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【005】枯れ森が呼ぶものは

 ジャンタ達が目指す町「ウルキ」は、特産品であるアガの実の栽培やその実から作る酒、林業等で栄える小さな町だ。その中心にはグリンハウン家の屋敷があり、その屋敷の正面から続く道には店が建ち並び行商が集まり賑わっている。

 そんな町の一角には酒場を兼ねた宿があった。宿の前方は開けており、そこには酒蔵や小屋などがある。そこに馬車を停め馬を休ませ、主を待つ旅の人物の姿があった。


 名はロデ・レーヴィット。

 レーヴィット家は代々ザクゼン家に仕えており、ロデもまたアシュタルが幼少の頃より彼の専属従者(ヴァレット)となっている。

 歳はまだ二十代半ば程度だろうか。長年仕える従者としてはかなり若い。……いや、彼の場合は若く見えるだけなのだろう。恐らく実年齢は三十代も半ばのはずだ。

 くすんだ紫色の長髪に、キリッとしながらもどこか憂いのある目。量の多い髪が野暮ったい印象を持たせるも、その顔つきや身なりからどこか頼もしさを感じさせる。ロングコートの中は、タクティカルベストのような革製のチョッキを着用しており、動きやすいパンツに革製のブーツという出で立ちだ。そして何より印象的なのが、目の下から首回りまですっぽり覆う程の大きさのマスクだ。


 ロデは客室にて、自身が所有する十数もの武器の手入れをしていた。

 ナイフに拳銃、ライフル、爆薬……どれ一つ取っても手入れが行き届いており、それぞれが今すぐにでも使えるような状態になっている。ロデ自身も武器の扱いや拳闘術に長けており、それらで長年アシュタルを守ってきた。

 しかし……。


(このままでは…私は何の役にも立てない……)


 主人であるアシュタルは黒化(ニグレド)病を克服し覚醒者となった後、アルベド団にてその武装覚醒者としての実力を評価され、今や武装覚醒兵第二班を任されている。

 ロデはアシュタルの従者としてアルベド団の団員と認められているものの、彼らのような特殊な力を持たない為、いくら武術に長けようとも戦力外扱いだった。そしてアシュタル・ツォイスが森へ向かう中、アシュタルの指示によって一人残されたのもその為だった。


(やはり、多少無理を言ってでもアシュタル様に付いて行くべきでした……)


 ロデは後悔の念で押し潰されそうになる。

 アシュタルはザクゼン侯の嫡男でありながら、幼少の頃より虐げられてきた。それはアシュタルの母君が悪女と名高かった事に加え、アシュタルの父君・ザクゼン侯が使用人であった愛人とその愛人との子供を溺愛していた事に所以する。

 そんな中に措かれていたからこそ、ロデはアシュタルに寄り添い続け、アシュタルの命令ならどんな事も受け入れてきた。しかしそんな二人の服従関係が今回は仇となったのだった。


 ロデは正直なところツォイスの事をあまり信用していない。そして今回東の森へ赴く事になった、ツォイスが提示してきた内容についても疑いの目を向けていた。


(名無しの子供。全てを知る、虚闇を統べる者。予言の書によれば……四柱の黒い竜・烟獣が現れてから十年後の今日、それが現れるとツォイス殿は言っていましたが……偶然手にいれたと言うその予言の書とは一体何なのでしょう。

 ……そもそも、その名無しの子供とは何なのでしょう。その子供を得てツォイス殿はどうするつもりなのでしょう……)


 考えれば考える程不安は大きくなっていく。


(それに、あの森は四柱の黒い竜の内の一柱…… "東の竜・アードミラーロ" の生息圏でもあるというのに……!)


 対虚闇組織のアルベド団は、最終目標として四柱の竜の討伐を掲げている。しかし団の結成から九年の月日が経ちながら、それは叶えられていない。現時点での覚醒者の力では、四柱の竜に敵わないからだ。


 北の竜、ミェーチー。

 南の竜、メル・ベモー。

 西の竜、シアヴァス。

 そして東の竜、アードミラーロ。


 アルベド団の奮闘虚しく、それらは今も黒化(ニグレド)病の原因となる黒煙を撒き散らし続けている。

 かつてアルベド団は北の竜・ミェーチーに総攻撃を仕掛けた事があった。しかしその結果、やっと集まった百人弱の武装覚醒兵の大半を失うという大打撃を受けている。今のアルベド団は黒化(ニグレド)病患者への治療を施しつつ、兵の育成に力を入れている、といったところだ。


(アシュタル様が、東の竜・アードミラーロに遭遇してしまったら……覚醒者でもない私に出来る事などあるのでしょうか……。しかし、このままこうして居るわけには……!)


 いてもたってもいられず、ロデは立ち上がった。手入れの為に広げていた武器をロングコートの中に全てしまい、最低限の荷物をまとめる。


 ────兎に角、森の近くへ行かなくては。


 元々森までは馬車で行ったのだが、森に近付いた際に馬の様子がおかしくなってしまった為、馬を使うわけにはいかない。

 ウルキから森までは十キロ程度の距離だ。徒歩で往復したところで四時間もかからないだろう。ロデは歩いて森まで行くことにした。


 不必要な荷物はそのままに客室を出る。

 そして宿を抜け隣接する酒場を通り過ぎようとした時、横から不意に声を掛けられた。


「ねえ、ちょっと。そこの旅のお兄さん」


 女性の声にロデは少し警戒した。こういった店には娼婦が常駐している場合が多いのだ。

 しかしそれは杞憂だったようだ。


「貴女は……」


 声のする方に顔を向けると、そこに居たのはこの宿で働いている女性だった。ここは一家総出で宿を運営しているらしく、彼女はその家族の長女だと思われる。


「あなた、そんな思いつめた顔をしてどこに行く気? ……お節介だろうけど、何かあったんでしょう? 話なら聞くから、ちょっと酒場の方にいらっしゃいよ」


 彼女は心底心配してくれているようだった。

 それもその筈、彼女はアシュタル・ツォイス・ロデの三人が宿に来た昨晩と、宿を発った今朝、その後一人戻ってきたロデを見ているのだ。その時のロデはまるでこの世の終わりのような顔をしていたようで、それを迎え入れた彼女は随分と声を掛けてくれていた。……残念ながら、一人戻されたことで大きなショックを受けていたロデは、彼女に何を言われたのか覚えていなかったが。

 話し掛けても尚も反応が薄いロデに対し、宿の彼女は痺れを切らしたようだ。ロデの背中をバシリと叩いた。


「ほら! そんないかついマスクなんかしてないで! うちで作ったお酒でよかったら奢るから!」


 そう言って彼女はちょうど手に持っていた酒瓶をロデにグイグイと押し付けてきた。


「あ、折角のお誘いですが、私はお酒は飲めませんので……。私にはどうぞ御構い無く」


「あら、飲めないの? それは体質的に? 立場的に? ……あっ、それともそのマスクを外せない理由でもあるの?」


 やんわりと断るロデの言葉を聞き、彼女は酒瓶を持つ手を下ろした。しかし彼女の言葉を聞いたロデもまた困った顔で笑った。


「……残念ですがその全てですよ。私は任務中ですし……下戸ですし」


「ふーん、で、そのマスクは?」


「……この中は、あまり見られたくないものですから。──首から顎にかけて、大きな傷がありますので。不名誉な傷は晒したくありませんからね」


「……そう、なの……?」


 これ以上押し問答をしても無駄と悟ったのか、彼女はふう、と溜め息を吐いた。


「……ごめんごめん。私、仕事柄色んな旅の人を見てるんだけどさぁ、お兄さんみたいに思いつめた顔の人を見ると放っておけなくて」


「いえ、お気遣い、ありがとうございます。でも先を急ぎますので」


「……急ぐことないじゃない。そもそもどこに行く気よ」


「森です。ここから東にある───」


「ほら!! やっぱり死にに行くんじゃない!!」


「─────はい?」


 ロデは彼女の声の大きさより、その発言内容に呆気にとられた。


「東の森って枯れ森の事でしょ! 何に絶望してるんだか知らないけど、早まっちゃダメ!」


「いえ、あの……」


「あんな気味が悪い森なんて自暴自棄になった人間じゃなきゃ行こうなんて思わないわよ! この辺の人間は絶対近付かないんだから!」


「その……私はこの辺の人間じゃありませんし……」


「じゃあどうして死ぬの!」


「……死にませんよ!!」


 最後の方は会話が噛み合っていなかったが、ヒートアップしていた彼女は気付いていないようだった。


「えっ…………そうなの?

 ──はぁ。ごめんなさい、一人で騒いじゃって。私の思い過ごしならいいの」


 一息吐いて、彼女は俯き気味にそう答えた。

 恐らく普段から面倒見が良い女性なのだろう。勘違いはされてしまったが、それを不快に思う事はなかった。

 申し訳なさそうにしている彼女の肩にポンと手を置き、ロデは少し笑ってみせた。


「いいえ。それより……枯れ森、とは何ですか?」


「枯れ森を知らないの? 知らないのに行くなんて、変わってるわねぇ……。あ、それともまさか東の竜・アードミラーロの方? お兄さんもしかしてアルベド団の人?」


 彼女は目を丸くしてロデを見上げていたが、ロデは首を横に振ってアルベド団である事を否定した。

 覚醒者は烟獣に対抗出来る唯一の希望と言われる一方で、元々黒化(ニグレド)病患者であった事から二次感染を恐れられたり(患者からの感染事例はあるが、覚醒者からは感染しない)、酷い場合は悪魔の手先だとして迫害される事もあるのだ。

 そんなロデの反応を見て、彼女は前を向きコホンと一つ咳払いをした。


「えーと、枯れ森っていうのは、この町から東の方に顔をある森の事なの。実際に行くと緑が生い茂った森なんだけどね、ウルキ……この町では、あそこは昔から枯れ森って呼ばれてるの。もしかしたら昔は本当に枯れ木だらけだったのかもしれないけどね」


 そう言った後彼女は「んーー」と唸りながら、近くの壁にもたれ掛かった。


「私は近くまでしか行ったことないんだけど、あそこって人が立ち入っちゃいけない雰囲気ってあると思うの。実際あの森に入った人はそのまま行方不明になったり、帰ってこれたとしてもちょっとおかしな事を言い出したりするのよね」


「……おかしな事、ですか?」


「うーん。おかしいって言うか……帰って来た人は森の中でこんなものがあった、あんなものがあったって言うんだけど、みーんなバラバラの事を言うの。

それで、あの森は生きていて、人を呼び込んだり、または拒んだりしてるんじゃないかって、昔から色々言われてるのよ。あの東の竜・アードミラーロが現れるよりずーっと、ずーーーーっと昔からね」


 そう言って彼女はロデに視線を合わせた。少しだけ安堵したような表情で。


「でも、行っちゃう前に話せて良かったわ。枯れ森の事も知らないで行こうとしてたって事は、きっと枯れ森がお兄さんを呼んでたんだろうね。お兄さん、帰ってこれなくなっちゃうところだったわ」


「呼んでいた……? 森が……?」


 ロデは彼女の言葉を繰り返し、青ざめた。


「興味を持った時点で呼ばれているのよ。まあ、俄には信じられない話だろうけど……あっ!ちょっと!」


 彼女が呼び止める声が聞こえた気がしたが、走り出したロデは最後まで聞くことは叶わなかった。

 その足は迷う事なくあの枯れ森へとまっすぐ進んでいった。

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