はじめての戦闘
「……君は?」
「おはようノボル」
目が覚めると、俺のベッドの側に身を屈めて、顔だけを覗かせている女がいた。
その女の風貌には目を引かれるものがある。
歳はおそらく俺とそう違わないだろう。人形のように端正な顔立ち、ショートボブほどの艶のある銀髪は褐色の肌に良く映えているように感じる。真っ直ぐに俺を見つめている紅い瞳は妖しい美しさを醸し出していた。
「私はイシュタル。よろしく」
実に抑揚のない声で名乗るイシュタル。
「よろしく……で、君はどうしてここに?」
「レスター様の命でノボルを起こしに来た」
「起こしてないだろ? 人のこと、観察してただろ?」
俺は自分で目覚めたとき、イシュタルはベッドの側でじっとしていた。イシュタルはただただそこにいただけのはずだ。
「朝食が来るまでは寝させてあげようという私の心遣い。感謝してほしい」
「……それはどうも」
イシュタルはなぜか得意げな表情を浮かべる。
いや、確かにありがたいっちゃありがたいんだけど。
何と言うか、つかみどころのない娘だな。
朝食が運ばれてきて、俺とイシュタルは席に着く。
……イシュタルもここで食べるのか。まあ、おかしなことではないけど。
朝食は燻製された肉にトマトのスープ、それにパンとサラダといった品々。うん、どれもなかなかに美味しい。こんな境遇だからこそ、食事のような一時の楽しみは大事なものだ。
「今日はノボルの力を計らせてもらう」
食事を終え、イシュタルが口を開く。
「それはいいけど、何をすればいいんだ?」
力を試す云々はレスターも言ってたけど、具体的に何をするんだろう?
やっぱり実際に闘ったりするんだろうか?
「この後、練兵場に行く。それからはレスター様の指示を仰ぐ」
結局何をするのかはイシュタルの答えからはわからなかった。
まあいい。そんなこと考えても仕方がない。
イシュタルに連れられ、俺は練兵場へ向かった。
広大な練兵場に人は疎らだった。まだ朝っていうのが影響してるんだろうと適当に当たりをつける。その中で、微妙に不機嫌そうな顔をしている第三王子を見つけ、近づいていく。
「遅いぞお前ら。あまり待たせるんじゃねえよ」
「申し訳ない」
ペコリと頭を下げて謝るイシュタル。
そんなに悪いと思ってないことが俺にも見て取れる。
「けっ、まあ詮無いことか……体調の方は万全だろうな」
「問題はないと思います」
レスターは俺に向かって問いかけてくる。
未だに身体は少し重く感じるが、何かするのにそう支障があるほどでもない。
十全とはいかないかもしれないが、それなりのパフォーマンスはできるだろう。
「よし……おい、カイル!」
「はっ!」
練兵場の一角、一心不乱に剣を振っている男がレスターの呼びかけに応え、こちらにやってくる。カイルはラフな格好をしており、人の良さそうな糸目の男だった。身長は190センチを超えているだろう。170より少し高いくらいの俺よりずっと大きい。
「お前にはこのカイルと闘ってもらう」
いきなり戦闘かよ。展開が早いなオイ。
心の準備をしていないわけではなかったけどさ。何事も実践してみるのが一番だからね。
「ちなみに金闘士の使用はなしだ。一応お前が素でどれくらい戦えるのか見極めておかないといけねえからな」
レスターがこの闘いの意義を説明する。
確かに、アマンダの鑑定ではそれなりに強いってかなり曖昧な評価だったからな……。俺もはっきり確かめてみたいとは思う。
イシュタルがどこからか、刃の潰された模擬剣を持ってきて、俺に渡してくれる。
試しに何度か振ってみる。思ったよりも重さを感じない。やはり身体能力がこの世界に来たことで向上しているってことなんだろうか。
「ルールは特に決めねえ。俺が止めるまで続けてくれや。始まりの合図も俺が出す」
レスターの言に俺とカイルは頷き、互いに距離を取る。俺は剣を中段に構える。剣なんて扱ったことはないけど、中段の構えが一番基本的で良いだろうと判断した。
「よろしくお願いします」
「うん、よろしく。手加減はいらないし、する気もないからね」
俺とカイルは対戦前の挨拶を交わす。
言われずとも、やるからには本気でやるつもりだ。そうでなくては闘技大会になんて出られやしない。
「それじゃあ……」
「ちょっと待って。ノボル、準備運動するべき」
レスターが開始の合図を出そうとしたところをイシュタルが遮る。
確かに準備運動は大事だけど、言うタイミングが悪いな。
「必要ねえよ。さっさと始めるぞ」
「むぅ、大事なことなのに」
にべもなくレスターによってイシュタルの提案は却下された。
「お前たち……準備は良いな?」
レスターの言葉に俺もカイルも返答はしない。ただ目の前の相手に集中する。
「はじめ!」
闘いの火蓋を切る合図と同時に俺はカイルに向かって勢いよく駆けだした。
俺の考えは単純明快。すなわち……。
「先手必勝!」
勢いそのままに振りかぶった剣を上段から縦に一閃。
その一撃をカイルは剣を以って受け止める。甲高い金属音が響く。
「くっ……! 良い一撃だ」
そのまま、いわゆる鍔迫り合いの体勢になる。
俺は剣を持つ手に力を込めて、相手の体勢を崩しにかかった。
どうやら力に関しては、俺に分があるらしい。このまま押し切ってしまおうと更に力を込める。
しかし、俺の思惑は外れることとなる。
カイルはこのままでは分が悪いことを察したのか、自分から身を引くことで均衡を崩してきた。
そうなると、押し切ろうと力を込めていた俺は前方につんのめり、体勢をわずかに崩されてしまう。
その隙をカイルは見逃してはくれず、鋭い横薙ぎの一撃を放つ。慌てて防御するものの、勢いを殺しきれず、大きく体勢を崩されることになる。
「もらった!」
「ちっ……!」
再度、同じ軌道で剣が振るわれる。この体勢で防御したところでほとんど意味をなさないだろう。
ここは避けるのが最善の一手!
そう判断した俺は、地を蹴り、後方へ飛ぶ。カイルの剣先が俺の身体を掠めるが、何とか回避に成功する。
危ないところだった。あと少しで手痛い一撃を貰うところだ。
最初の攻防はカイルにしてやられる形になってしまったな。安易に力押しを選択したのも安易か。
俺の身体能力は確かに向上している。はじめに飛び出した際の勢いを生んだ脚力、自分より体格の大きな相手に押し勝つ膂力、一瞬のミスが命取りとなる攻防の中で咄嗟の判断を可能にする反射神経。以前の俺にはなかったものだ。
それでもカイルに後れを取ったのは、俺の戦闘経験が皆無であること。そして、カイル自身の強さが原因だろう。
「今度はこちらから行くよ!」
次なる攻防はカイルから仕掛けてきた。
斬り下ろし、横薙ぎ、袈裟斬り、斬り上げと多彩な軌道を描いて剣が飛んでくる。
俺は防御に徹することで、一撃も喰らわないように努める。
技量に関してはカイルに一日の長がある。迂闊な攻撃はかえって危険だ。今は我慢して耐え凌ぐ。
「くっ……固いな」
攻めあぐねて焦れてきたか、カイルの剣がほんの少しずつではあるが、大振りになり、その鋭さが落ちてくる。だけど、まだ仕掛けるには早い
「はあっ!」
カイルが大きく袈裟斬りの形に入る。
ここだ。これに合わせる!
「おっらああぁ!」
声を張り上げ、斬り上げによって迎え撃つ。
二つの剣が真っ向から衝突し、一際大きな金属音が耳をつんざき、手に強烈な衝撃が伝わってくる。
衝突の結果、カイルの剣は後方へと弾き飛ばされる。武器を失ったカイルは呆然としていた。
「よぉ~し、ここまでにしとくかね」
近づいてきたレスターが戦いの終わりを告げる。
よかった、なんとか勝てたか。力で上回ってるようだから、単純な力比べに持ち込もうって魂胆だったけど、うまくいってくれて助かった。
「やるじゃないか」
カイルは穏やかな笑みを浮かべて、右手を差し出してくる。俺も右手を差し出し、握手を交わす。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。君と闘えてよかったよ」
闘い終わった後は室に晴れやかな気分。こういうのも悪くないもんだ。
「男の友情……良いもの」
互いの健闘を称え合う俺たちを評してイシュタルが一言。
「お疲れさん……なかなかのもんだ小僧。カイルは王宮の兵士の中じゃ強者の部類に入る。それに勝てるんならひとまず及第点はやれるな」
レスターが労いの言葉をかけてくれる。褒めてもらえるのは素直に嬉しいけど、小僧呼びと及第点ってのが微妙に引っかかった。
「じゃあ次行くぞ次」
「次って今度は何をするんですか?」
また誰かと闘うんだろうか? もう充分だと思うんだけどな。
「イシュタルと闘ってもらう。今度もスキルなしでな」
返って来たレスターの答えは予想外すぎるものだった。
イシュタル当人もちょっと驚いているところからすると、事前に聞いてなかったんだろうな。ちなみになぜかカイルも驚いていた。
「私は構わないけど、いいの?」
「構わん。好きにやりゃあいい」
「う~ん」
「言っとくが、これは命令だから」
「……しょうがない」
渋々ではあるみたいだけど、その気になったようだ。イシュタルは先ほど俺が弾き飛ばしたカイルの剣を拾ってくる。
本当にやるっていうのか? 女性と闘うのはさすがに憚られる。やっぱりやめておいた方が良いだろう。
「イシュタルと闘うってのはちょっと……」
「なんだ? 女とは戦えねえとでも言うつもりか?」
「正直なところ」
「はんっ、いいからやってみろ。すぐに余裕ぶっていられなくなるからよ」
どうやらやらないって選択肢はないようだ。
しかし、余裕ぶっていられなくなるって……イシュタルはそんなに強いってのか? とでもそうは見えないけど。
「イシュタル。準備運動は要るか?」
「必要ない」
刹那、イシュタルの纏う雰囲気が変わる。先ほどまでののんびりした彼女とはまるで違う、剣呑な雰囲気。ピリピリと空気が張り詰めていくような感覚を覚える。
これは……もしかして本当にやばいのかもしれない。
俺とイシュタルは距離を取って向かい合い、互いに剣を構える。
カイルとの戦いのときのように剣を弾くことで終わりにしたいけど……難しいか?
「方式はさっきと同じだ……さあ、はじめろ!」
レスターが開始の合図を出す。
「いくよ」
その声が俺の耳に届くや否や、イシュタルは一瞬で俺との距離を詰めていた。
ちょっと待て嘘だろ速すぎる!
カイルのそれを遥かに凌ぐ鋭さでイシュタルの剣が俺の胴へと飛んでくる。
「くっ!」
咄嗟に剣で胴を庇い、かろうじて防御することに成功する。
力任せにイシュタルの剣を振り払い、お返しとばかりに横薙ぎを放つ。
「ほっと」
イシュタルは真上に飛び上がり、俺の一撃をあっさりと回避してしまう。
そのまま落下の勢いを利用して剣を振り下ろしてくる。
駄目だ、この一撃は防ぎきれない!
「がっ……!」
まともにイシュタルの剣を受け、肩に痛みが走る。思わず蹲り、肩を押さえる。
「はいはい、そこまで~。やっぱりイシュタルには勝てねえみたいだな」
気の抜けるようなレスターの声が聞こえてくる。
マジか……油断してたわけじゃないのに、こうもあっさりやられてしまうとは。
「大丈夫?」
「おう……痛いには痛いけど、大丈夫だ」
俺の身体を心配をしてくれるイシュタル。身に纏う雰囲気は穏やかなものに戻っている。
ちなみに大丈夫というのは強がりではない。続けようと思えばまだまだ続けられる。このへんはミナーヴァ様様といったところか。続けたところで一方的な展開になるのは間違いないだろうけど。
「まっ、妥当な結果か。何度やっても同じだろうな」
レスターの言葉には同意せざるを得ない。俺とイシュタルの実力の差は明白だった。今のままじゃ俺が勝つことはまずありえないだろう。
「フフン」
イシュタルは両手を腰に当て、得意げな笑みを浮かべて胸を張っている。
何者なんだ、この娘は? しかし、そこそこあるな……何がとは言わないけど。
「あくまでスキルなしのお前は及第点に過ぎないってこったな。イシュタルのような傑物には遠く及ばねえ。しっかり胸に刻んでおけよ……それじゃあ次はお待ちかね、お前のスキル金闘士を試すぞ」
そう言うレスターは心なしかウキウキしているようにも見えた。
何か気になる点がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。