【026】歪(ひず)みへ ◇
「ああああああああああっ!!!」
エズムが大槌を振り上げる。そして漆黒の赤子のコアを目掛け、渾身の力で自らの覚醒具を振 ふり降ろした。
しかし────。
バリイイィッ!!
大きな音と共に漆黒の破片となって砕けたのはエズムの覚醒具の方だった。疲弊し覚醒状態を維持出来なくなってしまったのだ。
捨て身の攻撃として誘導侵蝕を起こしての一撃という手もあったが、一度砕け散った覚醒具を再具現化出来る程、今のエズムには体力が残されていなかった。
「副班長さん!」
慌てたグレアムの声がエズムの耳に届く。地を蹴り、漆黒の赤子の目の前に飛び込み……そこで覚醒具を失ったエズムはあまりにも無防備だった。エズムもこの事態を何とか打破しなければとは思ったものの、身体にまるで力が入らない。
しかし無情にも漆黒の赤子は狙いをエズムに定めたようだ。他の覚醒者には目もくれず、残った腕をエズムへと振り下ろさんとする。
────その時だ。
「オオオッ!!」
掛け声と同時に漆黒の赤子の身体がガラス片のように砕け散った。
それは拘束から逃れたアトリーによる一撃だった。振り下ろされた大斧が漆黒の赤子のコアを破壊したのだ。
それによって辺りはバリバリというガラスの砕けるような音が鳴り響き、漆黒の破片がキラキラと輝きながら散っていった。
「……っは…………」
エルミダに抱え起こされた状態のエズムは、へなへなと尻餅をついて空を見上げた。巨大な漆黒の赤子は消え、辺りはまた静かな森へと戻っていた。
「……おいエズム。副班長自ら囮になるなんてちょっとやり過ぎなんじゃないか?」
大斧を担いだアトリーが皮肉たっぷりにエズムを見下ろした。そんなアトリーを困ったように見上げたエズムだが、すぐに俯いた。
「……ごめんなさい……」
別に謝罪を求めていた訳ではなかったのだが……アトリーはばつが悪そうにエズムから視線を逸らし、溜め息を吐いた。
「……俺も油断しちまったけどな」
烟獣に拘束された事をあまり口にしたくは無かったようで、そう話すアトリーの口調は悔しそうだった。
そんな様子を見てエルミダはふふ、と笑い、エズムの方を向いた。
「エズム、どう? 動ける?」
「はい……何とか。でもこの直後に烟獣に遭遇したら、わたしは戦力になれないかもしれません……」
そこまで言ってエズムは申し訳なさそうに俯いた。
「本当に、ごめんなさい……。烟獣一体に随分消耗してしまって。なるべく直ぐ回復出来るように努めます……」
「まあまあ。でもさっきの眷属烟獣相手なら私達三人の内の誰かが無理しなきゃ打破出来なかったと思うよ。勿論、それを副班長が引き受けちゃうのは得策ではなかったけどね」
そうして三人が言葉を交わす中……深刻な表情のグレアムが口を開いた。首に下げた琥珀晶石を握り締めながら。
「大変です、また眷属烟獣の発生が予想されます! ……しかも複数体、内二体は先程の眷属烟獣より強大なものと思われます!」
「……う、うそ……」
疲労困憊のエズムの口から率直な気持ちが漏れる。それはおよそ副班長らしからぬ反応だったが、エズムは頭をプルプルと振って気持ちを切り換えた。
「グレアムさん、その正確な方角は分かりますか? なるべく一対三で対応出来るよう急ぎこの場を離れましょう!」
肩で息をしているエズムだったが、それでも何とか副班長の任を全うするべく立ち上がった。
──────────
十年前に突如現れた、烟獣と呼ばれる四柱の黒い竜。
それらはルジルファと言う名の悪魔の化身だと言われていた。
『小国の英雄物語』の中で王に討たれたルジルファは死して尚、王を恨んでいるのだろう……王亡き現世において、王の子孫であろうこのザクゼン侯国の人間にその矛先が向いているのだろう……そしてその結果が烟獣によってもたらされた黒化病なのだろうと、そう思われていた。
しかし烟獣らの始源であるルジルファがザクゼンを滅ぼしたいと思うのであれば、最初から烟獣を人間に仕向けてしまえばいい話だ。
例えば四柱の烟獣が虚闇を撒き散らし沢山の黒化病患者(虚闇による侵蝕を受けた人間)を発生させたなら、人間に対し物理的干渉能力を持たない眷属烟獣でも殺傷能力を持てる。
それどころか四柱の烟獣が活動圏としている森を抜け、それぞれの町を一撫でしてやれば……覚醒者だろうと何だろうと、死は避けられない。物理的干渉を可能にする有色部位を持ち、更にはその領域に入るだけで絶命する被侵蝕干渉域を纏っている四柱の烟獣に対抗する術は未だに確立されていないのだから。
だがルジルファがこの国の破滅を望んでいないのであれば、その疑問は全く別の仮定を生む。そしてその仮定は精査する程に真実味を増していく。
例えば黒化病。黒化病は烟獣の放出する虚闇によって感染する病だが、生まれつき虚闇耐性を持っている人間が感染しやすい傾向があるという事が分かっている。また烟獣は虚闇を一気に大量に放出するのではなく、少量を複数回に分けて放出している。それはまるでこの国の人間が活力を失い過ぎないよう加減しているようにも思える。
烟獣の生息圏についても何故森から出られないのかと調査されてきたが、出られないのではなく出る必要が無かったのだと考える事が出来る。
他にも烟獣の生態や虚闇の性質等……考え出せばキリが無かった。
「……だが、じゃあ烟獣は覚醒者を生んで、その後どうしたいんだ? 烟獣は覚醒者に滅ぼされる為にいるっつーのか……?」
「んんん……? バルバル鳥の親鳥はそんな事しないぞ?」
「……はあ?」
ツォイスは独り言のつもりだったが、横にいたジャンタが応えた。
「そんな事分かってるっての。バルバル鳥は育皺の結果死ぬ事もあるってだけで……」
────そうだ。滅ぼされる為に覚醒者を育てるのではなく、覚醒者を育てた結果滅んで行くと考えた方が自然だ。
そう気付いたツォイスは顎に手をあて更に考え込んだ。
「しかしルジルファは烟獣に覚醒者を生ませ育てさせ……その先にある別の何かを目的とするのなら、それは一体何なんだ?」
そう言ってツォイスはジャンタを見た。ジャンタを見ながら……その奥にいるルジルファを探すように。
しかしジャンタはきょとんとした顔で首を傾げる。
「さあ??」
「……お前は何でこう肝心な所が分かんねぇんだよ……」
やっと真実に近付いてきたと思ったところだっただけに、ツォイスはがっくりと肩を落とした。ジャンタと言う存在に出逢ってから一度失っていた期待……予言の書にあった、名前を持たない代わりに総てを知るという名無しの子供の事が頭を過ったせいもあったのかもしれない。
しかしジャンタはそんなツォイスの気持ちなどまるで気付かず、ふと町の外の方角を見つめた。
「な、ツォイス。あれもアルベド団の馬車?」
そう言ってジャンタが指差した先には────二頭立ての黒塗りの馬車が三台、ウルキの町に入って来たのが見えた。それはクーペというタイプの四輪馬車であり、平民が乗ることは許されない、貴族専用の馬車だ。
それを見た瞬間ツォイスは嫌な予感がしたが……その馬車がこの宿の敷地に停まった事で、それは確信へと変わった。
「名無し君、隠れるぞ!」
「え?」
ツォイスは状況を理解していないジャンタを無理矢理引っ張り込み、二人は木陰に隠れた。
やがて物々しい雰囲気の中、中央の馬車から二人の人物が姿を現した。二人とも青い髪色をしており顔も良く似ている。恐らく兄弟だろう。
一人は十代半ばから後半、もう一人は十代後半といったところだ。二人とも白いシャツに金のボタンをあしらったジレ、その上にはそれぞれのジレと同じ色のジャケットを羽織り、膝丈のパンツにロングブーツを履いている。
兄と思われる人物は険しい表情でもう一人を見ており、その弟と思われるもう一人の方は冷めた目で宿を見やり、口元には冷笑を浮かべている。
「……とんでもない大物のお出ましじゃねえのか……?」
ツォイスが息を殺し、呟く。
馬車から姿を現した二人の人物の正体は────アシュタルの義弟でありザクゼン侯の次男マディリスと、三男クレルだった。




