金盛昇は2億を背負う
俺の名は金盛昇。正真正銘、どこにでもいる普通の高校二年生。
そんな普通の高校生の帰路、明らかに普通ではない物が現れた。
赤く光る幾何学的な模様。いわゆる魔法陣ってやつだろう。漫画で何度も見たことある。
これがどういうものなのか判断もできないし、あまり関わらない方が良さそうだ。君子危うきに近寄らずって言うし。
この事態を誰かに伝えるべきかとかいろいろ思うところはあったけど、とりあえずは魔法陣を避けて先に進もうとする。だけど、そうはいかなかった。
吸い込まれてる。すごい勢いで吸い込まれてる。踏ん張ることもできずに、あえなく魔法陣の中心に誘われる。
魔法陣の光が異様に強くなり、その眩さに思わず目を閉じる。その直後、浮遊感に襲われたかと思えば、どこかへと落ちていくような感覚を覚える。閉じていた目を開いて、自分が置かれている状況を確認する。
「……えええええぇっ!?」
空から落ちている。それもものすごい勢いで。どうやらパラシュートなしのスカイダイビングの真っ最中のようだ。下の方に木々がちらほらと見える。その縮尺具合からして結構な高さにいることがわかる。
ヤバいヤバい! 洒落になってない! このまま落ちたら絶対死ぬでしょ!
だけど、今の俺にできるのは手足をばたばたさせて無様にもがくことくらい。
あっという間に地上が目前に。ふと、時間がゆっくりになっていくのを感じる。そして、頭に浮かんでくる家族や友人たちの顔と思い出。
ああ、これが走馬灯ってやつなんだろうなぁ……。
そんなことを考えているうちに、ものすごい衝撃に襲われ、俺の意識は吹っ飛んだ。
◇
「……あれっ?」
間の抜けた声が出る。目を覚ますと、俺は知らない部屋にいた。妙に良い部屋だ。俺が寝ているベッドはビッグでフカフカ。壁には女性を描いた、いかにも高そうな肖像画が飾ってある。机や椅子といった調度品も一見して高級品であることが窺える。全体的にそれとなく格式みたいなものも感じるし、一般庶民たる俺にはどうも不釣り合いな部屋だ。
部屋のことはさておいて、自分の身体の調子を確かめる。
うん、おかしなところは何もない。それが一番おかしなことだ。
先ほどのスカイダイビングを思い返す。
(あれで無傷……そんなわけないよな。夢……いや、それなら俺が今見知らぬ部屋にいるのはどういうことなんだ? それに、結局あの魔法陣は何だったんだ?)
次々に疑問が湧いてくる。考えたところで何かがわかるわけでもないんだけどさ。
とりあえずこのままベッドの上で悶々としていても始まらない。人を探して事情を説明してもらうことにしよう。
ベッドから出て、傍にご丁寧に揃えられていた自分の靴を履き、部屋を出る。部屋を出てすぐに人の姿を確認する。そこにいたのはメイドというか侍女というか、とにかくそういった感じの服装をした女性だった。女性は俺の方を見て小さく声を漏らした。
「あの、すいません……」
「申し訳ございませんが、少々部屋でお待ちください!」
事情を説明してもらおうと声を掛けたが、女性は踵を返し、慌てた様子でどこかへ行ってしまった。いったい全体どうなっているんだ?
とりあえず言われたとおりに部屋の中に戻り、椅子に腰掛けてゆっくりしていると、程なくして誰かが部屋に入って来た。
「失礼するぜ」
やって来た男の容姿に息を呑む。金髪碧眼、そして絵画の中から出てきたと言われれば信じてしまいそうなほどに整った顔。大抵の女性は、この男を前にすれば一瞬で恋に落ちてしまうだろう。歳は二十代前半ってところか。正直、妬ましいレベルのイケメンだった。着ている服もなんか派手だし、いったい何者なんだろう?
男は机を挟んで俺と向き合うように腰掛ける。
「まず最初に言っておくが妙な気は起こすなよ? ただでは済まさんからな」
「はあ……」
物騒なこと言いやがる。こっちにはそんな気はないと言うのに。
「さて、お前は現状をどこまで理解している?」
初対面の相手をお前呼ばわりとは失礼なやつだ。
それはともかく、どこまで理解しているかって言われてもなぁ……。
「正直何もわかっていません」
「まっ、そこらへんはしゃあねえか。とりあえず言葉が通じてるようで良かったぜ」
こいつ、態度悪いな。口調がチンピラのソレじゃないか。
「俺の名はレスター・ツォン・アインス。アインス王国が第三王子だ。ああ、変に畏まる必要はねえよ。やりにくくてかなわんからな」
「アインス王国?」
目の前の男……レスターとやらが何を言っているのかちょっとよくわからない。
アインス王国なんて聞いたことないし、仮にそういう国があったとして、目の前に王子がいるというのはどういうわけなんだ?
「お前の気になっているであろう事の顛末を語ってやる。その前に、とりあえず名乗れ」
上から目線で腹立つな……張り倒してやろうかこいつ。いや、くぎを刺されているし、情報源であるこいつとの関係を悪化させるのは得策じゃない。
「金盛昇。日本国の一般人です」
「そうか」
それ以上の反応は返ってこなかった。
「もう二ヶ月前のことなんだが……我がアインス王国は魔族との闘いに終止符を打つべく、異世界より強い魂を持つ存在を召喚する儀式を行った。俺主導でな。その儀式によってこちらの世界にやって来たのがお前だ。ここまでは良いか?」
「良くないです」
即答していた。
えっ、ちょっとなんでそんなにあっさり済まそうとしてるの?
「何がわからないってんだ?」
「何もかもですけど……魔族とか異世界とか……マジですか?」
「アインスの名に誓って、嘘は言わんぜ俺は」
口調こそ軽いものだったけど、レスターの表情は真剣そのものだった。
おいおい、マジか。マジでここは異世界なのか。
でも、この状況においては案外荒唐無稽な答えでもないのか。あの魔法陣とかの説明も一応は着くし。
「そういえば、ここに来る前に変な魔法陣に吸い込まれたんですけど……」
「ああ、儀式によるものだ」
やっぱりか。となれば、問い質さなくてはならないことがある。
「魔法陣に吸い込まれたら空中に放り出されていたんですけど」
「……悪かったよ」
そう言って目を逸らすレスター。悪かったで済む話ではない。
「どうしてあんな事態に?」
少々語気を荒げて尋ねる。レスターはボリボリと頭を掻き、俺の問いに答えた。
「召喚の儀式ってのは、単純化して言えば、異世界の強い魂を探し当てて、その魂を標にこちら側と別の世界をつなぐ扉を開くって作業だ。言葉にすりゃ簡単そうだが、これがとてつもなく困難でな。基本的には成功しないんだよ」
そりゃそうだろうな。簡単に異世界をつなぐなんてことができたら大変なことになってしまうだろう。
「俺は天才だから一発で成功させたがな。異常に面倒くさかったから、何度もやろうとは思わん」
誇らしげな笑みを浮かべるレスターに異を唱える。
「失敗じゃないんですか? 俺、大変な目に遭わされたんですけど」
「断じて失敗はしていない。現にお前はこちら側に来ている。ただちょっと想定外の事態がな」
人のスカイダイビングを『ちょっと想定外』で済ます気かこの野郎。
「こちら側とあちら側をつないだはいいが、召喚予測点と実際にお前が呼び出された座標に大幅なズレが出てしまったんだ。これに関してはまあ……完全にこちらの落ち度だ。すまなかった」
レスターに軽く頭を下げられる。
あまり悪びれている感じでもなかったけど、まあいい。とにかくいろいろ聞かなくちゃな。
「召喚の儀式が二ヶ月前ってことでしたけど、ずっと俺眠ってたんですよね。そんなに俺の怪我ってひどかったんですか?」
「ああ……それはもう」
レスターは乾いた笑みを漏らす。この時点で碌なことにはなってなかったであろうことが窺える。
「お前が落ちたのが王都付近の森とすぐに突き止め、回収しに行ったんだが……ひどい有り様だったぜ。急いで王宮に連れ帰って治療したんだが、それでも死は免れない状態だった」
あれだけの勢いで落ちたんだ。それ自体はそう不思議ではない。
問題は……。
「じゃあ何で俺は生きてるんですか?」
治療してもどうにもならない状態になりながらも、今現在において俺はぴんぴんしている。後遺症一つ残すことなく。これはいったいどういうことなのか?
「せっかく召喚に成功したお前に死なれちゃ困るってことになってな。我が王家に伝わる神薬……ミナーヴァを使った」
そんな大層なものを使ってくれたのか。あちらに非があるとはいえ、少し畏れ多い。
「ミナーヴァには死者すら蘇らせるという逸話があるほどだ。お前はみるみるうちに回復していったよ。意識だけはなかなか戻らなかったがな」
それはすごい。俺の世界の最先端医療もびっくりの代物だ。
「なんかありがとうございます」
「謝る必要はない。てか、この後の話がしにくくなるから、むしろするな」
その物言いに不穏な何かを感じる。心なしかレスターの纏う雰囲気が重苦しいものになっていくような気もする。
「ここからが重大な問題だ。お前が目覚め次第、魔王を倒しに行ってもらう予定だったんだがよ。ここで思わぬ誤算が生じちまった」
「誤算……ですか?」
「ああ、ほんの一ヶ月ちょい前。俺たちと同じように召喚の儀式に成功した国があって、そのとき召喚されたやつがつい先日魔王を倒しちまったのさ。笑える話だろ?」
そう言うレスターはピクリとも笑ってはいない。それは確かに誤算だわな。しかし、一ヶ月ほどで魔王討伐ってとんでもないスピードだな。
「別に横取りされたとか言う気はねえよ。魔王の排斥それ自体は人類共通の悲願だしな。それはそれで違う問題は残るんだが……まあ今は関係ない。で、重大な問題ってのはお前のことだ」
「そうなりますよねやっぱり」
なんとなく予想はついていたので、特に驚くことはなかった。
魔王が倒されたということは、人類と魔族との戦いは一応の決着をみたってことになる。
俺という存在をアインス王国は持て余すことになってしまったわけだ。
「魔王を倒すべく手間かけて召喚して、さらに王家に伝わる神薬まで使ったというのに、お前が目覚めたときにはすでに討つべき魔王がいない。当然、お前の処遇が問題になる。そして俺たちが最終的に下した決定が……2億だ」
「はい?」
思わず馬鹿みたいな声を出してしまう。2億ってどういうこと?
「2億ペル。お前に返済してもらう金額だ」
「……えっ、ちょっと待ってレスターさん。意味が分からないんですけど」
いきなり2億ペル? 返済しろとかマジ意味わかんない。
「返済ってのはまあ正確じゃない。要は神薬ミナーヴァを失ってまでお前を生かしたんだから、それに見合うだけの益をもたらせってことだ」
淡々とした口調でレスターは告げる。無論、それに納得するわけにはいかない。
「俺はただ召喚されただけでしょ! むしろこっちが被害者ですって!」
この状況で大人しくしているわけにはいかない。断固として返済など拒否させてもらう!
「これでも譲歩してる方ではあるんだぜ? いやマジで。なんせミナーヴァの価値はそれこそ数億ペルなんてもんじゃ済まねえからな。奴隷として一生ただ働きさせようって意見だってあったくらいだ」
「ぐっ……」
今この場……いや、この世界においてはレスター側に絶対的な主導権を握られている。それこそ生殺与奪の権利すらあちら側にあると言っていい。俺が孤軍奮闘したところで、状況が悪くなることはあれど決定が覆ることはないだろうということを悟ってしまう。
「まっ、2億ペルならコツコツ真面目に働けば死ぬまでにはなんとか払える額だ。賢く生きれば何とかなるだろうよ。それに、お前は特別な存在だしな」
気休めにもならない言葉をありがとう。特別ってのがよくわかんなかったけど。
ひとまず、ペルという通貨の価値が低いものであってくれという希望はあえなく打ち砕かれた。 コツコツ真面目に働けば死ぬまでにはなんとか返せる額か。確定的なことは言えないけど、2億ペルとはほとんど2億円と同義。つまり1ペルイコール1円と捉えてもよさそうだ……2億円か、無理だな。隙を見てどこか遠いところに逃げよう。
「ちなみに逃げても隠れても無駄ってのは言っておくぞ。王宮には優秀な呪術師がいるからな。どこにいても簡単に見つかっちまうぜ」
心を読んでいるかのように先手を打ってくる。呪術師とかいるのかよ。
もはやため息すら出てこない。この状況にはある種の諦観すら抱くけれど、思いつく限り確認すべきことは確認しておこう。
「返済云々の話は抜きにして、俺って元いた世界に帰れるんですか?」
これは大事な問題だ。下手すれば友人や家族との今生の別れになるかもしれないのだから。
「現状不可能だ。元いた世界に送り返すってのは召喚する以上に難しくて、成功例を聞いたことすらねえな」
「……そうですか」
怒りは湧いてこなかった。代わりに心に暗いものが宿る。
「だが安心しろ。お前が2億ペル払い終えるまでには、必ず送り返せるようになってる」
「えっ、結局帰れるんですか?」
おかしな人だ。さっき不可能って言ったばかりじゃないか。
「あくまで現状は不可能ってだけだよバァカ。俺は天才だぜ? 絶対に可能にしてやるから余計な心配はいらねえよ」
レスターが口角を吊り上げて自画自賛する。複雑な気分ではあるが、つい頼もしく感じてしまう。
「それなりに期待してますね」
「任せときな。これでも一応お前には悪いことをしちまったとは思ってるんだぜ? だから、できる限りのサポートはしてやるよ」
「あ、ありがとうございます?」
「なんで疑問形なんだ」
レスターが少しだけ顔をしかめる。あれっ、思ったよりは良い人だったりするのこの人? いや、その考えはさすがに安易だな。
「だいたいの話は済んだし、親父殿のところに行くぞ。ついてこい」
王子の親父ってことは国王様か。もうどうにでもなってしまえ。
俺は若干自暴自棄になりながら、ついでに心の片隅で一切合切がドッキリであってほしいとどこぞの神に祈りながら、促されるままにレスターについていった。