第一話 あの日あの場所で、いつも俺はそこに居た。
「.....何か用か?」
顎を手に置き、明らかに面倒くさそうな言い振りで、俺はそう答える。
これが俺にできる彼女に対するせめてもの反抗態度であり、昼休みが半ばほど過ぎた頃か、彼女は何の前触れもなく俺の教室に現れたのだ。
「用がなければ、わざわざ、昼休みという貴重な時間を割いて愚弟の教室にまで来やしない」
彼女の名前は、稲柄郁音。俺たち二人は似ても似つかぬ列記とした双子の姉妹で、まぁご察しの通りに仲がすこぶる悪い。
「.......だよな」
これから、始まる俺たち姉弟、二人の物語。
....本当に思う。
昼休みほど、不必要で無意義な時間帯は他に無いと。
そう彼女は、教室に入ってくるなり、早々と俺の隣の席の机の上に堂々と足を組みながら座り、見下すように、その黒く鋭利な瞳で俺を睨みつける。
「相変わらず、一人でぼーっと過ごしているのだな」
俺の姉貴、稲柄郁音は、見ての通り、どこに出しても恥をかくことのない、絶世の美少女。
髪型は長い黒髪を黒と赤のリボンで結んだポニーテイル、黒い大きな瞳に鋭い目つき、その容姿は凛々しくも気品に満ち溢れ、神々しくもあった。
更にスタイルは抜群で、スポーツも万能、おまけに学内での成績も俺を超える学年総合成績一位の実績を誇っておられる。
ははははっほんと、相変わらず、絵に描いたような完璧超人だ。
本当にこんな人間がこの世界に、それも俺の身近にいるんだと思うと... ほんと、嫌になる。
「うるせぇ、俺は一人が好きなんだ。 ....一匹狼なんだよ。そう、言うなりゃ群がる子羊どもを狩る獰猛な」
「あぁもぅいい、もぅわかった。貴様がどうしようもない、手遅れな存在であったことを忘れていた」
「.......っくぅ」
そう、彼女は、いつだって俺のことを見下す。
それは、床下に這い蹲るドブネズミのように....
まぁ彼女自身、弟である俺にとっても雲の上の存在、誰も彼女を否定できず、そんな彼女に、身内である俺でさえ歯向かうことができないというのは、本当にどうしようもなく屈辱的で、あまりの自分の不甲斐なさに呆れてしまう毎日であった。
―――俺は、そんな存在、稲柄郁音のことが大嫌いだった。
「....ん、っで、何の用なんだよ」
普段、用もなしに俺のいる教室になんか近づくはずのない姉貴が俺の教室に訪れるというのは、今学期になって初のことであった。
「要件は一つだ。 確か貴様のクラスは今日の六限に英語の授業があったことを思い出してな。 愚弟、今日は、貴様が持ってきた英語の教科書をこの私に貸すことを、特例で許してやる。」
「......」
いやいや、たかが教科書一つ忘れたぐらい、そこまで大した用事じゃない。 そんな、どうでもいいことのためにわざわざ廊下に出て俺の教室にまで来たのかよ。
「......アホか」
....なぜって?
それは、姉貴自身、この校内において、自分がどれほどの影響力をもたらす存在なのか自覚が足りていない。
いや、実際に、この女、稲柄郁音が外をウロつくだけで、校内中の連中は全員大抵は何らかの騒ぎを起こし出す。彼女が教室を出れば廊下は荒れだす、体育の授業ともなれば、それを見物すべくトイレに行きますなどの適当な理由で授業から抜け出す連中も多々いる。
そう、彼女の存在は、俺の平凡な学園生活を一歩、一言、片手一つで簡単にぶち壊してしまうほどに危険な存在であった。
......ったく、どんだけ、傍迷惑な存在なんだよ。
「教科書ぐらいなくても、学年一位の姉貴なら、簡単にやり過ごせるだろ」
「なに、次の授業には、テストがあってな、その予習も兼ねてのことだ」
「なるほどな、別に貸すのはいいけど。 今度からは、教科書借りるぐらい他の奴に頼め、こんなしょうもないことでわざわざ俺の教室には来るな、只でさえ姉貴は目立つんだから。 後、今日はいつもより早めに、ベンチ裏に置いておけよ」
俺にだって、六限目の英語の授業にテストがあるんだ。
まぁ、一年の頃なら、姉貴が教科書を忘れ、今日のように俺の所に教科書を借りに来ることは多々あった。
そして、この学校には、廊下の各教室前ごとに生徒たちが五人ほど座れる大きめの共用ベンチが配置されている。
なるべく、姉貴との接触を避けたいために、姉貴が俺に教科書を借りに来る際には、なるべく人が少ない時間帯に、返す際には、教室前に置かれているベンチの裏に隠し、姉貴が去った後に、俺がその姉貴の隠した俺の教科書を回収するというような、面倒なことを繰り返し行っている。
ったく。
姉貴は、決しての自分の意見を曲げようとはしない。このまま行けば、時間の無駄、それに時間が経てば、クラスの連中が教室に帰ってくる。
クラスの連中は、全員、俺と姉である稲柄郁音に接点があり、姉弟の関係であることを知らない。
つまり、また騒ぎが起きないよう、姉貴には、ここから即座に退場してもらう必要があった。
「なぁ愚弟、今日は随分と私に上から目線じゃないか? それに前々から思っていたのだが、その作業はとても面倒だ。 それぐらい自分で取りに来たらどうだ?」
「......」
はぁ?
俺に取りに来いっと?
授業終わり、生徒がクラスに最も集中しているそんな頃合いに俺が姉貴の教室に出向くようなら、俺と姉貴に何らかの関係があるのではないかという、また、有りもしないデタラメの噂が校内中に広まってしまう恐れがある。
「無理だな、いつも通りに頼む」
「貴様は周りを気にしすぎだ。よくよく考えれば、弟に私が教科書の貸し借りをしていただけで、私たちが本当の姉弟であると察しのつく生徒はこの学園にはいないだろう」
まぁ確かに、そうだな。
実際に、俺たち姉弟は、名前が同じだけで顔付きもえらく全く違う、そして何より明らかに接点がない。
それを、たかが教科書の貸し借りをしているところを見られたぐらいで、俺たち二人が姉弟であるなんて周りからすれば夢にも思わないことだ。
だが....
「念には念だ。 俺は極力校内では姉貴とは関わらない、そう決めたんだ」
「貴様のそんな、くだらん理由のために何故、この私の貴重な体力を削がなくてはならないんだ。 今まで、わざわば貴様の教室まで教科書を返しに来た私がバカらしい。 私も決めた。 今日からは貴様が私の教室に取りに来い」
......っち。
なんで、この姉貴は、こう頑固で欲張りなんだ。ほんと、良いのは頭とその見た目だけなのか?
「なぁ姉貴、前々から思ってたんが、俺に対して常日頃、偉そうすぎやしないですか?」
「.....なに?」
「俺たちは双子の姉妹なんだ、年の差なんて ほんの数分単位、俺は姉貴とは、これから、もっと互いに打ち解けあった友好的な関係を」
「無駄口はいい。 私は貴様と違って忙しいんだ。さっさと渡せ。そして、返して欲しければ私のとこまで取りに来い」
「......その態度が気に食わん」
「ぁ?」
「それが人にものを頼む態度かって言ってんだよ」
ほんと、口が悪い。
でも、さっさと帰ってほしい。
「それにだ、高校の入学式の時にあれだけ入念に話し合ったよな? 学内では、俺に近づくな、話しかけるな、関わるなって」
そうだ、俺は高校の入学式、初めて高校に向かう朝の日、姉貴とは、玄関前で入念に話しあった。学内では、基本お互いに関わり合わない。お互いのことを詮索されても何も答えない。
もちろん、これらのことは俺の身の安全のためだ。入学前、俺の予想通りに、姉貴は新入生たちからの注目の的であった。 そんな存在の弟が、俺みたいな冴えない男だと分かれば、間違いなく周りからの反感を買う。
まぁ実際のところは、姉貴との関係がばれずとも俺は、クラスでも馴染めずに友達は一切できていない。
ほんと、なんでだろうね?
「そうか、まだ私が貴様の姉であるということを知るものは多く無いのだったな」
「そうだ。何のために、この俺がわざわざ目立たない役を演じていると思ってるんだ」
「目立たない役? 何ドサクサに紛れて自分はやればできますアピールをしている。貴様が目立たないの元からだろうが」
「......っく、ぅ」
「それに、貴様もどうせ、その席で授業もろくに聞かずに、ただぼーっとしているだけなのだろ? テストもないんだったら、教科書を使う必要は無いはずだ」
「なら、残念だったな、生憎、俺のクラスも今日の六限目に英語のテストがある。それにだ、姉貴に教科書を貸せば、五限目の授業中にテストの予習をする俺の予定が台無しになる」
「それが、どうした。 貴様のクラスにテストが有ろうが無かろうがどうだっていい。 教科書を忘れた姉に弟の身分であるお前が教科書を私に貸すのは当然のことだ」
「.......な」
なんて、むちゃくちゃな。
そう言えば、この女が今まで俺に引いたことなんて人生で一度たりともなかった。
「........ん、ちょっと待て」
とりあえず俺は、仕方なく神頼みに後ろの席の机の中を探ってみるが、生憎、一番後ろの生徒の机の中には、教科書どころか筆記用具一つすらなく、そこには何も入っていなかった。
.....っち、あいつ、教科書ぐらい用意してろよ。
「そ、そもそもだ。 全部、姉貴が教科書を忘れたのが悪いんだろうが、なんで、姉貴のミスに弟である俺が巻き込まれなくちゃならねぇんだ」
「ん、、、まぁ、そうだな、言われてみれば、それも、強ち間違いではないな」
「だろ?」
すると、姉貴はしばらく頭を抱え出し、何やら考え込み出した。
「よし。 なら、ここは姉弟らしく、じゃんけんでけりをつけようか」
「何でそうなるんだよ」
「一番公平的な解決策だと思うんだが?」
「公平だ? そもそも、俺が姉貴に教科書を貸して、俺に何のメリットがある?」
「メリットならあるじゃないか、私は、貴様から教科書を受け取るまで、ここから一歩も立ち退く気はない、これは貴様の姉として、私の意地だ」
「そうですか。なら、一生そこにいてください」
「そうだな、愚弟には、他の奴らには決して見せない、じっくりねっとりとした熱い眼差しで貴様のことを見つめ続けてやろう。 それはもう、他の男子らが羨み、貴様に食らいついて来るような」
「ん、そ、そいつ、ありがたい。でもいいのか? そんなことしたら、また変な噂が校内中に広まるぞ? そうなれば、最後に困る羽目になるのは姉貴の方じゃないか?」
「私が困る羽目に? いいや、困るのはいつだって貴様一人だ。 愚弟。」
「.....は?」
「何しろ、私がここにいる限り、貴様が校内中の生徒らに注目されることは不可避だ。ここに来る前に教室の扉を閉め、カーテンをかけてやった姉の計らいに感謝しろ」
「.......っく」
やはり、下手な脅しはこいつには、逆効果だったか、俺が周りに注目されること、目立つことを嫌っているのを知っている姉貴は、自身の立場を最大限に利用できる策をとってくる。
「なんだったら、今すぐ、扉とカーテンを開けて、公開処刑といきますか?」
「な、なんて、恐ろしいことを考えるんだ」
「それにだ、今更、私にそんな噂一つが広まった程度じゃ、私にはどうってことじゃない」
、、、確かにそうだな。
今更、あの稲柄郁音が冴えない男子に熱い眼差しを向けていた、なんて噂、今の姉貴にとっては痛くも痒くもないことなんだろう。
実は、実家がすげぇ金持ちで自宅から学校までは、馬車で通ってるやら、実は、大学生や社長の彼氏、愛人が複数人にいるやら、有りもしない、誰が流したのやら、そんな数多くの噂が稲柄郁音、俺の姉貴に取り付いている。
「それに愚弟、火の無い所に煙は立たなぬっていう言うだろ? だが、もしも、愚弟のような輩のおかげで煙が立ってしまった後には、私はいつもどうしていると思う?」
「......火種を八つ裂きですか?」
「いや、私自身はどうもしないさ。 ただ」
姉貴は、儚げな表情で一息吹きかける、そして、その手を強く握り締め.....
「ふぅ .....煙は吹けば消えるし、火種を叩けば煙は立たない」
「........」
だめだ、このままじゃ、力ずくで奪われる。
もう、いっその事、渡したほうが楽か?
注目されることに慣れない、注目されることが嫌いな俺。
注目されることに慣れた、注目されつことが嫌いな姉貴。
この状況下では、俺が圧倒的に不利だ。
それに、周りの奴らから、俺に対して、姉貴関連の有りもしない噂が立つことは、俺にとっては最悪の事態だ。
だが.......
「まぁでも、残念だったな、今このクラスには人がほとんどいない、それに、この教室にいる連中は俺たちに興味を示していない」
「どうやら、そのようだな」
「だから、このままじゃお互いに」
俺の計算では、もうしばらくは帰ってこない。
それまでに、どうにか姉貴を説得して....
「こっちのクラスは、リスニングのテストがあるんだ」
「......」
「最悪、隣の席の女子とペアで教科書の見せ合いっていう状況はなんとかして避けたい」
あぁ、その気持ちはわかる。
「隣の席の女子とは、色々あってな。 その女子は私のクラスでは結構中心にいる奴なんだが、その女子の彼氏が最近、私に告ってきてな」
うわぁ、、、
「もちろん、その告白は丁重にお断りしたんだが、それが原因でその女子と私に告白してきた男は別れたらしい。 それ以来、どうやら、その女子は私のことを目の敵にしていてな、今ではその女子を中心に私の有りもしない噂が流されている」
「........」
「.....ほんと、笑えるよ。」
「やっぱ、姉貴........ ぼっちなんだな」
「うるさい。 黙れ」
「なぁ、そもそも、姉貴ならそこらの男子に頼めば、教科書ぐらい喜んで貸してもらえることだろ?」
「浅はかだな、愚弟。 そんなこと、一年の頃に何度かは試していた。 だが、それに恩着せがましく男子の連中は、教科書のページに告白文が書かれ、ラブレター代わりにしたり、稲柄さん俺に興味があるんじゃないのか、決めた俺明日告しようだの..... あぁ、思い出しただけでも、腹立たしい」
「なんか、悪い」
やっぱり、姉貴も姉貴で大変なんだな...
「いや、私も悪い、少し取り乱した」
「.......」
それから、しばらくしてだ。
姉貴はふと何かを思い出したように、昔のことを語り始めた。
「なぁ、弟、何時しか子供の頃に読み聞かせてやった、ネズミとカラスの話を覚えているか?」
「覚えてねぇよ、そんな昔聞いた話なんて」
「そうだな、確か.... 昔々、あるところに、いじめられっ子のネズミと」
「すまん、今思い出した。はっきりと思い出した。 だから、教室の中で昔話を語り出すのはやめてくれ、お互いの保身のために」
「....思い出したのなら、それでいい」
まぁ姉貴の話そうとしていた昔話を説明すると ...
昔々、と言っても結構最近の話なのだが、ある所に、いじめっ子のカラスといじめられっ子のネズミがおりました。
その、いじめっ子のカラスはネズミが見つけた食べ物をいつも空から横取りをし、それを自分の巣がある電柱の上に持ち帰っていた。
そんなネズミは、食べ物に有り付けず、いつもお腹を空かせていた。
ネズミは、ある時、ふと思いついた。
カラスがほかのカラスと話してる最中にネズミはあの大きな電柱をのぼり、今まで、取られてきた食べ物を取り返す計画を考えた。
だが、ネズミが垂直に聳え立つ電柱の頂上まで登り超えることは無理があるだろう。 っと考えた俺だが、そこはお話、ネズミは電柱をすらすらと登り一気に電柱の頂上のカラスの巣までたどり着いたのだが、ここで問題が生じた。
電柱の頂上まで、登れたのはいいだが、ネズミは生まれて初めて見た高い景色に怖気付き 自分が高いところが苦手であり、下に降りられないことがわかった。
何度も降りようと試みたが、時間の無駄、とうとうカラスが帰ってきてしまった。
もちろんカラスは怒り始めたが、同時に良い考えを思いついた。 それは、ここから降ろしてやるかわりにこれから毎日、カラスために食べ物を見つけてくるという提案だった。
しかし、その提案を拒んだネズミは、電柱の上から飛び降りた。 ネズミは勇気を振り絞り、そこからの脱出を試みたが、リアルに電柱から飛び降りたネズミは地面に体を打ち付け、墜死した。
これは、昔々、当時今以上に寝つきの悪かった俺に姉貴が即興で作ってくれたお話であった。
「この話からわかることは、定められた運命からは逃れられないということ」
「つもり、どういう意味なんだよ」
「つまりはだ、どれだけ努力をしようと、努力だけじゃ人も動物は何もできなし、変われることはできないということ」
「.........」
「何を得るにせよ、何かを捨てなければならない。 例えそれが自身の全て、プライドであろうと」
なるほど.....
わからん。
なーっに言ってんだおの女は、さっぱりわからん。
「そろそろ時間がない。 いい加減に教科書を貸せ、愚弟」
「嫌だ。」
「ここで私は怒る、 姉に向かって何だその態度は! そして、同時に良い考えを思いつく。ここで提案だ弟よ。 ここで弟が取れる手段は二つ、私に教科書を貸すか、教科書を貸さない、 そして、ここで私が取れる手段は......」
そう言うと姉貴は指をポキポキと音を立て、苛立ちを隠せないのか、普段、俺に見せないニヤついた苦渋の表情を浮かべ。
「弟を八つ裂きにしてでも武力行使、力尽くに貴様から教科書を奪い取る」
「ふ..... 不吉な話はよせよ」
「私がお前に嘘偽り、冗談を話をした覚えがあるか?」
「なぁ、姉貴なら、予習とかしなくても満点ぐらい余裕だろ? 俺は英語が得意な方じゃないし、点数悪かった奴は放課後に居残りがあるんだよ」
「貴様の事情は知らん。 それに、いくら、私が学年一位の俊才であっても、予習もせずにテストで満点が取れるわけがなかろう。 私には、学年一位として毎回のテストで満点を取り続けねばならない宿命がある。 もしも、満点を取り逃がすようならば、どこぞの輩がしゃしゃりでてくるかも知れんしな」
「自分の意見ばっか言いやがって、こっちには、こっちの予定ってもんがあんだよ」
「ふん、どうやら、私と貴様、互いに守らなければならないものがあるというわけか....」
時間を見るに昼休みはもう終わる。
それまでに、どうにかして姉貴を諦めさせて、教室に帰らせ.....
......え?
「だが....... 私の勝ちだ」
「......なんで」
残り五分。 昼休み終了まで残り五分もなかった。
なんで? いつの間に、このままじゃクラスの連中がすぐに帰ってくる、そんな考えが俺の脳裏によぎり、今までの出来事、普段は口数が少ない、異常なほどの姉貴の行動に目を向け、今置かれている俺の現状を理解した....
「.....時間稼ぎか」
「その通りだな、貴様をこの時間まで教室から逃がさない。 目立つことが嫌いなお前だ、話を逸らさない限り、この教室から逃げ出す恐れがあったからな」
そうだ、よく考えれば、簡単なことだった。
口喧嘩じゃ姉貴には、到底敵わないんだ、教科書を死守するのであれば、さっさと教科書を持ち去って、グランドや広場にでも逃げ、そこで身を隠すべきだった。
「......そろそろ、バスケ組が帰ってくる。 その後すぐに女子の連中が」
「言っておくが私はこのまま、五限目になるまで、教師らに無理やりにでもどかされない限り、ここから立ち退くことはない。 その間、ずっと貴様に熱い目線で、ねっとりじっくり、こつこつと睨み続けてやる。 よかったな、愚弟、私みたいな暖かさに満ち溢れた優しくて美人な姉がいて」
「........ぁ」
「どうした?」
......負けだ。
「.........お、お願いだから、いつも通り、ベンチ裏に返しに来てください」
「無理だ。 貴様から取りに来い」
「.....悪魔だ」
それから俺は泣く泣く、姉貴に教科書を手渡した。
その後は早かった。姉貴は教科書を受け取ると直様、何も言うことなくその場から立ち去っていった。
そして、姉貴が教室から立ち去るのとほぼ同時にクラスの連中が教室に帰ってきた。
「うぁぁぁぉ、負けたよ」
「あはははは、ほんと、ナツキ面白い!」
「うわ、星2だ、ハズレかよ」
「っしゃ!なんとか写し終わった」
「あ、稲柄さんだ。相変わらず、お美しい。」
「なんか、この教室に郁音様が来てたらしいぜ」
「は? なんの用で?」
「さぁな.....」
今日も姉貴にされるがままだった。
五限が終われば、わざわざ、姉貴の教室にまで教科書を取りに行かなくてはならないはめになった。
本当に、自分勝手な俺の姉貴。
そりゃ俺だって人間だ、あんな姉貴には苛立ちを覚えることが多々ある。
「..........いや」
ただ、今回に関して、それは姉貴が俺から無理やり教科書を奪い取ったということからではない、その怒りの火種はきっと......
「.....自分だって、目立つのは嫌いなくせに」
そう、早足で逃げ去っていった野良猫のようね姉貴の姿を見て俺は思う。
.......ほんと、不器用な姉だと。