103 カッティングシスターズ
次の日の夕方。
ゆきひとはSWHのアメリカ本社に向かった。会社の下位フロアに病院があり、複雑な構成の上層部とは違ってフロアマップを確認しながら進めば簡単に行ける。実際の所、ゆきひと一人でも迷わなかった。
目的はローズのお見舞い。
清潔感のある服装を身にまとったゆきひとは、五階の病室にいるローズを尋ねた。明かりの点いていない室内は、黄昏色に染まり神妙な空気で満ちていた。ベットのローズは俯いてじっとしている。先客がおり、ローズを取り囲んで、セラ、パステル、ヴィーナが腰を据えていた。ローズを除いてそれぞれの目が合う。発言を躊躇わせるような居た堪れない状況だった。
入室者が増えてもローズの反応は無い。表情は死に生気も感じられない。
あれだけ攻撃だったのにと、ゆきひとはその変貌ぶりに目を疑った。口を開いたが声をかけられない。ローズの憔悴ぶりは、それぐらいに酷かった。
ヴィーナはゆっくりと頭を下げる。そして静かに口を開いた。
ローズが自分の妹だと。
ローズだけではない。
カーネーションも実妹で、リリーに方は実姉だと言う。
ストック・ウィッシュ・ホールディングスの上位管理職である「ヴィーナ」「ソフィア」「ギフティ」は三姉妹ではなく、リリー・レズビアン・ラインのリーダー及び幹部である「リリー」「カーネーション」「ローズ」を含んだ六姉妹だった。ちなみに、母違いの(面識はないが)姉妹を含めると五十人姉妹になるらしい。
母違いの姉妹が多くなった要因は、精子バンクの精子を複数の母親で共有するシステムと、自身が妊娠する必要のない人工子宮による出産が主流な為。
リリーの本名は、カリス・トルゲス。
カーネーションの本名は、ビリーヴ・トルゲス。
ローズの本名は、フォーシア・トルゲス。
出生順は、カリス(長女)、ヴィーナ(次女)、ソフィア(三女)、ビリーヴ(四女)、フォーシア(五女)、ギフティ(末子)となる。
姉妹のグループは幼少期から「ヴィーナ」「ソフィア」「ギフティ」の三人と、「カリス」「ビリーヴ」「フォーシア」の三人とで別れることが多かった。会社を切り盛りする母親は忙しく、姉妹六人が集まるのはイベントやパーティなどの特別な時だけ。母のストックは児童施設で面倒を見てもらえる最大の二十歳まで六姉妹を預けた。長女のカリスは、母親と(性格を含め)意見が合わず、二十歳を超えた頃にビリーヴとフォーシアを連れてLLLを創立した。そして今も尚、家族間の確執は続いている。
そして今回の件。
カリス(リリー)が映画撮影に参加した動機。それは、四女と五女をくっつける事。それぞれの好意で微妙な空気(多角関係)になっていたLLLの内部を落ち着かせたかったらしい。
カリスから相談を受けたヴィーナは、複雑な関係である姉の頼みを断り切れず、手を貸すことにしたのだ。
つまりLLLとSWHのリーダーが裏で手を組んでいたことになる。
結果的に長女と次女の目論見は失敗に終わってしまい、今に至るという訳だ。
真相を聞いた面々は驚きを隠せなかった。
ゆきひとは衝撃を受けながらも今までの状況を走馬灯のように思い起こしていた。思えば彼女達が姉妹であると思わせる行動や言動は何度かあった。メンズ・オークションでカリス(リリー)を見たヴィーナの態度が急に変わったこと。LLLによる東京サークルドームの天上破壊の件がショーの一部にされていたこと。理由はLLLの上位三人がトルゲス一族の血縁者だから。エジプトにて、フォーシア(ローズ)とヴィーナが長電話をしていたことがあった。あれはただの姉妹間通話で不自然な事は何もなかった。大統領のテュルーがカリス(リリー)に対して親しげだった。それは友人の娘だったから。フォーシア(ローズ)がヴィーナを「殺す」と言った事に対して、クレイは絶対に殺す事はないと言っていた。その理由はフェミニストだからじゃない。クレイも彼女達が姉妹である事を知っていたのだ。
無知は罪。
テュルーの言葉がゆきひとの胸に突き刺ささる。クレイを見殺しにしてヴィーナを助けに行っていたら、ゆきひとは自分を一生許すことが出来なかったであろう。もっとこの事を早く知っていたら、LLLに対する印象も違っていただろう。
そして今とは違う結果になっていたかもしれない。
話を聞いていたパステルも動揺していた。目が泳いでいる。親友のソフィアがストーキングしていたビリーヴ(カーネーション)の姉だったのだ。無理もない。
病室の扉が開いた。
クレイが静かに入って来る。
高祖父バスタードの葬式の日程が決まったらしい。その為、ヴィーナにタイでの一時帰国の許可を取りに来たのだ。何事もなく許可は下り、ヴィーナも葬式に参列するという話に。この話の流れで、何か言いにくそうな顔をしていたセラに、クレイはどうするのかと質問した。セラは葬式には参加しないと、震えた声でクレイに告げた。そして「お祖父様に今までありがとうございましたと伝えて下さい」と付け加えた。クレイは「わかった」とだけ言い、病室を後にする。
それからヴィーナは、暫くの間、何度も何度も頭を下げて謝った。
ゆきひとは自分の感情を整理出来ない。裏切られた気持ちがあるのか。ショックを受けているのか。それよりも、ヴィーナが告白したことをどう受け止めてくれたのか。こんな時でさえ気になって仕方がない。
だがこの雰囲気で結婚の話の続きなど出来る訳がなかった。
二月中旬。
ニューヨークの空港にゆきひとはいた。ヴィーナと共にタイへと向かうのだ。入国は約二か月ぶりとなる。
搭乗手続きをしていると、ロビーから歓声が沸き、人だかりが出来ていた。大統領のテュルーがファンに囲まれていたのだ。サインを求める女性達のうねりで騒然となっている。
テュルーはゆきひととヴィーナの存在に気がつき、ファンに挨拶をして二人の方へと歩いて行った。
「やぁ、ゆきひと。そしてヴィーナ、こんにちは」
挨拶された二人はそれぞれお辞儀をする。
「二人共、今回は私の趣味に付き合ってくれてありがとう。それでなんだが、ゆきひとと二人きりで話がしたい。いいかな?」
「ええ、それは構いませんが……」
ヴィーナはゆきひとの方を向いて意思確認をした。
「俺も大統領と話がしたいです」
空港の特別待合室で、テュルーとゆきひとは二人きりになった。
要件は男の「願い」についてだ。
「例の件はどうする?」
「こんな時に酷い奴と思われるかもしれませんが、話は進めて下さい。……俺は、このチャンスを逃したくない」
「いいじゃないか。そういうの、嫌いじゃないよ。まずはヴィーナの母親のストックに話をしてみるよ」
「ありがとうございます。……大統領はタイに向かわれないのですか?」
「私は遠慮しておく。バスタードはアメリカ嫌いだったからね。我が国を嫌う者は私の敵だ」
テュルーは死者に対しても遠慮がなかった。
「……そうですか」
「撮影は色々あったが、私にとってもいい経験になった。今日で私との婚約関係は解消だ。今までありがとう」
ゆきひとの肩を力強く叩いたテュルーは、余裕な表情を浮かべながらその場を後にした。まるで、今回の撮影で「愛」を否定できた事が嬉しかったかのような、そんな表情だった。
ゆきひとは胸を抑えて座り込む。
この状況でヴィーナとの結婚を考える罪悪感と高揚感。
もはや、それぞれの想いや思惑など目に入らない。
もうどうしようもない状態に陥っていた。