間話・メリジュの独白
少年をベッドに横たえるとサイドテーブルに彼の剣――錆びの浮いた帝国歩兵の支給品――も置いた。
彼も剣も信じられないほど軽く細い。
これでよくオーガに挑む気になったものだとため息がもれる。
もっとも文句をつけるつもりなどない。
そのおかげで私は命拾いしたのだ。
眠っている彼に薄手の寝具をかけると私は部屋にもともとあった椅子に腰掛けた。
私――メリジュ・テルガーラダと私の主人タティウス様は、隣国からの帰り道にオーガとゴブリンたちに襲われた。
私はオーガに挑んで、そして武器を砕かれ、殴りとばされて意識を失なった――ほんの少しの間のこととはいえ戦場で意識を失なえば殺されていてもおかしくない。
ましてあのオーガはあれほどに『猛らせていた』のだ。
その、………『アレ』を………。
とにかく!
負けて食われるだけならともかくオーガにはじめてを散らされるなど全く御免だ。
例え私が『奴隷』の身であっても。
そう、私は奴隷だ。
8年前にタティウス様に買い上げられ、以来この家で暮らしている。
先程、主人と呼んだが夫の意味ではない。
文字通りの『持ち主』ということだ。
私の首にはめられた碧い隷属首輪が見えるだろうか?これが私の身分証明――その一つだ。
私の姓テルガーラダとは『テルガー家の奴隷』という意味だ。
解放されれば無くなるがその時はその時でまた新しい名がつくか――またはただのメリジュになるだけだ。
死者に姓など意味がない。
だが、奴隷姓でも私には大事な名前だ。
ご主人様の家名が入っており、また奴隷姓がつけられるのは何かしら役に立つ奴隷だという社会的な保証でもあるから。
全ての奴隷が姓をもらえるわけではないのだ。
思えば長い年月をこの家で過ごしたものだ。
その間に私は戦いの才能を見いだされ、様々な教育を受けられるまでになった。
戦災孤児であった私を実の娘のように愛し、見守ってくれた主様夫妻には感謝の念に堪えない。
もし他の商人に買われていたら早い段階で妾として扱われるか、力仕事に従事して長い長い年月を奴隷として暮らす運命だったろう。
現実の私は戦いの技を身につけられたので稼ぎは悪くない。
あと数年で年季明け――つまり自分を『買い戻す』ことができるだろう。
私のようなまだ年若い女の獣人がそんな幸運をつかめることは稀だ。
そこまでの教育を受けた結果ではあるのだが、解放されたあとはどうやって生きていけば良いのだろう?
迷宮あさりでもやろうか?
少なくとも誰かの妻として家の中でおとなしく暮らす自分など想像がつかない。
幸運といえば。
あらためて私たちを助けてくれた少年の首筋に目をやる。
細く、きれいな首だ。
隷属首輪はない。
力ある魔術師ならその魔法でもって外すことも不可能ではないらしいが年を考えればこの線はないだろう。
彼はどう見ても15、6才くらい。
私の義妹とたいしてかわらない年に見える。
長期にわたる肉体労働はかならずその跡を身体に残す。
その伝で言えば彼は、いわゆる『奴隷の仕事』は今までしていないと思っていい。
いかなる幸運があろうとごく短期間で奴隷から解放されることはほぼありえない。
考えてみれば色々とちぐはぐな少年だ。
少女のような顔立ちに細い身体。
それなのに果敢にオーガに向かってゆく勇気と一人前と言っていいほどの魔術。
そしてあの負傷で最後まで諦めない根性。
即座に適切な止血を行い、オーガをにらみつけて苦痛の声一つあげなかった。
魔術師なら近接戦闘など絶対にやらないし、戦士なら肉体にもっと鍛練や訓練の痕跡があるはず。
だが、彼には無い。
彼が最後に使った技――あるいは魔術と関係があるのだろうか?
わたしの『羊頭猛撃』のような戦闘秘術か。
さわっただけで敵を殺してしまう技など聞いたこともないが。
詠唱も無かった。
あれが魔術だとしたらかなりの高位魔術だろう。
いかに彼がすぐれた魔術師だったとしても完全な無詠唱でなせる技とは思えない。
それにあの負傷も綺麗に癒えている。
あのとき確かに右手の四指を無くしているように見えたが。
立ち上がって寝具をめくり、少年の右手を改める。
細くしなやかな指だ。
ケガなどどこにもない。
薄い胸が緩やかに上下し、呼吸は穏やかだ。
少年の胸に手を当ててみる。
体温とゆっくりとした鼓動が伝わってくる。
帝国には『勇者の心臓は常人より遥かに遅く波打つ。それゆえ恐れを知らぬのだ』という古い言い伝えがある。
少年の鼓動は、まあ普通の人と変わらない。
今は落ち着いているので多少ゆっくりかもしれない。
少年の髪の匂いを嗅いでみる。
森の中を抜けてきたのだろう。
土と草の匂いがわずかに香った。
コンコン
誰かがドアをノックした。
すっかり考えこんでしまっていたようだ。
悪いことをしていたわけではないがなぜかあわてて握っていた手を戻し、寝具をかけ直すとドアを引き開ける。
義妹が入ってくる。
「お姉ちゃん?どうしたの?」
と言いながら義妹がサイドテーブルに水差しとコップを乗せた盆をおいた。
「ん、ちょっと考え事」
「ふーん?」
と、小首をかしげた義妹だったがすぐににやーと笑うと。
「なーんかやらしいイタズラしようとしてたんでしょー?可愛い子だもんねー?」
といつもの品の無い邪推を口にした。
なぜか少しドキリとした。
いやいや。
してません。
こほん。
この娘はいつもこうやって私をからかうのだ。
私より少し後に買い取られたときには誰とも口をきかず、随分心配したものだが。
人は変われば変わるものだ。
それだけ心を開いてくれている、ということでもあるのだろうが。
「こら、お姉ちゃんをからかわない」
ごち、と少し強めに拳骨をおとす。
「うぐぐ、い、痛い」
「いい加減そういうのやめなさいって言ってるでしょ?」
「ごめーん。……あとタティウスさまが朝ごはん食べよって」
と、涙目で頭を押さえながら義妹が言った。
「わかったわ」
義妹と一緒に部屋を出て気をつけて静かにドアを閉める。
と、ふと思いだした。
最後に彼に水を飲ませていた――ように見えた――あの黄緑色の毛玉。
あれは一体なんだったのだろう?
私が少年に近付くとすぐに消えてしまったが。
色々と疑問は残ったがとりあえず棚上げにして、私は朝食を食べに階下に向かった。