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109 喪失の巣

 午後十時半。

 数時間倒れ込んでいた男はゆっくりと起き上がってとぼとぼと歩き始めた。

 行く当てはない。

 結局元いた場所に戻るのだ。

 

 後二週間どうやって過ごせばいいのかと、男はぼんやりしながら考えていた。

 全てがどうでもよくなっていたはずなのに、一つ一つ悩みの種が増えていく。

 謝ろうか、それとも話さない方がいいのか。

 現時点では夫婦だから、強引に攻めた方がいいのか。

 ふと浮かんだのは、今までの恋愛経験。

 何度か異性と付き合い、その度に振られていた。

 彼女達との別れはすんなりと受け入れられたのに、今回は何故ダメなのか。

 人の気持ちは変わるし、最初から恋愛感情というものを信じていなかった。

 恋というのは一時的な感情。

 そう高を括って彼女らを見ていた。

 好きだと言っても、結局は冷めてしまう。

 母親のように恋に狂った女が嫌いだった。

 だから恋人との別れに寂しさなど感じた事がなかった。

 でも今はどうだ。

 好きな女に意識の全てを奪われている。

 自分の話を聞いてほしい。

 自分をもっと受け入れてほしい。

 ずっと一緒にいたい。

 抱きしめたい。

 溢れ出るこの想いは何なのか。


「そうか……今まで俺は本気で誰かを好きになったことがなかったのか……」


 男のイメージに淡い光が瞬いた。

 その光は果てしなく遠く手には届かない。

 気づいた時には、体からすり抜けて空高く飛んでいってしまった。


 これは罰なのだ。

 人を試し、別れた恋人にそっけない態度をとっていた。

 それが今自分に返ってきている。

 誰かを好きになること。

 誰かを愛するということ。

 わからないことを誰かのせいにしていた。

 今まで過ぎ去った人達の気持ちを、もっと汲み取ってあげられたら良かった。

 もっと考えてあげられたら良かった。

 後悔しても全ての思い出は空しさと共に消えてゆく。

 離れた人間はもう戻らない。

 戻らないのだ。


 家の明かりがついている。

 屋内にいる女が男の帰りを待っているのだろう。

 歩行の安定しない男は、何も気に留めずに玄関のドアを開けた。

 案の定、女は座り込んで男の帰りを待っていた。

 

「おかえりなさい」


 男を見て立ち上がった女は、何事もなかったかのように微笑んだ。


「ただいま」


 玄関のドアを閉めて靴を脱いだ男は、暗い表情で返した。


「ゆきひとさん……私、貴方に好きだと言われて嬉しかった。残りの時間も大切に使いたい」


「……うん」


 男の言葉に力はない。

 女の言葉が本心に聞こえなかった。

 

 【好きだと言われて嬉しかった】


 【私も結婚生活を続けたいです】


 全てが嘘に聞こえる。


「結婚生活を続けている間は、貴方の妻でいることに徹します。今だけは貴方の全てを受け入れます。だから私の気持ちをわかってほしい……そして許してほしい」


「許すも何も怒ってないよ。ただ俺の心が死んでいるだけ」


 一瞬のことだ。

 女は男に近づいて唇を合わせた。


「……?」


 男は何が起きたのか理解出来ていない。それに反して体は熱くなってゆく。

 女は男に体重をかけた。

 二人はその場に崩れ落ちる。

 

 男の理性が飛ぶ。女を抱きしめて押し倒した。

 堪らない。

 抑えきれない。

 ずっと欲していた。

 心臓が張り裂けそうだった。

 超えてしまったら、もう戻れない。

 でもこれしか感情を清算する方法がなかった。

 

 二人は何度も何度も喪失していった。

 

 

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