【025】親鳥と雛鳥
エズムの訪問からどれ程経っただろうか。太陽はすっかり高く昇り、人通りも多くなったウルキは活気に溢れている。
アードミラーロをはじめとする烟獣の異変についてはアルベド団員内でのみ共有されている情報の為、皆何も知らずにいつも通りの朝を迎えているようだ。アルベド団の調査結果によっては、その日常も様変わりしかねないのだが。
「おいコラ! 勝手に出歩くなよ!」
ツォイスが声をかけた先にはジャンタとアーシャの姿があった。二人は宿の外にある大きな木の下に立って上を見上げていたようだ。
「あっツォイスさん、いいところに! 今ジャンタ君に質問責めにあってて困ってたんだよー」
アーシャは待ってましたと言わんばかりにツォイスの方へ駆け寄ると、理由も言わずに「あとはよろしく!」と去っていってしまった。ジャンタに捕まってからなかなか解放してもらえなかったのか、すれ違った際の表情は若干疲れているようにも見えた。
ツォイスは腰に手をあてて一つ溜め息を吐くとそのまま静かにジャンタを見下ろした。
「お前……こんな所で何してる」
「ん! こいつ見つけたからアーシャに色々教えてもらってた!」
そう言ってジャンタが差し出した両の手の平には雛鳥がちょこんと乗っていた。ふわふわしたグレーの産毛にうっすらと黄みを帯びた嘴をしており、怯えているのかピーピーと頻りに鳴いている。
恐らく木の上にある巣から落ちたのだろう。アーシャが手当てをしたのか、翼には添え木が括り付けられている。
「木の下で動いてたから気になって拾ったんだ。こいつはバルバル鳥って言うんだって」
「バルバル鳥……?」
「ん! 大人になったらバルバル鳴くんだって! この辺りにはいっぱいいる鳥で、今はちょうど雛が孵る時期だってアーシャが言ってたぞ。木の下にこいつがよく落ちてるんだって」
「……ああ、そう言えば聞いた事があるな」
ツォイスが思い出していたのは随分昔エズムに聞かされた話だった。
不思議な生態をした存在が大好きなエズムだが、そういったものに興味を持つきっかけとなった鳥だと聞いていた。……因みにこの近隣では食用肉としても愛されているらしい。
「バルバル鳥ってのは……確か、卵から孵った複数の雛の内、強い雛だけを育てるんだよな。んで弱い雛は早々に巣から突き落としちまう。……こいつも突き落とされたんだろ」
そう話すツォイスの視線はジャンタの手の平の雛鳥へ向けられ、ジャンタもそれにつられて雛鳥を見た。
「こいつ、捨てられたの? せっかく産まれて来たのに?」
「そりゃあバルバル鳥なりの生存戦略なんだから仕方無いだろ。……だがバルバル鳥は残った雛を大事に大事に育てるんだと。確か素嚢乳みたいなものを雛に与えて育てるんだが……それは素嚢乳っつーより哺乳類の母乳に近いとか何とかで、それを身を削って体内で作るから親鳥も命懸けなんだとさ。育皺が終わる前に衰弱して死ぬ親鳥も居るとか居ないとか」
「命懸けなの? 雛を育てるのに?」
「まあ本来の鳥類の生態とは異なるんだから、身体にその皺寄せが来るんじゃねーの? まあ俺は生物学者じゃねえから詳しくは知らねえがよ」
ジャンタは「そうなんだ」と言って木の上にある巣を見上げた。ツォイスも見上げてみたものの、巣は見付けられなかった。
それにしてもジャンタ相手に少し難しい話をしてしまった、とツォイスはジャンタの方をチラリと見る。
「……っつーかお前、俺が言った内容理解出来てるわけ?」
「?? だいたい?」
ジャンタは無知だが物覚えは良かった。もしかしたら尋常ではない身体能力が脳にも影響を及ぼしているのかもしれない。
ツォイスがそんな事を考えている中ジャンタも別の事を考えていたようで、その視線を自身の手の中の雛鳥へと向けた。
「……バルバル鳥も、一緒だ」
「あ? 何とだよ?」
「…………アードミラーロと」
ジャンタのその言葉を聞き、昨晩の酒場でのやり取りが過っていったツォイスだったが……そこに一つの仮定が浮かんだ時、ツォイスの背中がゾクリと冷えた。
──────────
「はあ……はあ……!!」
エズムは枯れ森の中を北東へと走っていた。後ろには第四班のエルミダ、アトリー、観測基地のグレアムが続いている。そしてその更に後方からは……巨大な黒煙がゆらゆらと揺らめきながら、四人を追いかけてきていた。アードミラーロの眷属烟獣だ。
「……ここで交戦します! 構えてください!」
エズムがそう言い放った場所は、森の中でも比較的木々の少ない平地だった。交戦場所としてはベストではないが、贅沢を言っていられる程の余裕は無かったのだ。
「覚醒具を生成します! グレアムさん、信号弾を!」
エズムの指示により、グレアムは赤の信号弾を空へと打ち上げた。赤い煙を噴き出しながら上昇した弾は上空で大きな音を立て、更に煙を飛散させる。
それとほぼ同時に、エズム達の場所から南東の方向からも赤い信号弾を確認した。クーストスが率いるもう一方の分隊も眷属烟獣との交戦を開始したようだ。
「エズム! 来たよ!」
そう声をかけるエルミダの視線の先には巨大な漆黒の赤子の姿があった。ジャンタ達が交戦した眷属烟獣と同型ではあるが、こちらの方が一回り大きい。
エズムは自身の覚醒具である大槌を生成し、構える。
「アトリーさんとわたしで迎え撃ちます! エルミダさんはグレアムさんを守ってださい! その間グレアムさんは引き続きアードミラーロの索敵と眷属烟獣のコア位置のサーチをお願いします!」
エズムの指示に対しアトリーは「分かった」、エルミダは「了解」、グレアムは「了解です」とそれぞれ短く応え、眷属烟獣を迎え撃つべく構えた。
アトリーは覚醒具である大斧、エルミダは細剣を生成する。感知タイプのグレアムは覚醒具は持たず、胸に下げた琥珀晶石に触れながら索敵を続けていた。
「────来ます!」
エズムがそう言ったとほぼ同時に、巨大な漆黒の赤子が四人を目がけて飛びかかって来た。
それは予想外の動きだった。地を蹴るようにして飛び上がった漆黒の赤子は空中で四肢を伸ばし、そのまま四人を押し潰さんと落下してきたのだ。その巨体故範囲は広い。武装覚醒者であるエズム・エルミダ・アトリーは身体能力強化スキルが発動している為何とか避ける事は出来るが、普通の人間と変わらないグレアムに回避は不可能だった。
それに気付いたエズムは咄嗟に空中の漆黒の赤子に向かって飛び、グレアム側にあたる漆黒の赤子の左腕に大槌を叩き込んだ。それに続いたアトリーの大斧も直後に数回斬りつけられ、漆黒の赤子の左腕は落下前に消滅する。
ズオオオッ……!!
それでもギリギリだった。落下してきた漆黒の赤子の左肩付近ではエルミダがグレアムを庇うようにして何とか回避したようだが……漆黒の赤子とは目と鼻の先であり、早急に距離を取る必要があった。
エルミダの細剣は鋭いが巨大な烟獣には向かない。エズムとアトリーはそれぞれ巨大な得物を手に、再び漆黒の赤子へと飛びかかった。
「ふんんっ!!」
エズムがその大槌を漆黒の赤子の頭部をめがけて思い切り振るった。エズムは手数こそ少ないが一打一打は重く、それでいて的確な位置に正確に当てていくといった戦闘スタイルだ。まるで教本通りの動きだが、それを実際にやってのける事はそう容易な事ではない。
一方のアトリーはエズムとは真逆で、手数を稼ぎながらその中でクリティカルを狙うスタイルだ。頭もキレる為咄嗟の判断が的確であり、臨機応変なタイプでもある。その為エズムのフォローをしつつ遊撃手として縦横無尽に駆け巡る。
「シイッ!!」
エズムが浴びせた一打の後にだめ押しと言わんばかりにアトリーが大斧を叩き込む。
左腕に次いで頭部を失った漆黒の赤子だが、飽くまで赤子の形状をした烟獣であって、頭部が頭部としての機能を果たしているわけではない。エズム達の位置が分からなくなるという事もなく、漆黒の赤子は右手で宙を大きく薙いでエズムとアトリーを狙う。だがその動きはやや鈍くなっており、二人は危なげ無くこれをかわした。
しかし─────……
「きゃあっ!!」
悲鳴と同時にエズムが突然転倒する。
「おいエズ……」
驚き声を掛けようとしたアトリーもまた何かに引っ張られるようにして転倒した。
それは漆黒の赤子の破損部位から伸びる無数の細い腕だった。その細い腕らはエズムとアトリーを押さえ込むと、エルミダ、グレアムへと伸びていく。
「チッ!」
それらをエルミダの細剣が斬り捨てる。細やかな動きで鋭く斬り刻む彼女の剣技により、伸びてくる細い腕は漆黒の赤子のコアから分断され……その体積がじわじわと小さくなっていく。
だがそれが効かないと分かるや否や、漆黒の赤子はエルミダ、グレアムへと体当たりするべく飛びかかってきた。
「ハアアアアッ!」
そこに飛び込んできたのは拘束されていた筈のエズムだった。誘導侵蝕によって能力の限界値を一時的に上昇させ、拘束を逃れたのかもしれない。あまり利口なやり方ではないが、そのお陰でエルミダらは難を逃れる。
エズムは大きく振った大槌で漆黒の赤子を弾きとばした。
「エルミダさん! 一旦アトリーさんの救出をお願いします!」
「了解!」
アトリーの元へ向かうエルミダだったが、漆黒の赤子の身体からは無数の細い腕が伸び、それらは大きく放物線を描きながら降り注いで来ている。幸いそれらは動けないアトリーへ向かう気配は無かったが、行く手を遮られているエルミダがアトリーの元へ辿り着くには少々時間がかかりそうだ。
「グレアムさん、コアの位置はあとどのくらいで分かりそうですか!?」
「……あと五分もいただければ」
「分かりました! ではわたしが時間を稼ぎます!」
そう言ってエズムは大槌を構え、一人漆黒の赤子へと向かっていった。
ジャンタ達が交戦した漆黒の赤子の際はその体積が一回り小さかった事に加え、ジャンタの一撃がかなり大きかった為コアの位置はそれほど重要ではなかった。しかしエズム達のような通常の覚醒者の場合はコアを狙い、早急に討伐する事が必要不可欠だった。ジャンタやアシュタルのように覚醒状態を維持し続ける事は難しい為、時間がかかればかかる程ジリ貧となってしまうのだ。
「ああああああっ!!!」
枯れ森にエズムの声が響く。
やや鈍重となった眷属烟獣の動きを冷静に見極めつつ、最も効果的な部位へと大槌を振り下ろす。漆黒の赤子の攻撃はこちらへ飛んで来る前に察知し、回避、若しくは直撃を防がんと大槌を盾に受け流す。武装覚醒兵としては見事な立ち回りだった。しかしエズムは次第に息が上がり、覚醒具の強度も落ち始める。
「副班長さん、コアの位置が分かりました! コアは
……右腹部です!!」
グレアムの声がエズムの耳へと届く。
それを合図にするように、エズムはその大槌をコアの位置へと振り下ろさんとした。
──────────
烟獣という親鳥と、眷属烟獣という雛鳥。人間はその餌なのだろう。ツォイスはジャンタが昨晩言った「サーナおばちゃんと烟獣が似ている」という発言から何となくそう思っていた。
だが黒化病の元である虚闇を撒き散らし、それでいて何をするわけでもない烟獣の存在を、親と子という関係に当てはめる事は出来なかった。仮に子が眷属烟獣だとして、生みはしても育てる事は無いのだから。
しかし一つの仮定が浮かんだ時……バラバラだったピースがぴたりとはまった。
烟獣が親である事に変わりはない。違うのは────。
「烟獣が育ててんのは、俺ら覚醒者って事か……!?」
そう漏らしたツォイスだが、その横のジャンタには驚いた様子は全く無かった。最初からそう思っていたのだろう。
────だが……烟獣が覚醒者を生み、まるで素嚢乳を与えるように眷属烟獣を与え覚醒者を育て……その先に何がある? 覚醒者が力をつければ親である烟獣はいずれ討たれる筈なのに。
考えを巡らせるツォイスの目には、ジャンタの中でニヤリと笑う漆黒の子供の姿が見えた気がした。




