121 テトリスインフレーション
千九九一年、僕達にとって忘れられない年。ソ連が崩壊した年だ。
アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、エストニア、ジョージア、カザフスタン、キルギス、ラトビア、リトアニア、モルトバ、タジキスタン、トルクメニスタン、ウクライナ、ウズベキスタン、そしてロシアの十五の国に別れ、僕達の国はロシアと呼ばれるようになった。物価が高騰し、紙幣価値は下がり、ハイパーインフレが起きる。あの時期の目まぐるしい変化は、今でも大変な時代だったように思う。国民は貧困にあえぎ、僕達もその波に影響を受け、ママの仕事が無くなった……のだが、この流れはママの予想の範疇で、食料や物品の備蓄があった為、生活が急激に困窮する事はなかった。
彼女はソ連が崩壊すると読んでいたのだ。
今まで彼女に仕事依頼をしていた人物は、ソ連の軍隊の少佐で、大本の依頼主はソ連政府の関係者だという事。だから政治に関する情報をいち早く知る事が出来たのだ。この軍の少佐は、彼女の旧友らしく、オカマという事で仕事を仲介するという形をとっていたらしい。ソ連という国はセクシャルマイノリティを許さない国で、罰則がある。その為にこの形態を取らざるを得なかった。そこで少佐にオカマという事を知られて大丈夫なのかという問題だが、この少佐には女装癖があり、オカマと女装癖というお互いの弱みを握り合っている関係性にあった。
今まで彼女は反政府の人間達を処刑してきた訳だが、一方でソ連崩壊を牽引している軍の人間達と裏で繋がっており、仕事をセーブしていた。言わばソ連崩壊は彼女と少佐にとっては思惑通りだったのだ。
暫くしてビヨンド兄さんが職を探しに外へ出た。数か月後には働き始め、兄さんの初給料でモスクワ第一号店のバーガーショップで食事をした。開店当時は五千人の行列が出来たほどの人気で、ソ連崩壊後も人で賑わっていた。三十分ほど行列に並んで食べたハンバーガーは幸福の味がした。その時の僕は、兄さんが何の仕事をしていたのか知らなかったが、とても生き生きとして見えていた。
多忙な兄さんと対比して、仕事が無くなり時間を持て余していたママは、僕に拳銃の扱い方を教えてくれるようになった。合わせて格闘術や様々な知識を身につけた。彼女との会話は増え、その過程で多彩な過去も知った。
彼女は元々ソ連政府に所属していたスパイで、若かりし頃の彼女は、自慢の赤毛が目立たない程の短髪だった。当時の写真を見た感想を言うと、周囲とは浮くぐらいの美男子だった。彼女はセクシャルマイノリティの差別に対してとても敏感で、自分のセクシャルの事を誰にも話さなかった。コンスタントに政府から依頼をこなしてる最中に姿を消し、胸にシリコンを入れる手術をして、徐々に今のスタイルに落ち着いたらしい。局部を取らないのは男性ホルモンの減少による筋力低下を抑える為。今後も何かしら屈強な男達と戦う機会があるだろうと、局部を切除する選択は取らなかった。一見、派手な赤毛の女性にしか見えなくなった彼女は、スパイ時代の後輩であった少佐を女装癖の件で交渉し、仕事を得ていたのだという。
そのソ連の軍隊の少佐、名はパパーニャというのだが、四年後、僕のスパイ養成学校の教官になっていた。僕は二十歳になった時に、スパイ養成学校に入学する事になり、そこに教官にパパーニャがいたという流れだ。特に目標や就きたい職もなかったが、働きたいという気持ちはあった。輝かしく働いているビヨンドに少なからず影響を受けていたのかもしれない。
パパーニャは強面だったが、女装癖がある事を事前にしっていた為か、僕は全く怖いという印象を受けなかった。心の隅に相手の秘密を握っているという、優位に立っている余裕みたいなものはあったのだろう。壮絶な試験や訓練も苦ではなく、あの掃除を手伝っていたせいか、死体慣れしていて死に対する恐怖も薄く、生徒の中でも上位の成績で卒業していた。
二十四でSVRという海外担当のスパイ組織に所属し、二十五でイギリスへの諜報活動の為、ロシアを離れる事になった。
僕が国を出る前日に、僕とビヨンド兄さんとママで軽い食事を交わした。全員成人していたのでビールを嗜んだ。酔いが進んだビヨンドは饒舌になり、僕とママはジョッキを片手に静かに聞いてた。その時にシェレメーチェ空港で働いている事を知った。当初は清掃員だったらしいが、この時点で正社員として働いていた。
ママはというと、いつか日本で生活してみたいと言っていた。日本には伝説のセクシャルマイノリティ、ミワという人物がいるらしく、会ってみたいと話していた。元気そうで何よりだった。
住み慣れた家を出る時、ママが僕を見送った。何処となく小さく見えたママは、実の息子を見送るような優しい笑顔をしていた。高飛車な様相の女は何時の間にか落ち着いた雰囲気を醸し出すようになっていた。何人もの人間を騙して殺めてきた人間とはとても思えなかった。これからは僕が当時の彼女と同じ道を行くのだ。
「エーデル、元気でやりなよ?」
「ママもお元気で」
僕が元気な彼女を見たのは、それが最後だった。