【022】男じゃないぞ!
一方のツォイスはジャンタを連れ、宿の一階にある酒場を訪れていた。
石造りの床に漆喰の壁の室内には丸テーブルが八つ並んでいるが、客足は疎らのようで空きテーブルが目立っている。酒場と言っても歓楽街とは違い、深夜まで営業する事は無い為、閉店時間が迫っていたのかもしれない。
「…………はーい、気を付けて帰ってねー!」
それはアーシャの声だった。ちょうど最後の客を送り出したところだったようで、入れ違いで店に入って来た二人に気付くとニコリと笑って二人を迎え入れた。
「……ああ、酒とツマミと……あとコイツに何か美味いものを一つ、適当に見繕って持ってきてくれ。」
ツォイスは窓辺の席に座り相席のジャンタを指して注文すると、アーシャは「はいはい、ちょっと待ってね!」と言って奥の厨房へと消えていった。
ツォイスとしては何が悲しくて子連れで酒場に来なきゃいけないんだという気持ちはあったが、酒を飲まなければやっていられないといった気分だった。ふかした煙草の煙の向こうで不機嫌そうなジャンタが噎せていたが、そんな事もどうでも良く思える。
やがてその煙草の火が落ちる頃、食器を乗せたトレーをカチャカチャと鳴らしながら、アーシャが歩いてきた。そして運んできたグラスと皿を手際よくテーブルへと並べていく。
「はい、一先ず先に飲み物ね! あとおつまみに海魚の燻製。……山に囲まれているこの辺じゃ海魚なんて珍しいでしょ?」
そう言ってアーシャは得意気にツォイスの顔を覗き込み、空いていた椅子を引いて然り気無く相席した。
「……へえ、海魚なんて久し振りだねぇ」
「あら意外。詳しいんだ」
「ああ、俺は港町の方の生まれなんでね。……お前も食ってみるか?」
そう言ってツォイスはジャンタへ視線を向け、それを一つ取って齧ってみせた。イールは細長い身体をした白身の魚であり、燻製にした事でその食感はやや硬めとなっている。それを引きちぎるように食べているツォイスを見て、ジャンタもおずおずと手を伸ばし、真似をして食べ始めた。
アーシャはそんな二人の様子を交互に見てから視線をジャンタに戻し、口を開いた。
「それにしてもあんなに色々見繕って持っていったのに、サイズの合う服がこれだけだったとはねー。……私が思ってたより、弟は小さかったみたい。」
そう言ってアーシャはふふ、と笑い、燻製に悪戦苦闘しているジャンタの頭をポンポンと撫でた。表情こそ笑っているもののどこか寂しげで、そんなアーシャをジャンタもまた不思議そうに覗き込む。
しかしアーシャはそんな様子をまるで気に留めずに言葉を続けた。
「……で? その後アレス君の具合いはどう? 少しは良くなった?」
「あ? アレス……??」
それが誰の事か直ぐに思い出せなかったツォイスだったが、その横に座っていたジャンタは直ぐに分かったらしい。パッと顔を上げてアーシャの方を見ると、ツォイスの代わりに口を開いた。
「……アシュタルならずっと苦しそうなままだぞ。ロデも苦しそうだった」
その発言によって、ツォイスはそれがアシュタルの偽名であった事を思い出した。他に客も居ない為偽名を使う必要は無いのだが、アーシャは律儀に守ってくれているらしい。
アーシャはジャンタの言葉を聞き、首を傾げた。
「え? マスクのお兄さんも?? ……あなた達、二人を置いてきて良かったの?」
「んんん……良くない! でもおれ、服のお礼をして、ツォイスに美味しい物を食べさせてもらって、ツォイスに付き合わないといけないから」
ジャンタは自身が言われた事をそのまま並べて発言していた。それを聞いたアーシャもそれを何となく察し「それは大変ねぇ」と笑いながら返す。
それから、ジャンタは思い出したかのように立ち上がってアーシャにお礼をし、アーシャの家族らのいる厨房へと駆けて行った。そこでもまたお礼を言っているようだ。……姿こそ見えないが、声が大きいのですぐ分かる。
そんな様子を笑いながら見ているアーシャだが、ツォイスはそのアーシャの横顔を疲れたような気力の無いような顔で見ていた。
「……で? 何が言いたい? 悪いが俺は "察してちゃん" に構ってやれる程出来た人間じゃねぇぞ?」
「あら、私が話す前に切り出してくれるなんて、あなたなかなか優しいのね」
突き放すようなツォイスの言葉に対し、アーシャは視線を戻して笑って見せる。しかしツォイスもその反応に動じる事なく、グラスの酒を煽ってからアーシャに視線を合わせた。
「……言うねぇ。まあ、俺らに聞きたい事って言ったら……せいぜい黒化病患者についてだろ? あんたらの弟がどうしてるか……」
「………………」
図星ではあったようだが、アーシャが黙り込んだのはそのせいだけではなかった。明るく振る舞ってはいても、いざ弟の話を……となると、その後を知りたい反面で真実を知るのが怖くも思えたのだ。黒化病患者は外部との連絡を取り合う事も禁止されている為、現状が分からない今、最悪の事態も想像しているのだろう。
しかしツォイスはそんなアーシャに気を使うような事もなく、もう一度グラスの酒を煽ってから自身の話せる事だけを口にする。
「……残念だが、あれだけの患者の中であんたの弟がどうしてるかなんてのは……医療班なら兎も角、部外者の俺じゃ分からねえんだ。世話になってんのに応えてやれなくて悪いな」
「そ、そっか。アルベド団の人は忙しいもんね。じゃあせめて……弟はエドレドって言うんだけど、もし会う機会があったら『みんな元気にしてるよ』って伝えてくれないかな」
ツォイスは「まあ、その位なら」と答えたものの、内心では難しいだろうと思っていた。生きているかも分からない相手だ、せめてこの程度の気休めくらい言っても良いだろう。
そこにのしのしという重量感のある足音が聞こえ、こちらに近付いてきた。
ツォイスが顔を上げた先には恰幅の良い中年女性がおり、その後ろにはジャンタの姿があった。中年女性の手には本来アーシャが運ぶべき品が乗っており、アーシャも「あっ」と声を上げて立ち上がる。
「ごめーんお母さん! ホールの仕事、忘れてた!」
この中年女性はアーシャの母親のようだ。ツォイスが「こいつに何か美味いものを一つ」と注文した品を持ってきてくれたようで、こんがりと焼けた鶏の香草焼きの乗った皿をテーブルへ、ドンと置いた。
「何言ってんのさ! だいたいお前は嫁いだ身なんだから、うちの手伝いなんかしなくたっていいのに!」
「……でも私は……」
「はいはい、全くお節介なんだから。……じゃ、ごゆっくり!」
アーシャの母親はツォイスとジャンタの方を向いてニッと笑い、アーシャを連れて厨房へと戻っていった。その一方で厨房から戻ったジャンタは椅子に座り、キラキラとした目で鶏の香草焼きを見ている。
「ツォイス! これ食べていいのか!? 凄くいい匂い!!」
「あー……食え食え。かぶり付け」
ジャンタはさっきまで「お腹いっぱい」と言っていた筈だが……香ばしい香りに食欲を刺激されたのか、ツォイスの気の無い返事などまるで気に留めず鶏肉にかぶり付いた。
その食べっぷりは行儀が悪いにも程があるとは思ったものの、教えてやるなんて面倒くさいと思っていたツォイスはなるべく気にしないよう視線を逸らす。そもそもそういった事はツォイスよりロデの方が向いていそうな気もしたのだ。
「な、ツォイス。知ってる? この服はエドレドっていう人のものだったんだって!」
肉を頬張りながらジャンタが唐突に話し出す。どうやらツォイスとアーシャがエドレドの話をしていた時、厨房の方でも同じ話をしていたらしい。ツォイスも「ああ、らしいな」と適当に相づちを打つ。
「サーナおばちゃんが、エドレドに早く帰ってきて欲しいんだって。母親は子供が一番だいじで、子供の為ならどんなことでも出来るもんだって」
恐らく厨房で聞いた話を断片的に拾って繰り返しているのだろう。ジャンタはツォイスの適当な相づちにも構わず話を続ける。
「……おれ、分かったぞ! サーナおばちゃんと烟獣って似てるんだ!」
「────は?」
ジャンタの発言にツォイスは青ざめた。その烟獣によって息子が苦しめられているのだから、「似ている」だなんて、こんなに非道い侮辱はない。ツォイスは慌てて手を伸ばしジャンタの口を塞いだ。
「……むぐ!?」
「 ……何言ってんだお前は! んな訳あるか!! お前は自分が何言ってんのか分かってんのか? 分かってねえだろ…………ええ?」
……ジャンタの力ならツォイスの手くらい、簡単に振りほどける筈だ。しかしジャンタはそれをせず、珍しく本気で睨み付けてきたツォイスを見つめ返していた。怯えているといった様子はなく、ただツォイスの反応に驚いているように見える。
暫くしてジャンタから手を離したツォイスは、その手のひらに付いた食べかすやらよだれやらをジャンタの腕に擦り付けてやった。ジャンタも少し落ち着いたのか、相変わらず驚いた表情ではあるがもう大声をだすような気配は無い。
「……ツォイスどうしたの?」
未だ状況を理解していないジャンタに対し、ツォイスはチョップをお見舞いしてやろうと手を振り上げたが……また騒がれても厄介な為、溜め息を漏らしながら手を下ろした。
「どうしたの、じゃねえだろが……。お前は今本当に酷い事を言ったんだぞ。もう二度と言うなよ……?」
「……?? でも、似てるよ?」
「お前なぁ……! そもそも何が似てるってんだよ」
「親と子供のところ?」
「……はあ??」
ジャンタの言っている意味が分からず、ツォイスは呆れたような顔でジャンタを睨み付けた。
確かに烟獣はその子供のような存在である眷属烟獣を生み出しているが……人間であれば子を宿し、産み、育てる。一方、烟獣であれば自らの身体の一部を切り離して眷属烟獣という名の子を成す。親子という概念を烟獣に重ねる事自体おかしな話だ。
「……はあぁぁぁ……面倒くせえ。口は災いの元ってな。頼むからもうお前は喋んな。育ち盛りのガキなら黙って食え。……お前はただでさえチビなんだから、食わないと大きくなれねえぞ!」
「?? おれ、大きくなった方がいい?」
「……そりゃ、男ならもう少し身長が欲しいもんじゃねえの……?」
そう言ってツォイスは無気力な顔でジャンタを見た。……ジャンタは何故か不思議そうな顔でツォイスの顔を覗き込んでおり、首を傾げて口を開いた。
「??? おれ、男じゃないよ?」
……相変わらず、ジャンタの発言の意味が分からない。ツォイスは溜め息を一つ吐き、ジャンタの目を見て問う。
「………………いや、何言ってんだ。お前は男だろ?」
「おれは男じゃないぞ!」
「……………………いやいやいや、ないない」
「ある! おれ、男じゃない!」
「……………」
「……ツォイス、聞いてるか?」
「………………………………………………………………………」
ツォイスの頭は一瞬真っ白になり、呆然とし、やがて自身の納得のいく答えを探して脳が必死に働きだした。
──────名無し君が男じゃない? は!? 男じゃないって事はつまり女の子って事か!? ……いや、それはねーわ! じゃあなんで男物の服を受け入れたんだって話になるだろ!? それにコイツの言動じゃどうやったって女な訳ねえし! ない!! 絶対にない!!
ツォイスは驚きのあまり……無理もないが、しばらく取り乱していた。その間色々と口走っていた気もする。
実際ツォイスの思考は口から漏れており、それを聞いたジャンタがそれに答える形となる。
「……おれは女でもないぞ! 」
「はあぁぁぁあぁぁあああぁっ!? 本当に何なんだよお前は!!」
ジャンタは名前以外の全てを持たずに生まれてきたが、性別すらも持たなかったらしい。
その衝撃の事実によってツォイスの思考は完全にそちらに持っていかれてしまい……ジャンタが言った「親子と烟獣の話」について、この時はそれ以上考える事が出来なかった。




