第五話 きっと大人には、大人の事情がある。
『キーンコーンカーンコーン』
六限目の終わりに鳴り響く、それは今日の長ったるしい学校生活を終わらすチャイムの音。
授業終わりに校内に鳴り響くこの鐘の音ほど聞いていて心地よくなる音は他にはない。この学校には、ホームルームというものがないために六限目の授業が終わり次第、皆は荷物をまとめ嫌々部活動に向かい出す。
俺は学年成績十位、TOP10制度の範囲内のために部活動に行く必要がないため、すぐに帰宅をする。
今日は、あの姉貴に振り回されることなく、いつも通りに平凡な毎日を過ごすことができた。
そんな、いつも通りの日にだった。
二年二組の前の廊下に珍しく道徳教師の奥島先生が教室の前に立っていた。こんな光景は高校に入学して以来初のことだ。
しかし、肝心の奥島先生は疲労で疲れているのか目をつむり、立ちながら眠っているように見えた。
....このまま、無視していこうと思ったが
「......さようなら」
俺は聞こえるか聞こえないかの小声でそう呟く。
「ん、あ。お、おい待て、稲柄弟」
......あ〜あ。
「.....なっなんすか、俺に用ですか?」
明らかに面倒臭そうな声で返事をした俺、
「ちょっと、ツラ貸せ」
「なら理由を教えてください」
「いいから着いて来い!」
どうやら少し不機嫌のようだ。
ここは逆らわない方がいいな....
「はっはい....」
.....だりぃ。
俺は言われるがまま彼女の後について行くと、そこはよく問題児などが入れられている空き教室の相談室であった。
奥島先生は、相談室の扉を開け、その中で既に座っていたのは、よく家で見る顔、如何にも不機嫌そうな態度を取っている稲柄郁音、俺の姉貴だった。
「一体何の用ですか奥島教師、急用というのは?」
姉貴は、少し不機嫌な様子でそう話す。
「まぁ、少し待て。 稲柄弟、そこに座れ」
っと言われ俺は姉貴の席から二つ離れた席に座った。
どうせ姉貴の隣に座れば「弟よ、何故私の隣に座る?」だの言われるに決まってる。
「「......っち」」
まさかの舌打ちがはもってしまった。
「ははははぁっお前ら姉弟、相変わらず仲がいいなぁ~~」
「「どこがだよ(ですか)」」
またはもってしまった... 最悪だ。
「はははは、こうしてお前らと直で話し合うのも中学以来か、懐かしいな」
奥島祭三、彼女と俺たち二人の姉弟との初めての出会いは中学二年の始業式の時だったか。
.....今となっちゃ、どうでもいいことだ。
「まぁこんなことを言うためにお前ら姉弟をわざわば呼び出したわけじゃない。 さておきお前ら、始業式後の試験成績は何位だったんだ?」
「俺は、ギリギリの十位でした」
「私は、一位でした」
「相変わらずお前ら姉弟は無駄に頭が優れているな、では本題に入ろう。 稲柄弟、この作文はなんだ?」
っと言うと奥島先生は一枚の作文用紙を前に出した。
それは、道徳の時間に俺が提出した作文用紙であった。
「「.........」」
何も言う言葉がでない。
「どうやら、お前ら姉弟は頭は優れている分、性格の方がひねくれてるようだな、稲柄弟‼︎ なんだ!この白紙の作文用紙は!」
「そ、それは、時間がなかったですよ。自分マジで反省してます」
「貴様、私にそんな手が通じるとでも思っているのか?」
「っち...... や、やだな〜先生ったら〜 ひょっとして俺のことを疑ってるんですか? 酷いですよ、これでも先生と俺は長い付き合いじゃないですか」
「だから信用できないんだ... 」
....んだと?
「まぁお前はいい、次は稲柄姉、お前は私の授業にすら参加していない。 他の教師からもお前についてのクレームが多々来ている。この私を納得させる正当な理由を今ここで用意しろ」
「正直に言いますと、授業を受けるのが面倒だったんです。ちなみに、これは授業を休む正当な理由になりますか?」
「なるわけがないだろうが...... その姿勢でよく今まで学年一位の座を守れてきたな。 はぁ〜どうやら、お前ら姉弟には私の思いは伝わらんようだな... 稲柄姉、稲柄弟!!!」
「何ですか、いきなり大声出して」
「.....ふん」
「一つ質問をしてやる。 今現在、お前ら二人に足りないのはなんだと思う?」
「俺に足りないもの...... 余裕、ですかね? 人生の。」
「私に足りないもの、そんなものがあるんですか?」
確かに...
「ふっどうやらお前ら姉弟は気づいていないようだな、お前ら姉弟に足りないもの、それは人に対する尊敬の意思だ!!!」
「「......は?」」
尊敬?
そんな感情は高校一年の夏にもう捨ててしまったことだ、それを今更拾い戻せだなんて。
「っで、その尊敬の意思とやらが、どうかしたのですか?」
姉貴が質問した。
「お前らに必要なのは、人に対する尊敬の意思だ。お前らは生まれてから誰かに尊敬したことはあるか?」
まぁ確かにないな... うん、ほとんどない。
ほとんどないんだが、こんな姉貴にも俺はほんの少し尊敬しているだなんて口が裂けても言えない。
「....まぁ私には、ありませんが」
「ほれ見てみろ、もう一度言うがお前らの性格はひねくれている! もはや、それは異常だ! だが私が生徒指導担当である以上、そんなお前らを卒業までにどうにかしなくてはいけない義務がある! そのために私は本日付で、お前らに必要な尊敬の意思を叩き込んでやる!」
っと奥島先生は妙に不気味な笑を浮かべながら俺たちに言う。
「それについて言いたいことがあります。 そもそも先生の言う、その尊敬の意思とやらは本当にこれから先、私にとって必要なことなのでしょか?」
「なに?」
「自分から言うのもなんですが、私は自他共に認められている、誰からも咎められることのない完璧な学生であると自負しています。 ですが、奥島教師は私のそのあり方に否定的な意見を述べられている。 そうですね、もしも先生のいうそれを私が取り入れたところで変化がなく、逆にそれが原因で私のあり方に悪い影響が及んだ際には、先生はその責任を取っていただけるのでしょうか?」
「.....」
「それに私よりも、その尊敬の意思とやらを叩き込む必要のある学生はこの学内に数多くいるのではないですか? 例えば普段から授業妨害をする連中らや、 学年一位であるこの私に構っている暇があるのでしたら、生徒指導らしく」
「相変わらずまどろっこしいな稲柄姉。 で、お前は私に何を言いたいんだ?」
.....まぁ、俺にでもわかる。
姉貴が本当に言いたいことは、たぶん、そう言うことじゃない。
「......教師である、奥島教師にこんなことを申し上げるのは非常に不敬で申し訳ないことであると自覚しています、ですが言わせていただきます」
「..........」
「これ以上、私たちに関わるな」
「貴様、本気でそれを言っているのか?」
「.....私は常に本気ですが」
「まぁそう言うな.... ふん、それにしても自他共に認める完璧か、たかが16年程度しか生きていないお前に何が完璧で何が完璧じゃないのかの区別がつくのか? .....笑わせるな、誰にも言われたことがないのなら、ここは稲柄姉の言う通り、生徒指導部らしく言っておいてやろう」
と、奥島祭三はサングラスを外し、そのキツイ表情で彼女を睨みつけこう言った。
「稲柄郁音、貴様は何一つ完璧ではない。むしろ不完全な人間だ」
「言ってくれますね。 奥島教師」
「テストの点数が常に満点なら貴様は完璧なのか? 見た目に運動能力、そのどれを取っても確かに貴様は周りよりも格段に優れている、なら、お前は完璧な存在のか?」
「......ん」
「あぁ言ってやろう。しかし、驚きだな稲柄姉、周りの連中がお前のことを天才やら完璧など抜かしているのはよく耳にしていたが、まさか。貴様自身の口から自分が完璧な存在だと言い切ってくるとは、あはははははは」
「人に尊敬できないことがそれほどまでにいけないことなのでしょうか? それに私が尊敬に値する存在がいないのは」
「いや、違うな稲柄姉、お前は何か勘違いをしている」
「......何がでしょうか?」
「稲柄郁音、お前は人に尊敬することができないんだ。人を理解することが怖くて、分かり合うことを無利益と評し、自らそれと関わることから遠ざけてきた。 それがお前の言う完璧と偽わってきた存在の正体だ、違うなら違うと言ってみろ」
「.......」
「確かにお前の言う通り千人近くいるこの学内にも、これから教育してやらねばならん生徒は数多くいる。だが、それでもなぜ、私がお前ら姉弟に固執するのか、その理由は簡単だ。わかるか? 自称完璧。」
「.......答えが何であろうと私にとっては、極めてどうでもいいことです」
「そうかもな、本当にどうでもいい話だ。 私は、お前ら二人を気に入っている。 本気でどうにかしてやりたいと心の底から願ってる」
「......」
「確かにお前は普通ではない。だから、私は稲柄姉、お前には普通の学生生活を送って欲しいと考えている。それには、この学園の貴様らの言うところのTOP10制度というのが邪魔だ 」
「で、奥島教師は、私たちに何をさせようと言うんですか?」
「あぁ、そこでお前ら姉弟には、これから人へ尊敬の意思を育んでもらうためにこの校内の部活動に入部してもらう」
「.....は? いやいや奥島先生、この学校の校則を忘れたんですか?」
そう俺が話を切り替えす。
この学校には『TOP10制度』という校則があり、これにより教師が成績上位十名の者に、むやみやたらに部活動へ誘うことは固く禁じられている。
「そんなことは百も承知だ。しかし、これは学年主任からの指示でな、お前らがどうこう言えるレベルではない」
「....学年主任から?」
「あぁ、学年主任は、お前ら姉弟のことを大変気にかけていられる、特に稲柄姉」
「....はい」
「お前には、学年成績一位という称号がある。それなのにお前は授業はサボるは学内での態度は悪いは、それは、この学校の信用が汚されている事態になっている。なのでお前らには今日から、特例で校則を無視して部活動に入部してもらう、よかったな!」
「「.......え」」
なぜ、そうなるんだ。
きっと姉貴もこう思っているに違いない....
「まぁ、入部する部活動に関してはお前らが自由に決めればいいさ、これからは最終ベルがなっても家に帰らないように気をつけたまえ」
「奥島先生、それって俺も入らなくちゃいけないんですか? 別に俺は十位だからそこまでこの学校に影響は」
「お前の性格は私の趣味に合わん、だからお前も部活動には参加してもらう」
....さいですか。
本当の本当にあの人は教師なんですか?
そんな、疑心暗鬼になっていた俺に相反し、突然、相談室の扉が勢いよく開けられた。
「待ってください!!!」
そこにいたのは琴越姫稲、俺の従妹だ。
....なぜ、ここにいる?
「姫稲、なんでお前がここにいんだよ」
「先生!!! 話は全て聞かせてもらいました。 知っての通り、私の成績は学年五位です。性格はひねくれています、このままじゃ学園の信用に影響しかねます。このままじゃ絶対私はろくな大人になりません。なので、ぜひ、私にも部活動入部の許可を!」
....なぜに?
「どうした琴越、お前もやはり自分の性格を気にしていたのか、ちょうどお前の方にも声をかけようとしていた所だ。 もちろん、君も特別に部活動の入部を許可しよう!」
「ありがとうございます先生!」
普段は姉貴関連のこと以外で見せないニヤついた表情で彼女はそう高々と先生にお礼をする。
「お姉様! 同じ部に入れましたら。これから一緒にいられる時間が増えますね、私はなるべく部員の数が少ない部活がいいですっ♪」
あぁそういうことか.....
「ぇっえぇ.... そっそうねキーナ」
「それではお前ら三人には入部届け用紙を渡しておくからな、近日中なるべく早く私に提出するように、以上、解散だ!今日はもう帰っていい」
まぁどうせに家に帰っても毎日暇だったわけだし、こう言うのは前向きに考えて暇つぶし程度にちょうどいいのだろうか?
.....わからん。
そして、俺たち三人は相談室を後にするのであった。そう、これが俺の平凡な日常を変える大きな原因であったとは、この時の俺は、もちろん思いもしなかった。