ANASTASIOS: B.C. 161
この世界を見るのは楽しい。辛いこともあるが、それは肉体的なものにすぎない。変化がおとずれようとしている。それは太古から続いてきた変化でもあり、また、それとは違う変化でもある。
国が興り、栄え、滅びる。滅びかたはさまざまだ。ただ没落する場合もある。あるいは征服される場合もある。どちらが幸せなのだろう。それは簡単に言えるものではない。
誇りを失ない没落していくこともあるだろう。あるいは誇りを持って隷属することもあるだろう。どちらの、あるいはどのような場合であっても、幸せな場合もあれば、不幸な場合もある。
おそらくエジプトは緩やかな衰退へと向かっている。我がギリシアも、近く失なわれるだろう。エジプトはただ緩やかな衰退であり、誇りを持って衰えていくだろう。だが、豊穣の土地だ。消え去ることはないだろう。
我がギリシアはそうはいかないかもしれない。ローマは強大だ。ローマの支配は厳しいものではないと聞く。だとしても、我がギリシアの誇りは残るだろうか。
我がギリシアも、古くは青銅をもって、エジプトへと傭兵に赴いた男が多いと聞く。我がギリシアも、エジプトから多くを学び、多くを得た。
エジプトよりも古い文明があると聞く。あまりに古く。ただエジプトにのみ、文書による記録が残っている。
そのエジプトにおいて、プトレマイオス5世によって出された勅令は神聖文字と、民衆文字、そして我がギリシア語によって刻まれている。我がギリシアの誉れの一つだろう。それとも、時の流れゆえのものだろうか。そして、また時は流れようとしている。
エジプトに残る文書から考えるに、人々は太古より星を見ていた。一年を定め、季節を定め、月を定めていた。エジプトにおいては、天文学からさらに代数学と幾何学が生まれた。誉れあるかな、偉大なる建造物たちよ。
我がギリシアにおいて、天文学と代数学と幾何学は発展し、さらに論理学が生まれた。誉れあるかな、アリストテレスよアルキメデスよ、そして我が同輩ヒッパルコスよ。
だが、奪われたものもある。数十年前、ある装置がローマに奪われた。ローマよ連綿と連なる我らが文明に畏怖せよ。蛮族に理解できるのならば、理解してみせよ。
装置は奪えても、我らが論理は奪えない。また、あの機構を作ることができるだけの者も蛮族にはいまい。もし、さらに時が過ぎ、それらを理解できる時代が来たとしても、蛮族に我らの精神は理解できないだろう。空虚な、そう、もはや空虚な神聖文字とおなじく、我らが精神は空虚なものとして残るのみだろう。
ならばこそ、我らが精神の一つの結晶である、装置をどこかに、どこかに残さなければならない。たとえ、それもまた空虚なものになってしまうとしても。
この大地を遠く周る太陽、月、そして兄弟星の運行を示す精緻な機構を持つ装置を残さなければならない。それは、我らが精神の一つの結晶なのだから。連綿と続く我らが文明の一つの結晶なのだから。
私はヒッパルコスより託され、四つの装置を持ってギリシアをたった。いくつかの地に託すために。
いくつかは朽ちるだろう。それでもいくつかは残るかもしれない。
マケドニアよ、我らが子、あるいは我が兄弟、あるいは我が従兄弟マケドニアよ。残せるものなら、残したもうことを。
アッシリアよ。古き古き文明の祖たるアッシリアよ。たとえ不毛となろうと、古き古き文明の祖を生み出した母なる地よ。あなたの孫、曾孫たる我が文明よりの贈り物をささげよう。
エジプトよ、我が文明の祖たるエジプトよ。あなたが、あなたの子がなしたものを理解したもうことを願う。もし、かなうなら、あなたの子がなしたものをもって、再興をなしたまえ。
もう一つ残る装置は、私とともに。どことも知れぬこの地で、この書とともに。
装置は、現在「アンティキティラ島の機械」と呼ばれているものの同型器、あるいはかなり近いプロトタイプを指します。
また「数十年前、ある装置がローマに奪われた。」とあるのは、マルクス・クラウディウス・マルケッルスによるものを指しています。アンティキティラ島沖に船ごと沈むのは、もうちょっとあとのことです。アンティキティラ島の機械が突然完成したとは考えにくいので、その同型器、あるいはプロトタイプがあるはずと設定しました。