【001】プロローグ ◇
石造りの小さな部屋。燭台の上で揺れる灯火が二つの影を写した。
その部屋には灰の王と、その妃となる娘がいた。
怯える娘に、灰の王は一冊の絵本を差し出した。
「怖がる事はないよ。この本を読んで御覧。これは、私と君が共にある為の物語だよ」
灰の王は優しく話しかけるが、娘は尚も怯えている。無理もない。娘が灰の王の妃となるべく "ここ" へ迎え入れられてからまだ一日と経たないのだ。
灰の王は娘に優しく微笑みかけると静かに椅子に掛け、古めかしい絵本を開いた。
「『小国の英雄物語』
むかしむかしある小さな国の小さなお城に、王様と王妃様が住んでいました。
その小さな国で暮らす人々は笑顔で幸せそうでした。みんな王様と王妃様が大好きだったからです。
そして王様もそんな人々の笑顔が大好きでした。
しかしある日を境に全てが変わってしまいました。
小さな国に悪魔がやってきたのです。
人々は悪魔から小さな国を守ろうと、矢を放ち剣を振りました。
しかし悪魔にはまるで届きません。人間が作った武器では悪魔を追い払う事も出来なかったのです。
悪魔は人々の笑顔が大嫌いでした。
悪魔が呼んだ真っ黒な雲は小さな国の空を覆い、そこで暮らす人々はたちまち病気にかかってしまいました。
笑っている者は皆病気にしてやるぞ。
悪魔はそう言いました。
人々は笑顔を見せなくなりました。
悪魔が怖かったのです。
どうすることも出来ません。
王様はとても悲しみました。
それから王様は毎日笑顔を絶やしませんでした。
笑うことが出来なくなった人々の分も、自分が笑顔でいようと思ったのです。
そして、どうすれば悪魔を追い払えるか、いつも考えていました。
やがて人々は、そんな王様を信じるようになっていきました。
悪魔は王様をもっと困らせてやりたくなりました。
月も顔を出さない真っ暗な夜のこと、
悪魔はお城に忍び込んで、王妃様を殺してしまったのです。
王様はとても怒り、悲しみました。しかし笑顔を失った人々の為に、笑顔のまま涙を流しました。
そんな王様を見た人々はとても悲しみました。自分たちが笑顔を失ってしまったように、王様もどんな事があっても悲しむ事が出来なくなっていたからです。
王様。王様。私達のために、どうかそんな顔で笑わないでください。それでは私達は悪魔に対して怒ることも出来ません。
人々は口々にそう言いました。
それを聞いた王様はわんわんと泣きました。
そして王様は剣に手を伸ばしました。悪魔を討つと心に決めたのです。
しかしただの剣では悪魔に敵いません。人々は今にも城を飛び出さんとしている王様を必死で止めました。
すると不思議な事が起こりました。王様の頭上に目映い光を放つ何かが現れたのです。
それは悪魔に殺されたはずの王妃様でした。
王妃様は王様に目映く輝く剣を差し出し言いました。
王様。この剣を手にすれば、必ずや悪魔を討つ事が出来るでしょう。しかし、その代償に王様も全てを失ってしまいます。
それでもこの剣を手にしますか。
王様が剣を手に取ると、王妃様は少しだけ寂しそうに微笑んで消えていってしまいました。
王様は王妃様が残した剣を手に、そのまま城を飛び出して行きました。
我を忘れ、剣を握り締め、悪魔を追いかけます。
そして無我夢中でその剣を悪魔の心臓に突き刺しました。
悪魔は悲鳴をあげ、そのからだは大きな音を立てて砕け散りました。王様によって悪魔は退治されたのです。
悪魔がいなくなった国は平和を取り戻しました。
しかし、小さな国に王様が帰ることはありませんでした。
小さな国の人々は王様を英雄と呼び、王様を忘れることはありませんでした。」
灰の王は絵本を静かに閉じて、もう一度娘に優しく微笑みかけた。
「何度悲劇が繰り返されてきたとしても、君はもう何も悲しまなくていいんだよ。君が私と共にあるならば、私はこの世界から悲しみを消し去る事が出来る」
しかし、怯える娘は灰の王を拒み続け、やがて冷たくなってしまった。
灰の王は涙を流し、冷たい娘を抱き上げた。
……君さえいてくれれば、私は何にだってなれるのに。
あと何度、涙を流せばいいのだろう。
あと何度、冷たい君を抱き上げればいいのだろう。
────ああ、また……
次の"君"を探さなくちゃいけない。




