112 伝書バト
「ゆきひと……」
「……」
「ゆきひとっ! 私を見てっ!」
男はソフィアの顔をまともに見ることが出来ない。
ソフィアにとってヴィーナは大切な姉。
その姉の立場を滅茶苦茶にしてしまったのだ。
罵倒されても仕方がない。
「私……アンタのことが嫌いだった。汚い社会なんて何もしらないような能天気面で、見ていてムカついてた。お姉ちゃんと私の間に割って入ってきて、どれだけイライラしたことか」
男は何も言い返せない。
「アンタさ。今でもお姉ちゃんのことが好きなの?」
「……」
「言え! 言わないとぶっ殺すぞっ!」
「……好きだ。やっぱ俺はヴィーナのことが好きなんだ……」
その言葉と共に男の目頭が熱くなった。
「……だったら諦めてんじゃねーよ! ……めげてんじゃねぇ!!」
男の瞳孔が開いた。ソフィアの言葉は男にとって思いがけない言葉だった。嫌われていると思っていたし、罵倒されると思っていた。
「だから負けるな! 負けるんじゃねぇ!」
男は顔を手で覆った。
込み上げてくるものが抑えきれない。
「お前、そんなことで終わるタマじゃないだろっ!」
男の手の隙間から大粒の涙が零れた。感情が溢れ出てくる。惨めで情けなくて消えてしまいたかった。もう生きていたくなかった。死んでしまいたいたかった。もうどうなってもいいと思った。頑張っても上手くいかなかった。努力しても報われなかった。好きな人と一緒になれなかった。出会った人達の気持ちを裏切ってしまった。全てが崩れてしまったと思っていたはずなのに。
ソフィアの言葉が沁みる。心がどうしても熱くなってしまう。
「ゆきひとっ! 負けるなっ!」
男の声が漏れる。
耐え切れずに声を出して子供のように泣きじゃくってしまった。
堰を切ったようにわんわんと大泣きしてしまった。
「……負けるなっ!」
ソフィアは目を拭う。
泣き崩れる男を見て涙をもらっていた。
「……私が言いたかったのはそれだけ」
ソフィアは男に背を向ける。
そして静かに歩を進めた。
「ソフィア! ソフィア……ありがとう」
ソフィアは一度足を止めたが、振り向かずにそのまま部屋を後にした。
その足を止めた一瞬、男にはソフィアが微笑んだように見えていた。
男の体に力が宿った。握りしめた拳が固くなっていく。
次の目的はもう決まっている。
男もまた、始まりの場所を後にした。