【030】彼女の責任(こころ)の在処 ③ ◇
それは、一瞬の出来事だった。
……ズン!!!
地鳴りのように鈍く、突き刺すように鋭い音。それが大きく、それでいて短く森へこだました。
直後バリバリというガラスが砕け散るような音が辺りを包む。それは漆黒の赤子の姿をした大型烟獣を討伐した際にも聞いた、耳に覚えのある音だった。
辺りを見渡すとあの複数個の眼球を持った大型烟獣の姿が消えている。その代わりにガラス片のような烟獣の残骸が宙を舞いキラキラと輝いていた。
だが何より驚いたのは、鉤爪のような石鏃(矢尻)のような形状の……どちらにしても大きすぎる、大木程の巨大な物体が地に突き刺さっていた事だ。しかも先程まで大型烟獣が居た場所に、だ。それは黒色でありながら端々は赤く、はたまた透明な水飛沫をあげるように揺らめいている。表面は鉱物のようでありながら植物のようでもあり、まるで生きているかのように脈打っている。
それは間も無く垂直に浮き上がったかと思うと、物凄いスピードで上空へと消えていった。あまりの速さに忽然と消え失せたような錯覚を覚える程だ。
エズムが慌てて空を見上げると、あの巨大な鉤爪のような物体がアードミラーロの胴体部分へ、するすると戻って行くのが見えた。鉱物と見紛う程硬質に見えたその部位は、アードミラーロの胴体へ戻ると薄絹のようにヒラヒラと靡き出している。
……あれはアードミラーロの身体の一部だったのだ。
「え………………!?」
エズムは硬直し動けなかった。動けないからこそ頭を働かせてみるも、どうしてこんな事が起こったのかなんて解りはしなかった。考えても考えても尤もらしい仮説すら出てこない。
だから、先ずは現状を整理する。……エズム達を追い詰めていた、複数の眼球を持った大型烟獣は大破し消滅した。それはあのアードミラーロによって、だ。
────これじゃ、まるでアードミラーロがわたしを助けたみたいじゃない……?
エズムはそんな風に思ったものの「有り得ない」とその考えを直ぐに打ち消す。
しかし遥か上空のアードミラーロはそれ以上何をするわけでも無く、その不気味な姿をぐるりと翻して消えていった。……まるで、アードミラーロが本当にエズムを助ける為に現れたかのように。
「……な…んで……!?」
アードミラーロという脅威が去った事は幸運である事に違いないが、その場に居る者全てに安堵以上の驚きを与えていった。
特に烟獣について研究をしていたエズムとしては、このアードミラーロの行動は信じられないものだった。自分が死を覚悟した瞬間から間も無いというのに、その不可思議な行動が気になって気になって仕方無くなる。
────アードミラーロは何をしたの? わたしを助けた? 何の為に?? ああ、研究室に行かなきゃ……過去の資料を引っ張り出して、アードミラーロら四柱の竜が生まれた理由をもう一度見直したい……!! この件に関してのツォイスさんの意見も聞いて、それからそれから……
「…………っう!!!」
しかしエズムがそれ以上考えを巡らせる事は叶わなかった。突如として更なる激痛が全身を襲い始めたのだ。身体を成す細胞の一つ一つが意思を持ち存在を主張するように疼き、自分の存在全てが別の何かに変換されてしまいそうな錯覚に陥る。
────これは、黒化病の症状と同じ……!! ……そっか、今のでわたし、アードミラーロの被侵蝕干渉範囲に触れちゃったんだ……!!
被侵蝕干渉範囲とは、アードミラーロら四柱の烟獣の周囲を覆う不可視領域だ。この領域に入ったなら侵蝕率は強制的に上げられ、侵蝕限界値を超えさせられる事で人間は死に至る。
エズムがアードミラーロの被侵蝕干渉範囲に触れたのは僅かな時間ではあった。アードミラーロが離れた今、アードミラーロによる侵蝕干渉は受けていない。それでも一時的に、強制的に上げられた侵蝕率によって、身体は蝕まれエズムの動きを完全に封じてしまった。
「……っ! エズム!! エズムッ!!」
少し離れた場所からエルミダが声を荒らげるも、それはエズム自身の呻き声によってかき消された。尤も、聞こえたとしても今のエズムには応えようがなかったが。
それでもエルミダは尚も名を呼び続けた。脚を負傷し動けないエルミダ、出血により殆ど意識を失っているアトリー、姿の見えなくなったグレアム……そんな中でエルミダに出来る事は、名を呼ぶ事だった。
……エズムに、危機を知らせる為に。
「エズム!! 逃げて!!」
横たわり、呻き悶え、痛みが通り過ぎるのを待つしかないエズムに近付くのは……新たに現れた烟獣だった。
──────────
それは中型の眷属烟獣だった。しかしその姿のほぼ全域が有色であり、黒いだけの烟獣とは別の不気味さを醸し出していた。
それは直径二メートル程の眼球のような形状だった。先程の大型烟獣とは違い瞼があり、その瞼を縫い付けるように幾本もの剣が刺さっている。背面は黒煙状ではあるが、それが視神経や眼球から伸びる筋等を連想させ酷くグロテスクに映る。
その中型烟獣はエズムの真上で止まると、黒煙が漂う背面から触手のように細長い腕を無数に伸ばし出した。エズムを取り込み、吸収しようとしているのだ。
「止めてえぇっ!!」
一部始終を目にしていたエルミダは叫び、自らの覚醒具である細剣を投げ付けた。それは中型烟獣へと真っ直ぐ飛んだものの……エルミダから一定の距離まで離れると、黒煙状になり宙へ溶けていった。
覚醒具は覚醒者が手にしなければ形を維持出来ない。故に射出型や投擲型の覚醒具も存在しない。それでもエルミダは這いながら、細剣を生成しては投げ続けた。
しかし中型烟獣から伸びる腕はエズムの髪を掴み、腕を掴み、そのまま持ち上げ引きずり込もうとする。
ヒュ……!!
鋭い風切り音が聞こえたと思うと……突如として中型烟獣の姿は細切れになっていた。それは内部のコアが露になる程にだ。
エルミダが目を凝らすと、再度聞こえた風切り音と共に細い糸がキラリと光ったのが見えた。
「よし、エドレド! コアを狙え!!」
「……分かってますよ!」
エルミダらの背後から聞こえたのは、聞き慣れた男の声と、聞き覚えの無い少年の声だ。そして振り返った先に居たのはガタイのいい中年男性……第四班班長であるドラヴァンと、見知らぬ小柄な少年だった。その後ろにはグレアムの姿もある。
森を抜ける為一人走っていたグレアムだったが、感知型である彼だからこそ他の覚醒者の気配に気付いたのだろう。その二人を連れ、ここまで戻ってきたようだ。
「グレアム……!? ……と、ドラヴァン班長!!」
その姿を目にしたエルミダが歓喜の声を上げるが、それは少年の声によってかき消された。
「オオオオオオオッ!!」
その少年……エドレドは覚醒具である多節鞭を鋭く放つ。それはまるで弾丸のように真っ直ぐ伸び、木々の間をかい潜って露になったコアを正確に撃ち落とした。そして直ぐ様多節鞭を引きエズムに当たらないよう軌道を変えると、その端を左手に受け短く持ち変える。
「おお、上手いもんだな!」
ドラヴァンはハッハと笑い、横に立つエドレドの背中を力一杯叩いた。それによってエドレドの口から「ぐえっ」と声が漏れるも、ドラヴァンはそちらを見向きもせずに辺りを見渡す。
エルミダは脚を負傷している以外は特に目立った怪我は無い。アトリーはうっすら意識はあるものの急ぎ止血しなければならない状態だ。そして二人から少し離れた場所で横たわるエズムに至っては……酷い吐血跡に加え、全身が小刻みに痙攣している。
「……すまん。俺の読みが大きく外れた」
ドラヴァンはその表情を曇らせそう呟くと、糸状の覚醒具を小さく持って、その両肩にエルミダとアトリーを担いだ。
「これ以上烟獣が出る前にさっさとずらかるぞ! エドレド、お前さんはエズムをおぶってやってくれ」
「え!? あ………………は、はい!」
異性を妙に意識してしまうエドレドだったが、エズムに近付きその様子を目の当たりにし、そんな事も気にしていられなくなった。抱え起こしたエズムの身体はあまりに華奢で、驚く程軽かった。
「……よし、急ぐぞ!」
ドラヴァンの声を合図にするように、エズムを抱えたエドレドはその背を追って走り出した。




