間話・タティウスの独白
生ぬるい夜風が私たちに吹き付けます。
帝国の北、夜のユルゲルベント旧街道を私どもは進んでおりました。
もちろん、最初から日没後に移動することを選んだわけではありません。
やむにやまれぬ事情がございました。
おお、そういえばまだ自己紹介をしておりませんでしたな
これはしたり。
私はタティウス・ラディウュ・アルタルクス・テルガー
ハルファス帝国の帝都一級市民にして、テルガー商会の二代目、現在の最高経営責任者でございます。
以後お見知りおきを。
さて、私どもがなぜわざわざこのような夜ふけに帰都しているかと申しますと。
そもそもはもう一つの街道、マディリウス大街道において大規模な魔物討伐がはじまったのが不運のはじまりでありました。
帝国の正規の軍事行動に文句をつけても仕方ありません
私どもは争いをさけ、魔の森にほど近いこちらの旧街道をゆくことになりました。
無論危険は承知の上。
しかしせいぜいが灰狼や小鬼程度、悪くても中鬼が関の山と思っておりました。
これでも20年以上も商人をやっておりますからな。
旧街道を使うのも初めてではありません。
キタンの詩人の詩に『寒風の恵みは春風のそれに勝る』というものがございます。
最近なまりはじめたこの身にはまあ良い訓練になるだろうといつもは荷台に放り込んである愛刀を久々に吊し、むしろ少しばかり期待に胸を踊らせて。
仲間達などやれ、誰が一番活躍するかなどと賭けを持ちかける者もいれば、息子に良い土産話になるなどと冗談を言う者もおりました。
私の奴隷であるメリジュなど歴戦の戦士ですからな。
中鬼すらやすやすと倒してみせる彼女の存在もあり、旧街道を行くことに何の不安もございませんでした。
まさか食人鬼に襲われるとは。
夕暮れせまる街道で、私達は不運にも食人鬼と小鬼の集団に襲われたのです。
食人鬼がいるのを認めた私達は震えあがりました。
いかにメリジュが使い手とは言え、さすがにあれは荷が勝ちすぎます。
それでも彼女は果敢でした。
前方の小鬼を倒して私達は逃げるように、と告げるとみずからは食人鬼の足止めを買ってでたのです。
しかし、12の年に買い上げ8年も共に暮らした、我が娘に等しい彼女をなんで見捨てることができましょう?
私は仲間達だけは逃がし、彼女と残ることを心中に決めておりました。
私には仲間達の安全を守る義務があります。
帝都市民として守るべきモラルがあります。
このような場合、同じ市民階級である仲間達の方をより優先しなければなりません。
私は一瞬に決断し、前方の小鬼めらに向かい愛刀を抜き放ちました。
仲間達もそれぞれ荷をひく馬を囲むように背にかばい、戦いをはじめます。
私はえいや、と正面の小鬼に斬りつけました。
こいつらを倒してとにもかくにも道をあけねばなりません。
一撃で倒しきることは出来ませんでしたが手傷を負ったそいつがひるんで下がりますと、さらに二匹の小鬼が飛びかかってきます。
一匹の攻撃をからくもかわし、もう一匹の一撃を愛刀で受け流すとそいつの体勢が崩れます。
私はそのまま体当たりで小鬼を弾き飛ばすと仲間に呼び掛けました。
「アイヴァン、馬を出せ!」
その時でした。
荷台に何かが激しくぶち当たります。
私がちら、と目をやると吹き飛ばされたらしきメリジュが半分のけぞって荷台に寄りかかっておりました。
やはり無理だったか。
せめて仲間だけでも逃がしてやらねば。
私はもうここで死ぬことを受け入れておりました。
破れかぶれに残った小鬼に突撃して囮になろうと考えたときです。
誰かが雄叫びを上げながらこちらに走りよってきます。
そこまでを確認した私はもう1度小鬼たちのほうに目をやりました。
全く醜いやつらです。
こんなやつらに食われておしまいなんて、あんまりです。
私は突撃はやめて発車のための隙をつくることにいたしました。
無茶苦茶に剣を大振りすると小鬼たちがひるみ、場所をあけます。
アイヴァンの方を見やると彼は小鬼の一匹を蹴り飛ばし、無理やりにも馬を進めようと鞍上にまたがりました。
それでいい。
私はもう一人に加勢して逃がそうと左に振り向きました。
と、そのとき食人鬼めが絶叫しました。
思わず身がすくみます。
小鬼たちも恐怖したのか私たちを襲うのをやめて後ずさりました。
まさか狂戦士化したのか?
もしそうなら、とにかく逃げれば何とかなるかもしれません。
とにかく逃げねばなりません。
狂戦士となったものにはまともな判断などできないのですから。
それに、私達が立ち去れば小鬼のほうを襲ってくれるかもしれません。
小鬼が囮をやってくれるわけです。
私はもう一人の仲間に、逃げろと声をかけるとメリジュを助けるべく荷馬車の右手に回り込みました。
食人鬼は私達に背をむけて立っておりました。
チャンスだ、と私は思いました。
誰かはわかりませんが食人鬼の気を引いてくれたものがいるのです。
逃げるに越したことはありません。
私はまずメリジュを助け起こしながら助っ人の姿を確認しました。
美しい、金髪の少年のようです。
ほとんど裸形に近い姿をしています。
彼は片手に剣をもち、すばやく火魔法を放ちました。
あの若さでいっぱしの魔法使いのようです。
その光景は、ダビュドとグリュアスの伝説を思いださせました。
どんな戦士もかなわなかった悪巨人グリュアスを。
たった一かけらの石くれと、みずからの機知をもって倒した賢き少年英雄。
みんなが知っているおとぎ話です。
知らず、私は彼にダビュドの姿を重ねていました。
なんと勇敢な少年でしょう。
そしてなんと美しい少年なのでしょう。
「メリジュ、大丈夫か!?」
「……う。は、はい。……あ!」
驚きの声を上げたメリジュにつられて少年の方をみると、彼は食人鬼のもつ大重鉄根棒に吹き飛ばされ、大地に叩きつけられておりました。
しかしこちらもただ見守っていられたわけではありません。
食人鬼が優勢とみた小鬼の一匹がメリジュに斬りかかったのです。
私は愛刀でその一撃を防ぐと叫びました。
「メリジュ!」
それが何を意図して叫んだのかは私自身にもわかりません。
しかし娘の行動は実に素晴らしいものでした。
するりと新たな小鬼をかわすと後ろから食人鬼に走り寄り、彼女の戦闘秘術『羊頭猛撃』を浴びせました。
巨大なハンマーに等しいその一撃はきっと食人鬼の頭蓋を砕いたに違いありません。
私は食人鬼が倒れることを確信しながら小鬼の一匹を切り捨てました。
しかし食人鬼はまだ倒れませんでした。
わずかによろめいたあと娘に向き直り、怒りに燃えた目で彼女を見据えました。
その目は間違いなく狂戦士のもの。
ここに至って私には迷いが生じました。
少年は見捨て、娘を連れて脱出するか。
かなわなくとも最後まで戦うか。
しかし彼女の最大の一撃は効かなかった。
やはり逃げるべきか。
馬車はまだ走りません。
怯えた馬をなだめるのに苦労しているようです。
そうして私が迷っている間に決着がつきました。
食人鬼の足元の少年が倒れこみ、やつの足首に触れました。
そして次の瞬間、急速に食人鬼は生気を失い――地響きを立てて倒れこんだのです。
なんということでしょう。
少年と愛しい我が娘はあの恐ろしい食人鬼に真っ向から立ち向かい、そして見事勝って見せたのです。
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食人鬼が倒れると小鬼どもはすぐに逃げ去ってしまいました。
あの邪悪で醜いものたちにも、勝てないことはわかったのでしょう。
そのすばやい決断を見て、一体私と彼らのどちらが賢いのか、と苦笑せざるを得ませんでした。
私達は馬をなだめ被害を確認し、気を失なった少年を荷台にのせると魔石などを回収してその場を立ち去りました。
疲れてはおりましたが誰もそこで休む気にはなりませんでした。
魔石は私達が倒した小鬼のものが4つ。
食人鬼のものが1つ。
食人鬼のものは彼に渡すまで私があずかり、小鬼のものは今日の記念に――無論大した価値はありませんが――1つずつ私達でわけることにいたしました。
全くこの少年がいなかったら私達はみな死んでいたかもしれません。
少なくとも娘と私は間違いなく死んでいたでしょう。
彼がなぜあそこにいたのか、などまだまだ疑問はありますが。
私達はお互いに口をきくのも億劫なほど疲れきってノロノロと街道を下っていきました。
荷台のあらたな客となった眠り続ける少年と食人鬼のもっていた大重鉄根棒のために荷は過積載になっているのでしょう。
馬は不満気です。
この巨大な鉄塊はメリジュがなんとか引きずって持ってきたのを全員でうんうん言いながらようやく載せたので、気持ちはわかりますが。
これも彼の正当な取り分ですからね。
街道の終わり、帝都の城壁が近付くと誰からともなく安堵のため息が漏れました。
全く予期せぬ冒険行でしたが、皆無事に帰りつき、家族に会えるのです。
予定より大幅に遅れたために大門はさすがにもう閉まっていますが、同じように門外で過ごすもの達もいくらかはおりました。
幸い、中には見知った顔もありましたので。
彼らに幾ばくかの金を支払い、見張りをやって貰うことにいたしましょう。
少年の身柄は私が預かることになるでしょう。
全く善き少年です。
柔らかな金の髪。
引き締まった肉体に白磁の肌。
薄桃に輝く2つの乳首。
肉付きの薄い尻と腿。
英雄のごとき勇猛さと素晴らしい魔術の腕前。
彼が新たな家族として加わったなら。
なんと喜ばしいことでしょう。
この素晴らしき寒風の恵みを。
これからこの美しい少年と過ごす麗しき愛の日々を脳裏に描きつつ。
私は見張りの交渉をするために努めてにこやかに知り合いに話しかけたのでした。