第一話「コーヒー党襲来」・その2
挑戦部がコーヒー党の存在を初めて知ったのは、半年前の四月。挑戦部創部記念茶会でのことだ。それは、学園内の日本庭園に朱傘と毛氈をしつらえての野点だった。点前は茶道裏表千家家元・千宗者の孫娘であり、生徒会長でもある千宗華(高等部三年生)による本格的なものである。
ちなみに裏表千家は、明治時代にたまたま「千」という名字を付けた男が興したというだけの新しい流派であり、三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)との血統上の繋がりは全くない。ただ、代々の家元は皆、実業の分野においてずば抜けた才能を有しており、その経済活動の傍らで裏表千家の勢力を日増しに拡大させていった。現家元である千宗者に至っては、日本を代表する企業の一つ「サウザンド・ホールディングス」を一代にして築き上げた経済界の超大物である。おまけに、私立セントバーナード学園の創立者にして理事長でもあった。
さて、茶会当日。数百本のツツジの花が咲き誇り、新緑の山々を借景とする広大な日本庭園は、晴天にも恵まれ野点には絶好の風情を醸し出していた。着物姿の千宗華の点前も堂に入ったもので、新興流派とはいえさすがは家元の孫娘というべきものだ。挑戦部の面々は和気あいあいとした雰囲気の中、心から薄茶と茶菓子を楽しんでいたのである。
しかし。
楽しい時間は、突如として終わりを告げた。
「ウワハハハハハハハ! お茶会反応あり! 破壊! 茶会! 破壊ッ!」
高笑いとともに超スピードで動き回る何者かの手によって、一瞬にして茶釜がひっくり返され、織部焼や志野焼の茶碗が粉砕され、最高級品の抹茶が地面にぶちまけられる。余りの不測の事態に、そこにいた誰一人として対応できない。思考が現実に追いつかないのである。
そして朱傘が引き裂かれた時、ようやく紅紅茶郎が叫んだ。
「何奴!」
闖入者の動きが止まる。
黒いフルフェイスのヘルメットをかぶり、金属製のプロテクターを身に付けた巨漢──そういうふうに皆の目に映ったのはごく僅かな時間に過ぎなかった。よくよく見れば……。
その場にいた六人全員が息を呑んだ。
黒光りする砲弾の形そのままの頭部。西洋の鎧にも似た堅牢なボディ。加えて、裏地が赤い漆黒のマント。それは、特撮ヒーロー番組に出てくるような洗練されたデザインの戦闘ロボットだった。
断じて着ぐるみなどではない。着ぐるみを着た人間の緩慢な動きでは到底なかったのである。
「茶のある所、必ず現れ、茶会の行われる所、必ず行く。我が名はコーヒー党首領・キリマンジャロなり」
黒いロボットが名乗りを上げた。
「どうしてこんなひどいことをするのよ?」
千宗華が気丈にも問い質す姿勢を見せる。
「茶などこの世に必要ない。必要なのはコーヒーのみ。コーヒーこそ至上の飲物。それを地上の全ての人間に理解させるために我は生まれた」
「許さねえ!」
腕自慢の黒烏龍がキリマンジャロに襲いかかる。パンチ! キック! チョップ! 顔面! ボディ! 膝関節!
「か、硬え! 何だこいつは!」
キリマンジャロは、龍の一撃必殺の攻撃を何十発も悠然と受けて微動だにしない。
「俺に任せろ!」
すぐさま紅茶郎が加勢する。正拳突き! 裏拳! 後ろ回し蹴り! 胴回し回転蹴り! 飛龍三段蹴り!
「…………。馬鹿な。俺の空手が通用しないだと?」
愕然とする紅茶郎。二人がかりでも状況は何ら変わらなかった。
堪りかねて龍が叫ぶ。
「おい、玉郎! お前も力を貸せ。戦闘学生服は体力を十倍にするんだろ!」
「あいにく私の素の力は、龍さんの十分の一以下なので……」
「体力十倍で俺より弱いってか。使えねえ奴。──まあいい。全員でやるぞ!」
玉郎とびすかと季彩が一斉にキリマンジャロへ飛び掛かる。
「ウワハハハハハ! 効かぬ。効かぬなあ!」
挑戦部全員の渾身の攻撃を、キリマンジャロは笑いながら耐えた。
「くそ! なんて頑丈な奴なんだ」
龍が右拳を左手で抑えてうずくまる。
同時にびすかと季彩も、攻撃が一切通じないと悟り、向かっていくのを止めた。
「ダメ。コチンコチン過ぎる」
「びすか、女の子が『コチンコチン』なんて下品な言葉言わないの」
「ええー、コチンコチンのどこが下品なのよ、コチンコチンの」
「そんなに繰り返さないで」
「何度でも言ってあげる。コチンコチンコチンコチン……」
「わー、やめて!」
季彩は耳を塞いだ。
「ウワハハハ。もういいかな。──では目的も果たしたゆえ、我は帰投する」
一切のダメージを感じさせないまま、あっさりとキリマンジャロが踵を返した。
「ハア……ハア……なぜ俺達を攻撃しない?」
大きく息を切らしながら、紅茶郎が訊ねる。
キリマンジャロの足が止まった。
「何? そんなに反撃してほしいのか?」
「いや、そういうわけでは……」
「将来的に、この世の全ての人間はコーヒーを心から愛する同志となる。お主たちも例外なく。同志を殴る拳は持ち合わせておらぬよ。いつかコーヒー党のカフェで楽しく語り合おう。ウワハハハハハ!」
笑い声を残してキリマンジャロは忽然と消えた。
挑戦部の五人と宗華が呆然として立ち尽くす。
破壊され尽くした野点の席。
宗華は、織部焼の名品だった茶碗の欠片を手に取り、一粒涙を落とした。
「許せない……」
悔しげに漏らした宗華の一言に挑戦部の全員が頷いた。
「あいつに挑戦しよう。今は全然歯が立たなかったが、いつか絶対に」
「ああ、やってやるさ」
紅茶郎の誓いにすぐさま龍が相槌を打つ。
「先輩、あたしもやります」
「及ばずながらわたしも精一杯のことをやらせていただきます」
元気一杯のびすかが決意を示すと、本来戦闘向きではない季彩までもが同調した。
「私も全科学力を注力するとしましょう。──社長、サポートを」
玉郎が宗華に目配せした。
玉郎が研究の過程で生み出した膨大な数の発明や特許は、サウザンド・ホールディングスの中核企業であるサウザンド・インダストリーに全て買い取られ、会社に莫大な利益をもたらしている。そのサウザンド・インダストリーの取締役社長を、まだ十七歳の宗華が務めていた。お飾りの社長ではない。千宗者に経営者としての才能を見込まれての大抜擢であり、実際にその期待を遥かに越える実績を残している。
元々宗華は、玉郎が思いのままに研究できるよう、学園内に科学研究棟を作り、彼に無条件で貸与していた。優秀なスタッフ数十名と最新機材が揃った万能研究所だ。玉郎はその施設のフル稼働を宗華に要請したのだった。
「もちろんよ。予算に糸目はつけない。使えるものは会社だって何だって使う。私達の総力を結集してコーヒー党にリベンジするのよ! これは既に私と挑戦部だけの問題じゃない。茶道界、いえ、お茶を愛好する全ての人々にとっての一大事なんだから」
宗華が勇ましい声を上げると、全員が決意に満ちた表情で頷き合った。
かくしてコーヒー党との戦いの火蓋が切って落とされたのである。
続く