよ。兄さんなら」
気休めにしかならないけど、自然と嘘が口から零れ落ちていた。
「上司は俺が清掃員の時に声をかけてくれて、俺を社員に引き上げてくれた人なんだ。……俺は社長に口添えしたのに、仲間になれば許してくれると言って許してくれた。もう裏切れない。……それに報復が怖い。ママの写真……あの写真を見たら俺もあんな風に死ぬんじゃないかって思った。俺はあんな風に死にたくない。……怖い。何で俺達ばかりこんな目に遭うんだ……」
ママの死と、横領の件は無関係だと思うが、兄さんにはそれが頭の中で重なっていた。自分も同じ目に遭うのではないかと。
身元不透明な清掃員から正社員に引き上げたのは、もしかしたら最初から横領の手伝いをさせる為だったのかもしれない。恐らく敢えて横領の現場を目撃させたのだ。だとすれば、悪質極まりない。
「……ビヨンドは、どうしたいんだ? そういえば、ビヨンドはどうして空港で働こうと思ったんだ?」
「俺はこの国を出たかった。それに一番近いのがあそこだと思った。……それで今、高飛びしようと思ってる。……なぁ、エーデルも付き添ってくれないか?」
「僕も偽造パスポートを作ったら、この国を出る。だから一緒に国は出れるけど、パスポートを作るのに少し時間がかかるから……空港での仕事はやめる事を伝えて、やめるまで職務を全うしたらどうだ? 高飛びしても裏から手が回るだろうし、ロシア一帯の空港を今後利用し辛くなるのは困るだろ?」
「……そうだな」
「どこに行く気なんだ?」
「アメリカがいいかなって」
「どうしてアメリカなんだ?」
「覚えてないか? モスクワで食べたハンバーガー。あれがすげぇ美味かったから、本場アメリカのハンバーガーを食いたいなって」
「そうだな。僕も食いたい」
「でも普通に退職するにも一か月はかかるし、俺、耐えられるかな」
「もし不安なら、ビヨンドが会社をやめるまで僕が見張るよ」
「……ありがとう。エーデルがいてくれて本当に良かった。初めてママが連れて来た時は、何も知らない子供が可哀想にって思ってた……。お前……いい男になったな。俺が女だったら惚れてたかもな」
「……何言ってんだよ」
思わず笑ってしまう。でも元気になってくれたみたいで良かった。
酒を飲んで座り込んでいた兄さんは、数分後寝息を立てていた。
僕は深い眠りにつかないように気をつけながら、小まめに意識を落とした。
後日パパーニャ大佐から電話がかかってきた。前金をもう振り込んだという話だった。僕はいいタイミングだと思い、パパーニャ大佐にシェレメーチェ空港の事を尋ねた。勿論、横領の件は伏せる。
大佐の話によると、シェレメーチェ空港を含む主要空港の国際的なイメージをクリーンなものにする為、近々政府機関の介入が入るらしい。……となると横領の件が片付くのは時間の問題だと思われた。横領は政府機関が主導している訳ではない。であれば、個人的にある程度介入しても、問題がないと思った。
大佐、やけに協力的だったな。
ママを殺した犯人ではないのかもしれない。
大佐の電話から数日後には多額の金が銀行に振り込まれていた。数年は暮らしに困らないほどの大金だ。口止め料も含まれているだろうが、スパイとしての退職金のような感覚が僕の中ではしっくりきた。
僕は兄さんが会社をやめるまでの一か月間、車で送り迎えをした。
その間にパスポートが出来た。パスポート表記の名前は「オズ」。ママがスパイとして活動していた時のコードネームだ。
退職前日、ビヨンドが直属の上司から食事に誘われた為、僕も無理やり付き添う事にした。