123 疑惑の写真
「これはどうゆう事だ? ママは死んだのか?」
「……写真の裏も見てくれ」
写真の裏にはロシア語でこう書かれていた。「ママは僕だけのもの。エーデルより」と。
「エーデル……お前がやったのか?」
ビヨンド兄さんにそう言われたが、その事について動揺はしなかった。……というより、あれだけ強かった育ての母の死をそのまま飲み込む事が出来ず、兄さんの言葉は半分しか届かない状態だった。
「いや僕じゃない。そもそも僕だと思うなら、この写真を僕に見せてないだろ?」
「……そう……だな」
「それよりも、いつもと変わった様子はなかったのか?」
「もう一年近くは会ってない。旅行に行くと言ってから音信不通になった」
兄さんはバツが悪そうに話した。
「僕が渡したお金は? 何故その時に言ってくれなかった?」
「実は……お前のお金をママに渡そうとしたら、ママは受け取らなかったんだ。お前達の好きに使いなって」
ママらしいと言えばママらしいが……。
兄さんと話している最中、携帯電話が鳴った。
少佐から昇進して大佐になったパパーニャからの電話だっだ。
「悪い、呼ばれた。この写真預かってもいいか?」
「あぁ、それより今夜会えるか? 大事な話がある」
「わかった何処で会う?」
「俺はここで待ってる」
「わかった」
僕は空港を後にし、パパーニャの元へと向かった。
大佐の部屋に行くと、パパーニャは窓の外を見ており、僕に背を向けて立っていた。部屋中央には、膝丈ほどある高さの木製テーブルの上に写真が置かれていた。写真を見ろと言わんばかりの配置だ。
写真を手に取ると、兄さんが所持していた写真とほぼ同じだった。裏も同様に「ママは僕だけのもの。エーデルより」と書かれていた。
「何か言いたい事はあるか?」
パパーニャは此方を向かずに話した。
今まで怖い相手だと思った事は無かったが、状況が切迫していた為か、自分でも焦っているのを感じていた。パパーニャの経歴を改めて考えれば、軍の少佐からスパイ養成学校の教官、そのて大佐への昇格という華やかな道を歩んでいる。しかしその足跡には血塗られた過去もあった。彼は少佐時代にソ連政府側につきながら、直接手を下しにくい事案には、殺し屋に仕事を斡旋していた。そしてソ連崩壊に一役噛んでおり、ロシア再建に上手く入り込んでいる。実に恐ろしい男だった。本当であれば、僕が簡単に話せるような相手ではない。女装癖があると知っていた為か、相手の弱みを握っているという感覚があり、心の何処かで見くびっていたのかもしれない。
「……実は同じ写真が身内にも届き、今所有しております。その時に彼女が死んだ事を知りました」
「……彼女? ああオズの事か。いや、お前が殺したとは思っていないよ」
「オズとは?」
「知らないのか? お前の育ての親がスパイとして活動していた頃のコードネームだ。彼はとても優秀なスパイだったよ。まるで魔法使いのように人を葬っていた。……そして何時の間にか姿を消したと思ったら、女になって帰って来たから驚いたがな」
「そう……でしたか」
「一つ尋ねるが……お前は私の秘密を知っているのか?」
返答に迷った。
恐らく女装癖の事を言っているのだと思った。
隠しておきたいなら、言わない方がいいが……。
「……知っています」
ここは下手な嘘つくと逆に信頼関係が崩れると思い正直に答えた。
「やはりな。訓練生時代のお前は私に恐れをを抱いていなかったから、知っているのかもしれないと思っていたよ。オズは息子達に話していたのか……でも今はやっとらんよ。年も年だし似合わんからな。そう言えば……お前には血の繋がらない兄弟がいたな。その男は知っているのか?」
「知らないと思いますが、それが何か?」
「念の為聞いた。こういう事が知られると立場が危うくなるのは……わかるな?」
「心得ております」
「話を戻すが、実はオズには定期的に見張りをつけていた。その部下からの連絡が途絶えた。写真の裏に書かれていた字は後で筆跡鑑定させるが……恐らく私の部下の字だ。もうこの世にいないだろう」
「別の人間に書かせたなら、犯人の特定は難しいでしょうね」
「私もお前もお前の兄弟も、オズを殺した可能性はあるし、動機もある」
何を言いだすのかと思ってヒヤリとした。
確かに、パパーニャにはママを殺したいと思う動機があった。
ママはパパーニャの女装癖を知っており弱みを握っていた。そして写真の裏に書かれた内容で女装癖を知っている僕を窮地に追い込めば一石二鳥となる。一応、話の筋は通る。しかし、大佐の焦点の定まらない深みのある淀んだ瞳からは、殺意を感じ取れなかった。何か人生を達観したような瞳だ。思惑は別にあるのだろうか。
そういえば、さっきから兄弟を気にしているようにも感じる。
もしかして、ビヨンド兄さんを疑っているのか?
モスクワの空港で働いているし、海外にも飛びやすい。だが、兄さんは人を殺せるような男ではないし動機が無い。
「もしかして、僕の兄弟を疑っているのですか?」
「どうした? らしくないな」
「……?」
「安心しろ、私は出世にしか興味のない男だ。お前達が私の邪魔をしなければ、私の方から手を下す事は無い」
「……はい」
パパーニャから見て、僕は焦っている様に見えているのか。
思った以上に動揺しているのか……僕は。
「どうだ? オズを殺した犯人の目星はついたか?」
「現状は……全く」
「そうか、まぁいい。……これは個人的な依頼だ。オズを殺した奴を消せ。何年かかってもだ。奴は私の秘密を知っている可能性が高い。SVRにはもう話を通してある。よろしく頼むぞ、エーデル・スターリン」
大佐は僕の肩を叩いて強く握りしめた。
僕は一礼をし、大佐の部屋を後にした。
兄さんの待っている空港へ車で向かう最中、兄さんが大佐の女装癖を知っているのかどうかが気になって頭から離れなくなった。もし知っていれば、大佐は兄さんを消しにかかるかもしれない。
兄さんは、大佐の秘密を知らないよな?
……知ら……ないよな?
「……兄さん、無事でいてくれ」
ハンドルを握る手が汗で滲む。
崩れた天候からフロントガラスに飛び込む雨粒が、只々不安を駆りたてた。
僕は空港まで急いで車を飛ばした。