第二話 ある日常に終止符が打たれ、また新たな日常が始まる。
五限は、数学。
姉貴に言われた通り、俺のこの時間は特に誰とも話すこともなく、ただ、ぼーっと窓の外の景色を眺めて過ごすだけの授業となっていた。
その間クラスはというと昼休みにバスケをやっていた連中が授業中にも関わらず、堂々といつもよく固まっている女子らに自身らの武勇伝を披露していた光景が目立っていた。
「.......ん、ぅ正斗、、、あの猿どもを、黙らせろ」
「無理言うな」
後ろの席にいる女が、俺にそう命令をしてくる。まぁ見ての通り、今のこのクラスは彼らのような所謂、リア充集団により仕切られており、誰も彼らには逆らえず、どれだけ喧しく気に食わない奴らであっても、皆彼らには口を揃えて仲良くするように心がけている。
ーーークラス内カースト、弱肉強食の原理である。
それにしても、どうやら彼らは、その女子グループのリーダー的ポジションにいる彼女に好意でも寄せているのか?
「.....でさ、ヤマトのシュートがマジすごくてよ」
「だよな、ほんとヤマトってスポーツ万能だよな?」
心からだが、警告はしといてやる。
お前らが相手にしているその女子生徒は、てめぇら程度が扱える品物じゃ無い。
俺は一年の頃、同じクラスであった彼女のことをよく知っていた。
「........ふん」
警告はした。あとはお前ら次第だ。
『キーンコーンカーンコーン』っと、気づけば授業の終わりの鐘がなっていた。
今日は、いつもより、ぼーっとしすぎてしまっていた気がする。
数学の範囲は、ほとんど家で予習済み、板書もほとんどできていない。っが問題無いだろう、数学は得意分野だ。
俺は、予定通りに姉貴から英語の教科書を取り返すべく、姉貴の教室に向かう。
そして、珍しく下校時刻でもないのに席から立ち上がると
「.....っぁ、正斗、どこ行くのよ」
俺の後ろの席でついさっきまで爆睡していた彼女は、俺が立ち上がるのに気付き、まだ寝起きの薄れた意識の中で俺に話しかけてくるが、俺はこう答える。
「......トイレだよ」
もちろん、嘘だ。
行き先地は姉貴の教室、なぜ、俺はこの生徒にわざわざ嘘の情報を伝えたかというと....
まぁ、こいつに関しては、後々に説明しよう。今は彼女について説明している、暇がなかった。
「......そ。 あぁ、そういや、次の時間、宿題あったわよね? ......見せなさいよ」
「はぁ.... 机の中にノートがあるから、写したいなら勝手に写せ」
「あぁ、、、 .....と、届かない、正斗、取りなさい」
そう、彼女は後ろの席から、前にある俺の席に如何にも取りにくそうに、とても非効率な体勢で俺にノートを取るように猛アピールをしていた。
「それくらい自分でやれよ」
「......正斗のくせに生意気」
「何がだよ。」
俺は、相手をするのが面倒になり、さっさと机からノートを取り出し、そいつに手渡すも、そいつから、感謝の言葉は一つもなかった。
.....まぁ、いつものことだ。
「あぁテストやばい!やばい!」
「範囲どこだっけ、前のやったところだよね?」
「俺!宿題終わってなかったじゃん!」
「私今日のテストほんと自信ないわ〜」
「あぁ俺も全然勉強できてないしな」
「でた、コソ勉二人の嫌味トーク」
次の授業は英語、宿題の提出とテストがあるのにも関わらず、俺は全く勉強の一つもしていなく、そのため、俺は急いで姉貴の教室に向かい教科書を取りに行くことにした。
ここで前言撤回。
休み時間、昼休みというのは、長くて不便になるものじゃない。その時間は貴重で、学生はその時間をもっと有効活用するべきだ。そう、その時間を如何に有効に扱えるかで学園生活、色々と変わってくる。
そう、俺は思う。 昼休み万歳と。
「.........」
まぁ当たり前のことだが、俺と姉貴は双子の姉弟で二人共も今年で高校二年生になる学生だ。
双子である、俺と姉貴、昔から色々と喧嘩をしてきたことも多くあったが、最近では、あの姉貴の存在が姉という立ち位置で本当によかったと思うことが多々ある。
文武両道、才色兼備の姉だ、対して俺は、悪くは無いものの到底そんな存在に太刀打ちができるほどのステータスを有していない。
むしろ、俺は弟である身分であったことはひょっとすれば幸運なことだったのかもしれない。
「............幸運では、、、ないよな」
俺のクラスは二年二組、姉貴のクラスは二年六組。
俺の教室は二階にあり、姉貴のクラスは俺の教室から一つ上の階の三階にあるため、姉貴の教室に向かうためには、わざわざ、あの長い階段を登らなければならない。
運動部にも所属していない、半分引きこもり状態の俺にとっては、その階段の威力は計り知れないものだった。
ここ、私立光凛高校は、一学年全十クラス制、まぁ簡単に全体を説明すると一組から七組が一般生徒の通う普通科クラス。
残りの八組と九組がその普通科よりも少し偏差値が高く設定されている進学科クラス、そして、最後の十組がスポーツ推薦という特別な入学方法で集まってきた生徒の通う、アスリート科のクラスである。
.....まぁいたって普通の一般私立校だ。
まぁそうこうしている内にそれほど遠くのない姉貴の教室、二年六組の教室前にたどり着いた。
『ガララララララ』
教室の前に着くなり、直様、俺は姉貴の教室に入ると、やはり瞬間は皆が俺に注目をするもの。 だが、それも初めの方だけで誰も俺を見る気にはしない。
「誰だ。あいつ?」
「あんなやつ。クラスにいたか?」
「知らない〜い。 それよりもさ」
.......誰も俺なんかに興味を示さない。
そうだ。俺なんかよりも、ここのクラスは異様な光景で、その連中の多くはある特定の場所に目が向けられていた。
「..........」
そう、彼女は教室の窓際、一番後ろのその席で一人、誰とも交わることなく、ただそこで彼女は本を片手に読書に耽っていた。
日差しの強い今日、太陽は、そんな彼女を優しく照らし、本の一瞬だが身内の俺にも彼女の姿は、本当の女神のような風貌に見えた。
......さすが、『学園の女神』と言われているだけのことはある。
「ほんと、郁音様は美しいな」
「ただ本読んでるだけだけど、何をしていても絵になるよな」
「あぁ、だるかった授業終わりにでも後ろを向けば郁音様がいるって思えば、なんか元気でるわ」
「........」
そんな日の光と盛栄を浴びる姉貴とは、裏腹に常に影の世界で生き続ける俺みたいな底辺の存在を、いくら双子の姉弟であったとしても同じジャンルに収めることは決して、許されることではないんだろう。
ほんと、同じく穴から生まれた姉弟でも、ここまで違ってくるのかと.....
「.............笑える。」
「........っん?」
俺が姉貴に近づくにつれ、姉貴自身も俺の気配に気がついた。
「..........」
「..........」
しかし、彼女からは何も話しかけてはこなかった。
ただ、本のページと顔を合わせているだけで、こちらに対しては全くの無関心で俺とは、あくまで他人である風に演じてくれていた。
姉貴なりに気を使ってくれているのだろう。ほんの少しこちらを振り向いただけで、俺に気づいていない素振りを見せてはいるが、長い付き合いだ、姉貴のことはよくわかっている。
「........」
それにしても、こんな緊迫した空気でどう姉貴から教科書を返してもらうっと思う暇もなく俺の前にそれはあった。
この学校には、各教室の後ろの壁際には、生徒一人一人に設けられている個人専用のロッカーがクラスの生徒の人数分置かれている。
その数あるロッカーの中でも、一際目立っている稲柄 郁音と書かれたロッカーの扉の前には、何故かセロハンテープで俺の英語の教科書であろう、書物が貼り付けられていた。
「..........」
まぁ確かに、これが俺と姉貴が一切関わることなくやり過ごせる一番のやり方であらうと、俺自身もそう思った。
....これは、姉貴なりによく考えたことなのだろう。
だが、俺は知っている。
姉貴は、普段からセロハンテープなんて持ち合わせていない、普通どこの教室にも常備セロハンテープが備え付けれてるクラスはほとんどない。 大方、クラスの名前も知らない誰から借りたきたものを使用したんだろう。
普段から、俺を見下す態度を取る姉貴だが、こう言うことに関しては、本当に抜かりが無い。
だが、大嫌いだ。
でも、そんな俺が未だに彼女の存在を拒絶しきれていない部分は、こういう所からできているものだと、改めて実感する。
このままいけば、姉貴と関わることなく、この場をやり過ごすことができるだろうな...... けど。
それはそれで、気に食わん。
俺は、ロッカーに貼り付けられた教科書に顔を向け一言。
「何だこれ、姉貴ってほんと不器用だよな。 ほんとっすげぇ助かる。でも姉貴、クラスではもっと感じこいい雰囲気を出したほうがいいぞ? .......ふん」
ふと、思わず最後に笑みが込み上げた。
姉貴とは背を向き合った状態でいた。
これが今の俺たち姉弟にとっては一番話しやすい体勢なんだろう。
「.........貴様が言うな」
「いや、すまん... なんか 笑えた。 で、どうだったよテストの方は」
「あぁ、自己採点通りに行けば、相変わらずの満点だろう。 だが、聞く所によると、どうやら、今日は警戒していたその輩は学校を休んでいたらしくてな、無駄に焦る必要はなかったよようだ」
「そうかよ」
俺たち姉弟は、見ての通り仲が悪い。ので、家に帰っても基本、家の中では、それほど多くのことは話さない。
だが、こんな俺にとっては何ら俺代わり映えのない日常の会話であっても....
「.........」
そんな周りの連中にとっては。
「おいっなんだよ、あいつ郁音様に喋りかけていやがるのかよ」
「しかも、あの郁音様が返答をしている!」
「後ろ向きあってるけど、確かに話し合ってるよね」
「あれが噂に聞く、郁音様の弟だったりしてな」
「いやいや、ないない、郁音様の弟があんな冴えない奴のわけないだろ」
「はぁーいいよな、本当にいるんのかよ、郁音様の弟なんて」
「あんな可愛いお姉ちゃんがあれば、誰だって幸せ者だろ」
「そりゃ違いねぇ」
「世の中、マジで不公平だわ〜〜 マジで理不尽」
「.......」
はぁ..... またこれだ。
周りとの関わりの少ない俺が学内で本の少しでも姉貴と会話を交わし、関わりを持つようなら、彼女と何らかの関係者ではないのかっと疑惑の目を向けられることは、高校に入学した頃からよくあった。
その際に、俺はいつもいつも、周りから注目されながら生きてきた。このたかが十六年間をずっとだ。
みんなから注目される ーーー稲柄正斗。
誰よりも幸せなはずの彼は、誰よりも可哀想な無力でどうしようもなく無様な存在だった。
あれは、小学生の頃か?
当時の姉貴の人気は、今に劣ることもなく凄まじいものだった。
小学生という恥を知らない思考回路、それが裏目に出てか、普段から姉貴の周りに不特定多数の男子生徒たちが寄って来ていた。
もちろん、そこに俺の入る余地なんてなかった。
「はぁ〜 まじであの稲柄と同じクラスとかほんとついてねぇわ」
「だよね、てか、男子らほんとうちらに興味ないよね」
「マジでムカつく、でもさ、あいつ、今日普通に授業受けてたけどさ、あんた本当にやったんでしょうね?」
そんな、ある日のことだったか?
ある些細なことが原因で、俺、稲柄正斗が稲柄郁音の弟であることが学校中の男子生徒たちに広く知れわたり、結果、俺はその日以降、ひどく周りの男子たちから反感を買うようになっていた。
もちろん、当時の自分に非がないとは言い切れなかった。
しかし現状、俺に友人が存在しない何よりの原因は、俺の姉貴、稲柄郁音のその存在が大きく関わっていることは断言して言えることだ。
俺は小学校から、周りの男子達から遠ざけられていた。
それは、女子もからも同じだ、女子からは人気のなかった姉貴、そんな女子たちからも稲柄郁音の弟であり、脆弱であった俺は風評被害に周りの女子から煙たがられていた。
そんな中、たまに話しかけてくれる男子たちもいた。
何か用があると思いきや、やれ姉貴宛のラブレターを渡してくれだの、やれ何か姉貴の好きな物を教えてくれだの、それはとても都合のいい付き合いばかりで....
俺は、そんな風に付き合ってくる周りの人間たちに嫌気を差し、同時に半分、人を信じることのできない人間不信な状態になっていた。
「んじゃ、帰るわ」
「.........何か、思うことがあるのか?」
それが中学校になる頃には、その噂はすぐに周りに拡散され、誰もが憧れる容姿端麗、才色兼備な美人の姉を持つ俺、稲柄正斗は校内中の男子生徒たちから一方的に嫉妬されるようになり、俺に好き好んで近寄る生徒は、ほとんどいなくなっていた。
......ほんと、迷惑な話だ。
「別に.....」
「早く言え....... 命令だ」
「いや、本当に何もないんだって、姉貴の考えすぎだって」
「............そうか」
ほんと、勘のいい姉貴だ。
なんで、表情も見ずに俺の考えが読み取れんだよ、これでも声には出さないようにしてるんだぜ。
「まぁ、貴様も次の時間には、テストがあると言っていたが、私の弟であることに恥のない点数を取るように..... 以上だ、さっさと帰れ」
「...........言われなくてもよ」
ほんと、不器用な姉貴だ。
でも、後ろから見る姉貴の背中は、いつものように気高くもあり神々しくもあったが、少し、姉貴のその背中は どこか悲しげな覇気のない姿に俺は見えた。
「.........」
目の前にあるのは、間違いなく俺の教科書だ。
たかがセロハンテープで固定されたこの教科書を剥がせば全て終わること、俺がここにいる意味がなくなってしまう。
まさか。
ーー俺は、ここにいたいのか?
バカなのか?
冗談でも、そんなこと思っちゃいけないことだ。
早く教室に帰ってテスト勉強、そうだ、この教科書を持って帰れば全て終わる。
「.........」
でも、なんだ、この胸に居残る嫌な感じは......
何かが、俺の心に突き刺さったままでいる。なんだか、胸の中側がムカムカする。
わからない、何が俺を.....
「.........」
それは、前方。
前列から二列の扉側から聞こえてくる女子生徒たちの声だった。
「マジでやったて、ちゃんとゴミ箱に捨ててきたし、間違いないって、たぶんどこぞの男子にでも借りたんだろ?」
「はぁ〜 マジであの尻軽、いつも、どんな風に男子から借りんだろうな?」
「一回やらせてあげるから、とかだろ?」
「はぁーー まじそれウケる」
「「あはははははははははっ」」
「.............」
.............あぁ、お前らか。
『ッピリ!!!』
俺は、ロッカーに貼り付けられていた教科書を剥ぎ取り、偶々、ポケットに入っていた輪ゴムを使い、教科書を丸くまとめ上げ、投げやすい棒状にする。
「..........」
何度も言うように、俺は誰からも注目されない。
俺にとって、稲柄郁音の弟というのは、正直、荷が重すぎる、やめれるもんなら、今すぐにでもやめて自由になりたい。
でも今だけ違った。今ではこの影の薄さに有り難みを感じる。こんな圧倒的な存在が教室の片隅いるんならよ、誰も俺のことなんか見ようとはしないし、関わろうとはしない。
それでいい。その間ずっとそこだけで見てろ。
俺は教室から出るために扉の方へ向かう..... だが、狙いは一点だ。
「次何する?」
「筆記用具と数学の教科書はやったろ、なら後は上履きとかじゃねぇ?」
「いいね、それ!」
何度も何度も言うが、俺は姉貴が大嫌いだ。
すぐに俺を見下すし、欲張りで頑固、家ではすぐ俺に暴力を振るうし、姉貴のわがままもすんなりと聞いてしまう俺がいる、口が悪いのに、何故かそこも無駄に可愛い、弟でもたまに大嫌いなはずの姉貴に欲情しそうなときが多々あるが、そんなことは今になってはどうでもいい。
「ほんと、あんなののどこがいいんだか」
「なんか見てるだけで腹立つし」
「あぁいうのは、見た目だけで中身は大したことないのよ」
「じゃぁ今日も放課後、じゃんけんで負けた奴が実行役ね」
「絶対今日は勝つし」
でもよ、俺は姉貴のことは大嫌いだが、本当に姉貴はすごい存在だと納得しているし、誰よりも尊敬もしている。
見た目がどうこう、中身がどうこう、容姿端麗、才色兼備、そんなことはどうだっていい。だが、稲柄郁音という、その存在のすごさはそんな表面的なことじゃない。
そんなものは全て、彼女にとってはお飾りにすぎない。
それに..... お前は、俺よりも目も耳もよくて、俺以上に周りに敏感だろうが、それなのに.....
「ねぇもう、さすがにやばく無い? 最近、教師らよりも生徒会の方がこういうのうるさいって聞くし」
「大丈夫だって、あいつのこと嫌いな奴なんて、たぶんこの学年の女子全員なんだし、バレないって」
「そうかな.....」
「そうそう、あんな奴は嫌われて当然なの」
俺は、姉貴が歩んできた道のり、努力をこの目で見てきた世界でたった一人の存在だ。これだけは断言して言えることで、なら、この中に、稲柄郁音の小学生時代を知るものがどれだけいる?
.....きっと、誰一人としていないはすだ。
なら、この中に、稲柄郁音の本当のすごさを知っているものがどれだけいる?
........誰もいねぇんだろうがよ。
だが、俺は知ってる。今、ここにいる俺だけが本当の彼女、稲柄郁音の存在を知っている。
「........ほんと、何やってんだか」
そんな俺だからこそ、ただこの世界で一人、稲柄郁音を嫌うことを許されている。
そう、俺は、姉貴のことが大嫌いだ。今後も大嫌いであり続けたい。姉貴には暴言だって吐くし、喧嘩もよくするし、存在だって否定してやるし、これからも仲の悪い姉弟のままであり続けることだろう。
だから、そんな姉貴がどこの誰に何をされていようが、俺には、関係の無いことで、普段から、聞き耳のいい姉貴のおかげで、家の中じゃどこにいても姉貴のことを愚痴れない俺を前にして、堂々と姉貴の悪口を言ってる連中がいたって、俺は何とも思はないし、そこまで、気にする必要は.....
「........あんだな、それが」
ーーーどうでもよくねぇんだよ。 全部。
....................でも。
「じゃぁいくよ、最初はグー、じゃんけん」
「てめぇ、程度が................」
―――稲柄郁音を語るな。
『..........ッシュン‼︎‼︎』
『っんがっ!!!』
『ガララララララララ』
直線上に投げた俺の教科書は、弾丸の如く見事に首謀者であろう女の左目にクティカルヒット、その後、俺は颯爽と教室から抜け出し、急いで自分の教室に逃げ去っていった。
クラスのほとんどは姉貴に目が行っていた、それは確認済み、誰も俺の姿を観たものはいないはずだ。
『ユっユカ!大丈夫?』
『ちょっ!誰だしユカに教科書ぶん投げてきた奴!』
『いった―――ーーって、誰よマジで、ッムカツク!』
『ユカ、大丈って、ぷ!。ユカ、左の方のつけまとカラコンとれてるよ』
直様、教室から立ち去った俺、その後のことは俺は知る由もない。
『あぁーぁー下品だよな、あんなじゃ一生彼氏なんてできやしねぇよ』
『郁音様でも見て落ち着こうぜ』
『おい、なんかあったらしいぞ』
『そんなん、どうでもいいだろ、俺は郁音様を見るのに忙しいんだよ』
稲柄郁音は強い。
―――そんな姉貴は誰よりも強かった。
そうだ、この世であれをバカにしていいのは俺だけだ。俺の特権なんだ。それを他の奴らに譲るつもりはない。
今まで、あいつの弟でいて散々、酷い目に遭ってきたんだ、ちょっとぐらいバカにしても神様は俺に罰を与えたりはしない。
「............」
小学生染みた、嫌がらせの一つだった。
もちろん、姉貴のためなんかじゃない。あんな事をしても意味がないことはわかってる。
ただ、今日に関しては、俺は昼休みの一件で色々と腹の中に溜まったもんがあったから、怒りをぶつける矛先が欲しかっただけで、きっと彼女らのようなジャンルの生き物は、これから先も姉貴に対しての嫌がらせを止めることなく続けていく....
「えぇ〜また私の負けだし、ちょっとミサコ次は代わってよ」
「嫌よ、じゃ、明日までに罰ゲームね」
「んもぉ〜、わかったわよ」
「............」
「またあいつら、郁音様にちょっかい出してんのか?」
「まぁどうせ、そろそろIML同好会が動く頃だし大丈夫だろ」
「......そうだな、あいつらに任せれば大丈夫だ」
「...........」
『―――なら、やらない方がマシだろ?』
......正にその通りだ。
俺はそう確信し、ただ何もすることなく、誰にも気づかれることなく、静かにその場から自分の教室へと去っていく。
手には、ちゃんと英語の教科書があり、廊下の外から今も彼女らの楽しいそうに騒ぎ合う声が聞こえてくる。
もちろん、彼女のつきまもカラコンも未だに無事健在。
『ガララララララっ』
「........」
ここで一つ、お前らに言いたいことがある。
―――そんな勇気が俺にあるわけ無いだろ?
言った通り、稲柄郁音は強い。だから、俺の助けなんていらない。
こんな些細ないじめ、姉貴にとっては中学の頃からずっとで今に始まったことじゃない、きっと周りが手を出さずともこれぐらいのこと彼女個人、一人でどうにかできることだ。
「......」
結論、悪いのは姉貴本人だ。
実際、姉貴自身のクラスでの態度はかなり悪かったし 、周りから愚痴を言われてもあれじゃ仕方が無いこと。
周りから悪く思われたく無いのなら、それなりの態度と誠意が必要だ。 が、今の姉貴はそれの必要性に全く気づけていない。
「...........」
俺は、姉貴のことが大嫌いだ。
俺に無いものを全部持ってる、そんな姉貴のことが.....
『そんな俺が、あれをバカにしていいのか?』
否だ。 ―――程々、自分の力の無さには、呆れるばかりだ。
そう思うことが多々ある。
だけど、そんな俺にも、一つだけ言えることがあった。
稲柄郁音の存在は『悪』だ。 俺には、そんな彼女の存在を否定しなけらばならない理由があった。
それに、この先もずっと何があろうと俺たち二人は、仲の悪い姉弟のままで互いに分かり合える日なんて来やしない。
それでも俺には......
「......さ、テスト勉強。 .........テスト勉強」
『―――お前程度が稲柄郁音を超える?』
「..........」
.......悔しさで前が向けない、何かを夢見るスポーツマンでもない無気力で怠惰な俺にも、そんな日がよくあった。
「.....クソが」
そんな有りもしない、分かり合えた先の未来が訪れた、ある日.....
ーーーそれでも俺は姉貴のことは大嫌いだった。