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【004】おれが持とうか?

 しかし、ツォイスが口を開くより先にジャンタが顔を上げ、その澄んだ瞳が真っ直ぐにツォイスを捉えた。


「な、ツォイス。アシュタルは病気なのか? どうやったら助けられる? ずっと苦しそうで、すごく可哀想だ」


「──へ……?」


 思いがけないジャンタの言葉に、ツォイスは思わず間の抜けた声が出てしまった。それと同時に、先程アシュタルが言った「ジャンタとルジルファは違う存在」なのだという事を改めて理解した。

 何と言うか……ジャンタの言動は純真無垢な子供を思わせるのだ。ジャンタに対し疑念を抱いていたこっちの方が恥ずかしいとさえ思えてくる。


「そ、そうだな……。アシュタル君は病気じゃないんだが、怪我っつーわけでも無さそうなんだよな。一先ずこの森を抜けて、近くの町を目指そうと思ってる。──もしかしてお前、手伝ってくれるわけ?」


「ん!」


 ジャンタが頷いて応える。

 

「……そうか! ならお前、そのまま俺らと一緒に来ないか? その様子じゃ自分の事も録に分かってねぇだろ? 俺ならお前の事は色々調べてやれるし……それに俺らの元でこそ、お前の "力" は最も生かせると思うぜ?」


 ツォイスの適当な誘導に対しアシュタルは鼻で笑っていたが、ジャンタは気付いていないようだった。


「……力を生かせるのか!!」


 キラキラした目で真っ直ぐ見つめられ、眩しさのあまりツォイスは目を逸らしてしまった。


「ま、まぁそんなところだ……。──しっかし、どうしたもんかねぇ。アシュタル君は動けねえわけだし、かと言って俺は担いで行けるほど体力もねぇし……。"アイツ" を呼びに行きゃあいいんだろーけど、もう宿に戻ってる筈だしなぁ……」


「……こまってる? おれ、手伝う? 力を生かす?」


 ジャンタはうんうん唸るツォイスの顔を間近から覗きこんだ。

 ツォイスは突然の事で小さな悲鳴を上げ後ろに下がったが、咳払いをして何事も無かったかのようにジャンタに向き直った。


「ああ、手伝って欲しいのは山々なんだがよ。お前、チビだし力も無さそうだけど……お前がアシュタル君をおぶって行けるのか?」


 ツォイスは特段身長が高いわけでは無かったが、そのツォイスと比べてもジャンタは頭一つ程の身長差があった。見た目からしても十代前半からせいぜい半ばと言ったところだ。加えてオレンジ色の短い髪が、子供っぽさをより強調させている。

 ……まあ、言動について言えば見た目以上に子供っぽくはあるが。


「……? アシュタルを運ぶだけだろ?? 力要らないよ?」


 そう言ってジャンタはアシュタルをその両腕に軽々と抱えて見せた。所謂お姫様抱っこの状態だ。


「────────ッ!!!」


 その揺れによって朦朧としていたアシュタルの意識は呼び戻され、アシュタルが目を見開いた。

 ジャンタの行動がどうもお気に召さなかったらしく、まるで力の入らない腕で拒絶しながら「放せ」とジャンタを睨みつける。まさか自分よりずっと年下であろう子供に軽々と持ち上げられたともなると、侯世子としても成人男性としても無様に感じ、そのピルゴス山脈の如く高いプライドが傷付いたのだろう。

 ジャンタは何かいけなかった事に気付いて一旦アシュタルを降ろそうとしたが、「ぶひゃひゃっ」と笑うツォイスに制止された。


「ヒッヒッヒッ……()()アシュタル君をチビでクソガキのお前が……! こりゃあいい。お前、なかなかやってくれるなぁ。気に入ったぜ!」


 尚も笑い続けるツォイスだが、ヒィヒィ言いながらポケットをまさぐりコンパスを取り出した。

 ちなみにだがジャンタがツォイスの発言に対して何か引っ掛かったような様子はなく、寧ろ「気に入った」という言葉に、意味も分からないまま嬉しそうにしている。


「チッ……貴様ら、後で覚悟しておけ……」


 アシュタルがそう凄んでみせるも、今のツォイスには通用しない。余程ツボだったようだ。


「じゃあ俺が案内するから、お前はその調子で着いてこいよ。少し急ぐからな」


「わかった!」


 ジャンタはアシュタルを抱えたまま、背筋を伸ばしてピシリと立って見せた。






 ──────────






 歩きだして三十分は経つだろうか。ツォイスが先導し、その後ろをアシュタルをお姫様抱っこした状態のジャンタが続く形で進んでいる。しかし森の出口らしき景色は未だに見えない。

 急ぐ、とは言ったものの、体力の無いツォイスの足は最早思うように動いていなかった。


「はぁ……はぁ……」


 ツォイスは肩で息をしながらコンパスを確認した。

 あれからどれくらいの距離を歩いただろうか。方角は間違っていない筈だが、目的地がやけに遠い。


「おっかしいねぇ……行きはもっと楽だったと思ったんだが。このままじゃ予定の時刻に間に合わねえな……お前らは大丈夫か?」


 息も絶え絶えのツォイスだったが、振り返った先のジャンタはけろりとした顔でついてきていた。


「おれは元気だよ。アシュタルはずっと苦しそうだ」


 ジャンタは先を歩くツォイスに見えやすいよう、アシュタルを抱えている両腕を真っ直ぐ前に突き出した。

 アシュタルの容態は回復するどころか悪化してきたようだ。先程までは朦朧としながらも何とか意識を保っていたが、今はその目を静かに閉じ、呼吸も更に浅くなっている。


「ハア……ハア……。やべぇな。こいつはホントに…急がねぇと……!」


 急がないといけないのは分かっている。だがその気持ちに身体がついて来てくれない。


「ツォイスは大丈夫か?」


 苦しそうに話すツォイスの顔を覗きこみ、ジャンタは首を傾げ、訊ねた。


「お前、疲れないのかよ……」


「?? おれは疲れないよ?」


 さも当たり前のようなジャンタの反応を見て、何故かツォイスの方がどっと疲れてきた。膝に手をつき近くの木にもたれ、深く息を吐いた。


「少しだけ休憩させてくれ……」


 ぜえぜえと苦しそうに息を吐きながら、滑り落ちるようにその場にしゃがみこむ。


「ツォイスは急ぐのはやめたのか?」


 ジャンタが問うも、今のツォイスに答える余裕はなさそうだ。


「苦しいの? ツォイスの事もおれが持とうか?」


 ジャンタが何を言っているのかツォイスには分からなかった。

 ────持つ? 俺の、何を?

 だがツォイスがそんな疑問を抱いた時には、ジャンタは既に行動に移していた。


「よいしょ」


 そう小さく呟いたジャンタは、今までお姫様抱っこ状態だったアシュタルを左肩に抱え直した。


「ツォイスも苦しそうだからおれが持つぞ」


「は?」


 その瞬間、ツォイスの足は地面を離れた。

 ツォイスは何が何だか分からないまま、気が付くと頭をジャンタの背中側に向ける形でその右肩にくの字に抱えられていた。


「急ぐんだよな! おれ、走るぞ!」


「え……! お、おい!!」


 戸惑うツォイスに構わず、二人を両肩に抱えたジャンタは走り出した。

 それはとんでもないスピードだった。もと来た道はあっという間に遠ざかり、ものの数秒で見えなくなる。それはこの自然界にこれだけのスピードで走れる生物はいないだろう、と確信を持てる程だ。


「あっ!」


 突然ジャンタが走るのを止める。急ブレーキがかかったせいで、ツォイスはジャンタの背中で呻いた。


「な、ツォイス。どっちにいけばいい? あっち? こっち?」


 ジャンタは右へ左へ身体を振り回す。


 ────そう言われても、これじゃあ前が見えねえからなぁ……。

 ジャンタに対しツォイスはそう思ったが、あまりに予想外の展開に着いていけず、言葉にすることが出来なかった。だがツォイスが答えずともジャンタはそれに気付いたようだった。


「そっか。前がみえないんだ。じゃあ……」


 ツォイスは、ジャンタが自分を前向きに抱え直そうとしているのだと思った。だがジャンタの答えは、予想の斜め上を突き抜けたものだった。


「おれ、後ろ向きに走るな!!」


「!?」


 ツォイスが何か言葉を発しようとするも、ガクンという衝撃によりそれは叶わなかった。


 恐ろしいことにジャンタは後ろ向きのまま先程までのスピードを維持して走り出した。

 ここは森の中であるため沢山の木々が生えているわけだが、ジャンタはそれらをギリギリでかわしながらどんどん進んでいく。ツォイスは木々が恐ろしいスピードで横を掠めていく度悲鳴をあげた。


「……おい! ぎゃあああ!! …ま、まて……! うおおおおおおおお!!!」


 叫びながら、やっと言葉らしいものが出てくる。


「止まれ! 殺す気か!!」


 そこでやっとジャンタが立ち止まる。


「ころす気じゃないよ?? どうしたの?」


「危ないだろ! あんな走り方……」


「?? あぶなくないよ?」


「危ないっつうの!!」


「???」


 それでもジャンタは理解していないようだった。確かに危なげ無く走ってはいたようだし、実際危なくはないのかもしれない。しかしこのままではツォイスの心臓の方がもたなそうだ。

 ツォイスは同じくジャンタに抱えられているアシュタルを見たが、苦しそうな表情で目を閉じている。意識が無いのだろう。正直なところ、今だけはアシュタルが羨ましく思えた。

 ツォイスは深く息を吐いて、頭をジャンタの聞こえやすい方へ向けた。


「せめて、前を向いて走ってくれ……」


 弱々しく呟いたツォイスの言葉を聞いたジャンタは首を傾げた。


「え? そうしたらツォイスは前見えないよ? ……ツォイスは変な事言うな」


 ……ツォイスがその胸中で「お前に言われたくねえわ!!」と叫んでいたのは言うまでもない。


「んー。じゃあさ、じゃあさ、どこを目指せばいいか教えてくれ! おれ、そこまで走るから!」


 ジャンタはそう言って、ツォイスの言葉を待った。

 当のツォイスは息を整えるのがやっとで、なかなか言葉が出てこない。だがジャンタはツォイスが落ち着くまで急かしたりせず、そのままの体勢で静かに待ち続けた。その姿はまるでお利口な犬のようだ。

 しばらくの沈黙の後、ツォイスが苦し気ながらも口を開いた。


「ああ、この森を出て西の方角……十キロ程先に "ウルキ" って町がある……。俺らの連れがもう一人居て……そこで俺らを待ってる筈だ」


 ツォイスはジャンタにコンパスを差し出そうとしたが、そもそもジャンタの両手は二人を抱えていたため空いて居なかった。


「西は……あっちだ」


 ツォイスは一先ずコンパスで西を確認し、その方位をジャンタに伝えた。

 だがツォイスの上半身はジャンタの背中側にある為なかなか上手く伝えられない。手足をばたつかせて西を示そうとするも、疲れきった身体はなかなか言うことを聞かなかった。


「ツォイスなにしてるの?」


 そんなツォイスをジャンタは不思議そうに見ていた。


「いや、だから西はだな……今向いてる方に真っ直ぐ……」


「? 西に行けばいいんだよな? だからこっちだよな?」


 ジャンタはツォイスが方角を説明する前に西がどの向きか分かっていたようだった。

 ……コンパスも要らなかったらしい。


(本当に何なんだこいつは……)


 そうツォイスが心のなかで呟いていた時、ジャンタもまたブツブツと呟きながら考えていた。


「んー。その町ってここから見えるかなぁ。な、ツォイス。町ってどんな町??」


 ……ふわっ。

 妙な感覚があった気がしたが、ジャンタが普通に話しているのでツォイスはあまり気にしなかった。


「あ? ああ、町か……。まあどこにでもあるような町だったからなぁ。だが西の方向でここから近いのは一ヶ所しかねぇぞ」


「そこって周りに小さい木がいっぱいある?」


「あー、そう言えば周りがアガの木だらけだったわ……。アガ酒が特産品だって話も聞いたな」


「町の中に木の家ある? 三階建て! でっかい木の下に小屋があって馬がいる!」


「ああ、その町の宿がそんな感じだったな。俺らが乗ってきた馬車が停まってるはずだ」


「じゃあさ! あの町でいいんだよな!」


「────え?」


 顔を上げたツォイスの目には、ずっと広がる森とその森から西へと伸びる道、その先に広がる草原地帯が見えた。ジャンタの言うその町は、眼鏡越しのツォイスの視力では確認出来なかったが。

 それにしても、その景色は随分高い位置から見下ろしたようなアングルだ。


 ……ツォイスは気付いた。

 ここは、空中だ。鳥が飛ぶ高さよりも高いかもしれない。

 そしてその直後、もう一つ気付いた。

 これは、飛んでいるんじゃない。ただの物凄い垂直跳びだ、と。


「ん! おれ、二人をあの町につれてくからな!」


 ジャンタが何か言っていたが、ツォイスがそれに答えることは出来なかった。


「う……!! うあああああああああああああああああああ!!!」


 直後に始まった自由落下により、ツォイスの意識も絶叫と共にどこかへ飛んでいってしまいそうになる。

 しかしそんなツォイスをよそに、ジャンタは綺麗に着地してみせた。不思議と着地の衝撃は無かったが、精神的ダメージだけで気絶してしまいそうになる。


「よしっ!」


 ジャンタの満足げな声が聞こえたが、今のツォイスにはそれに対して反応するだけの余裕もなかった。

 ジャンタは自身の勘だけを頼りにし、ウルキの町を目指して走り出した。

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