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1 プロローグ 白銀の壁 【1】   『☆』

 二八二六年の未来。そこは九分九厘が女性達の世界だった。

 大桜ゆきひとがこの時代に連れてこられてから一年。ベスト・ワイルド・ジャパンの出場選手だった男は一度心を失った。身支度を整えてラストグリーン病院へと向かう。その理由はある人にエーデル・スターリンという男を救ってほしいと頼まれたからだ。

 ゆきひとはその精神の病んだ壮年の男に会いに行くが、警戒されて中々話が進まなかった。エーデルを納得させる為に、自分の過去を話す必要があると感じたゆきひとは、今までの出来事を静かに話し始めた。

【男子補完計画 ~メンズ・オークション・クラッシュ~】


挿絵(By みてみん)


1 オークション・クラッシュ【3rd】


 褐色の男は鏡を見ながら無精髭を剃っていた。

 ボサボサに伸びた髭もバリカンで短く整える。

 タオルを腰に巻いた半裸の男は髭の剃り残しをチェックする。表情はやつれているが二十代半ば年相応の顔つきに戻した。

 そして鏡に映った自分の体形を確認する。

 見事に筋の入った山の三角筋。爆弾が膨らんだかのような大胸筋。腰は細く腹筋は六つに割れている。脇腹は龍のような鱗。腕は力を入れると鋼鉄のこぶができる。

 運動を怠っていたが体形に大きな変化は見られなかった。男の体に埋め込まれたナノマシンの影響が関係している。

 男はダークカラーのタンクトップにジャケットを羽織り、ボクサーパンツの上からデニムを履く。そして黒いサングラス。今は黒々しい服を着たい気分だった。


 男は新宿のとあるビルを出て目的地へと向かう。

 場所は渋谷郊外にあるラストグリーン病院。

 男は渋谷の駅前にそびえ立つビルの大型スクリーンを見て足を止めた。大型スクリーンには若き女社長の退任会見が映し出されていた。表情の曇った女社長。その浮かない表情の暗さは男も同じだった。

 通行人の女性達は立ち止まっている男の様子を気にしながら通り過ぎて行く。スキャンダルの中心人物である男に対して不用意に近づくことはしない。関わると自分達に危害が及ぶ危険性がある為だ。

 

 緑溢れる場所にラストグリーン病院はあった。

 男が中に入ると白いカウンターの受付が見える。無機質なカーペットの上に、ガラス張りの壁から光が差している。男は受付の女性に事情を説明すると、話が伝わっているようで目的の部屋まで案内してくれることになった。

 

 男が歩く無機質な空間からは冷たさが漂っていた。喪失感を漂わせた男が気になる案内役の女性は何度か振り返り様子を伺った。この施設で働いている他の女性職員達も男をちらちらと見ている。

 

 この時代、生身で動く男性は珍しいのだ。

 

 男の名前は大桜ゆきひと。

女性達の視線をよそに案内係の女性の後をついて行く。人気ひとけがなくなった所で、男はサングラスを外した。

 ゆきひとの目的はこの施設、ラストグリーン病院にいる壮年の男性を救うことだ。彼にとって、今はそれを達成することしかなく最重要事項と言っても過言ではない。

 鏡合わせのようなホワイトロードを進む。所々七色に光るステンドグラスが顔をのぞかせている。衣を纏った女性が赤子を抱いているような装飾。ゆきひとの目には光らない。

 ゆきひとが物思いにふける中、案内役の女性の足が止まった。どうやら目的の部屋に着いたようだ。


 女は純白のドアに向けて手を差し出し、ゆきひとに向かってニコリと笑って一礼。そして静かにその場を去った。ゆきひとは天国の門とも地獄の門ともわからぬドアノブに手をかけて道を切り開く。「ギィ」と鈍い音がした。

 

 部屋の外装は青白く、マットを敷いて器械運動が出来そうなほど広い。その部屋の中間は巨大なガラスで仕切られている。

 その巨大ガラスの奥にゆきひとが対峙しなければいけない壮年の男がいた。

 髪は銀色で顎髭を生やした壮年の男は、壁の色と同色の病衣を羽織り、ソファのようなクッションの塊に腰を掛けていた。体は程よい筋肉がついており鍛えているようだった。外見は四十代半ば。数年室内にいたせいか肌は病衣よりも白い。

 

 壮年の男はゆきひとを見て戸惑った様子を見せた。ゆきひとはガラス奥の様子を見ながら壮年の男の方へと歩いて行く。奥の方に仕切りで確認できない箇所があった。恐らくトイレでもあるのだろう。綿や毛布が彼方此方に散らかっている。

 

「はじめまして……俺の名前は大桜ゆきひとっていいます」

 

 警戒心をもった壮年の男に対して、ゆきひとは静かに声をかけた。

 ゆきひとは小さく微笑む。今本人が出来る精一杯の笑顔だ。

 独特の雰囲気を持ったゆきひとに、壮年の男は興味を示したのか、ゆきひとの方へとゆっくりと足を運んだ。


「僕の名前はエーデル・スターリンだ。呼び捨てで構わない」


「わかりました」


「僕に何の用かな?」


 エーデルの質問にゆきひとはすぐさま言葉を返すことができなかった。事情を全て話してしまったら、エーデルが口を閉ざしてしまうと思ったからだ。そもそもゆきひとがここ一年間経験したことを簡単には説明できない。


「エーデルに会ってみたかったんです。だって、今陸上で活動している男は「三人」しかいないんですよ?」

 

 ゆきひとはエーデルの事情を知る為に言葉を選んだ。


「君を含めたら四人じゃないのか?」


「元々この時代にいた方が亡くなられたんですよ」


「この時代最後の男性か。もう一人の米国の男は今どうしてるんだ?」


「この時代に溶け込んでましたね」


「会ったのか? 随分自由が利くんだな」


「……いや、不自由ですよ」


 何も知らないエーデルの言葉。自由なんてほとんどなかったのだから。ゆきひとはこの一年間で結婚した八人を思い出した。


 フランスの敏腕弁護士。

 アラブのカジノクイーン。

 世界に七人しかいない純血の日本人女性。

 一度干された元アイドル。

 姉大好きの科学者。

 トランスジェンダーのボディガード。

 ハリウッドスターでもあるアメリカの大統領。

 そして科学者の妹を持つ女社長。


 全て事実婚で法的な繋がりはなく、まともな結婚生活は無かったと言っていい。

 不意に零れたエーデルの言葉に、ゆきひとの心は締め付けられた。


「俺が情報を得たのは、たくさんの女性と結婚生活をしたからです。ある女性からは情報を得ることの大切さを学びました。無知は罪だと」


「確かにその通りだな。でも当時のことを思い出したくない……今日はもういい。帰ってほしい」

 

 エーデルがそう言うと、巨大ガラスが曇りだした。ゆきひとは慌てて巨大ガラスに駆け寄るが、見える心の壁がその日晴れることはなかった。


 ゆきひとがエーデルに会ってから一週間。ゆきひとは病院の食堂にいた。食堂の長椅子の席に座りカツカレーを食べる。ゆきひとがエーデルに結婚の話をしてから、曇りガラスは晴れなかった。

 何を言っても。

 曇りガラスを叩いても。

 地雷ワードだったのかと落胆した。

 ゆきひとはエーデルをここから出したいと思いながらも、別のことを考えていた。本来であればそのことに全てを捧げたかったのだ。もしかしたらそれを見透かされていたのかと、考え込んだ。


「粘るしかないか」


 ゆきひとはエーデルのいる部屋に向かった。

 曇りガラスの前に再び立つ。


「エーデル。俺の話をします。男の過去に興味無いかもしれないけど聞いて下さい。俺、この時代に来るまでベスト・ワイルド・ジャパンという大会でチャンピオンを目指してたんです。ベスト・ワイルド・ジャパンっていうのは、ボディビルとは違ってゴリゴリ筋肉ではなく、野性的でかっこいい筋肉が求められるんです。正直筋肉のことばかり考えてました。新しいプロテインのこととか、隙があれば腹筋とか懸垂がしたくなって。俺は二〇十八年の夏大会に向けて体を鍛えてたんです」


「二〇十八年?」


 奥の方からエーデルの声がする。

 さえぎっていたものが透明度を取り戻した。


「ようやく顔を見せてくれましたね」


「僕は二〇十五年だった。アレの選定基準は何なんだろうな」


「メンズ・オークションのことですか?」


「あぁ」


 メンズ・オークション。

 それはこの時代最大のスぺクタルショーである。

 ゆきひととエーデルが経験した共通の出来事でもありほろ苦い思い出でもある。


「今陸上で活動してる男は三人だったか……つまり三回で打ち止めということか? また行われるのだろうか」


「そんな話は今まで聞かなかったですね」


「不思議だな。君はたくさんのことを知っている。いや……」

 

 エーデルは言葉に詰まった。

 ゆきひとは地雷を踏むまいと、エーデルの出方を待った。


「今日はもうやめよう」


「今いい所じゃないですか」


「いい所ではないな」


「……俺がまずいことを言ったなら教えて下さいよ。気を付けますから」


「何を必死になっている」


「必死になんて……いや確かに必死です。俺には後がないし」


「考える時間が欲しいだけだ。僕と話したいならまた明日来てくれ」

 

 またガラスが曇りだす。だが今回は今までとは違う。次の会話が確定している。

 

 次の日。

 いつもの部屋に行くと、エーデルはストレッチをして体をほぐしていた。


「おっいいですね」


「体を動かしていないと、いざという時動けんからな」


「結構いい体してますよね」

 

 ゆきひと自身が言われて嬉しい言葉だ。そのフレーズを言いながら、ゆきひとは一緒にベスト・ワイルド・ジャパンを目指していた友人を思い出していた。ゆきひとは結婚生活に必死すぎて、元の時代ことをあまり考えなくなっていた。だから過去の出来事がとても懐かしく感じるのだ。


「ストレッチはゆきひとの専売特許かな?」


「今まで何をされてたんですか?」


「敬語はやめてくれ」


「えっと……何してたんだ?」


「まぁいいか。スパイだ」


「スパイ?」


 エーデルの印象が精神病患者から囚人に変わった。


「何のスパイを?」


「あまり驚いている様子はないな。その話はいい。今更関係ないしな」


「……そうだな」

 

「昨日の話の続きをしよう。君は様々な情報をどういった女性から聞いたんだ?」

 

 何処から話していいのかと、ゆきひとは悩んだ。

 エーデルは不審な目を向けている。


「まず最初に出会った女性が色々と親切に教えてくれました。……俺の悩みを聞いてくれたりして」


 ゆきひとは悲しげに話す。


「……その人はゆきひとにとって大事な人なのかな?」

 

 その言葉は的を射ていた。


「はい」


「彼女の名前も知っておきたいんだが」


「ヴィーナ・トルゲスと言います」


「聞いた事があるな。いや最初に会ったのは同じ人物かもしれん」


 エーデルは顎鬚に手を添えて考え込む。そして最初に見た女性に驚いて、話を全く聞かなかったことを思いだした。壮年の男は自ら情報を得る機会を失っていたのである。

 エーデルは頭を抱えた。


「エーデルどうしたんだ?」


「いやすまない。僕が色々と勘違いしていたようだ。……続けてくれ」


「そっか。彼女は今俺達がいる時代が西暦二八二五年だと言っていた。当時だから……今は二八二六年になる」

 

 実感のわかない素振りのエーデル。

 未だに現実だと受け入れることは難しいのだろう。

 八百年時を超えたことになる。


「この時代はY染色体がほぼ消失していて、男子はもう生まれないらしい」


「そこで過去からオスを連れだしたと」

 

 オスという言葉には怒りがこめられていた。

 強制的に連れてこられたのだ。無理もない。


「まだ数人ということは……過去からオスを連れて来るのに余程金がかかるのか……一気に送ると過去で騒ぎになるからか」


「ちなみに過去から未来に人間を送れても、過去には戻れない」


「……はぁ」


 ため息を混ぜてエーデルはクッションに横たわった。


「さっきのストレッチを見たら、俺も久しぶりに筋トレしたくなったな」


「勝手にやってていいぞ」

 

 ゆきひとは腹筋を始めた。筋肉トレーニングは無になれる。ゆきひとにとっては生活の一部。安心感を貰える。体を動かし足りないのか、バク天、バク宙を連続でこなした。体操選手顔負けの動きである。

 それをエーデルは横目で見ていた。


「何者なんだ? 凄いじゃないか」

 

 そう言ってエーデルは小さく笑った。

 勿論ゆきひとには聞こえていない。

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