【017】少年エドレドの奮闘記 ①
エドレドが覚醒者として目覚めてから、数週間が経った。
アルベド団が拠点とするこの場所は、元々大昔に造られた城塞だったらしい。幕壁のすぐ内側は下郭となっており、そこには嘗ての使用人居住館等の建物が複数棟建っている。エドレドはその中でも比較的大きな館に通され、そこに個室を一部屋与えられていた。
正式にアルベド団員になったエドレドを初日こそ身体を休ませてくれはしたものの、 翌日からは講義に実技にと目の回るような日々となった。
教育担当であるロッセの方針はかなりのスパルタだった。朝からの講義はアルベド団の概要に始まり虚闇にまつわる歴史、覚醒者や覚醒具の事についてみっちり六時間。一時間の休憩を挟み、今度は自身の覚醒具を生成しての実技が更に六時間だ。
食事を始め、身の回りの事は他の団員らが全てサポートしてくれてはいたものの……それでも毎日へとへとで、一日があっという間に過ぎていった。
こんな生活だが、覚醒者の中でも武装覚醒者は特に待遇が良いらしい。入団について拒否権も無い為、それは妥当であるとも言えるのだが。
しかしいくら武装覚醒者が貴重とは言っても、それを生かす場所は少ない。四柱の烟獣は今の覚醒者では近付く事も出来ないし、眷属烟獣や忘却者の出現は稀だとエドレドは聞いていた。事実、現在武装覚醒者の任務は烟獣の「討伐」ではなく、現地に赴いての「調査」が殆どなのだそうだ。
因みに、それ以外の覚醒者……感知・干渉・耐性覚醒者についての入団は強制はしていないのだが、その殆どがアルベド団に留まるのだと言う。それは覚醒者への差別や偏見への恐れからで、覚醒者の多くがアルベド団が斡旋する職に就くのだそうだ。それに加え、入団しなかった場合でも定期検診の為、アルベド団本部へと足を運ばなければいけないという事も理由の一つのようだ。
この環境の中で、エドレドは自身がここまでしなければいけない理由が分からなかった。
────有事の際の為? それはいつ? せめて、この力を誰かの為に使えればいいのに。
エドレドは第四班への配属が決まっていたが、どうせならアードミラーロの観測基地に配属して欲しかった。枯れ森には近付きたくはないが、そこなら自身の生まれ育った町に近いし、いざという時家族を守れるかもしれないと思ったのだ。
しかし、父や義兄達と森で虚闇に取り囲まれた際の事を思い出すと、自分は身体が劣っているから、だから自分だけが黒化病にかかったんだと、自分を責めたい気持ちにもなった。
そんな事を考えながら、エドレドは自室のベッドに横たわっていた。窓から射し込む朝日が瞼を抉じ開けようとしてきたが、まだ眠りの中に居たかったエドレドはそれを避けるように寝返りをうつ。
しかしこの日、その眠りを妨げるのは朝日だけでは無かった。
ドンドンドン!
木製のドアが荒々しいノックで大きな音を立て、石造りの部屋に響いた。
これにはエドレドも流石に目が覚めた。そして寝坊したのではと慌てて時計を確認するが……講義の時間にはまだ早いようだった。
「エドレド! 起きてるか!? 俺だ!」
ドアが壊れるかと思うほどのノックの後に聞こえたのは、エドレドが今後配属される予定である第四班班長、ドラヴァンのものだった。
────なんで、ドラヴァンさんが……?
そう疑問に思ったものの、エドレドは慌ててベッドから飛び降りてドアを開けた。……このままではドアが壊れかねない。
「よう寝坊助!」
ドアの向こうのドラヴァンはニカッと笑ってエドレドの肩を叩く。力加減を知らないのか、はたまたわざとなのか……その衝撃によってエドレドは情けなくよろけてしまった。実家では力仕事をしていた為筋肉はあると自負していたエドレドだったが、この男の前では敵わないようだ。
エドレドはよろけたのを悔しく思い、ばつの悪そうな顔でドラヴァンを見上げた。ついでに言うとドラヴァンと並ぶ事で自身の低身長も目立ち悔しい。しかしドラヴァンはそんなエドレドの様子には全く気付かず、腰に手をあててエドレドを見下ろした。
「今日の講義は無しだ! 緊急連絡が入ってロッセは出掛けちまったからな。その代わり実技は俺がやる。今すぐ支度しろ!」
「……ええっ!?」
「時間がねぇんだ。ほれ、急げ! ドアの外で待ってるからな」
ドラヴァンはそう言ってドアを閉めてしまった。
説明不足で何が何だか分からなかったものの、エドレドは急ぎ着替え、支度をした。そしてドアの前で待っていたドラヴァンに従い演習場へと向かった。
演習場は屋内にある。そこは円筒状の塔のような場所で、天井も高く広い。その壁全面は琥珀晶石によって特殊なコーティングがされているらしく、覚醒具では破壊出来ないようになっているらしい。屋外より都合がいいのだそうだ。
その演習場の中でドラヴァンはエドレドから距離を取り、向かい合う形で口を開いた。
「覚醒具は問題なく生成出来るな? 」
「……はい、出来ます」
エドレドは自身の手元に意識を集中させ覚醒具を生成して見せた。エドレドのものは多節鞭だ。一つ一つの節は小指程の長さだが、それが何連にも連なったその全長は悠に十メートルは越えている。
「よし、出来たな! じゃあ人工烟獣を発生させての討伐演習は受けたか?」
「人工烟獣……?」
エドレドはそんな訓練は受けていなかったし、人工烟獣なんて聞いたことも無かった。そもそもあの烟獣を人工的に造り出すなんて恐ろしく思えたし、アルベド団の活動理念上、そう言った危険なものを扱っている事に違和感も感じたのだ。
しかしドラヴァンは相変わらず、エドレドの怪訝そうな目にはまるで気付かない様子だ。
「人工烟獣っつーのは……そこに、デカイ装置があるのは分かるな?」
ドラヴァンが指した方向には壁面に巨大な装置があり、その中心には大きな琥珀晶石が埋め込まれていた。
「あの琥珀晶石には虚闇が溜められててな、……まあ早い話あれが人工烟獣を造る装置だ。よし、じゃあ先ずはその人工烟獣をお前さんが一人で倒してみろ」
「え……!?」
いきなり過ぎる、と言葉を付け足したエドレドだったがドラヴァンはまるで聞いていなかった。人工烟獣製造装置とでも言うべきものなのか……それを慣れた手つきでパチパチと操作すると、装置の前には黒煙が発生した。
「…………ああ、そうだ。人工烟獣って言っても比較的危険性の低いコアを与えてるってだけで、烟獣に代わりないからな。死なないように気を付けろよー」
「は!? 死って……! ちょっ……ドラヴァンさん!!」
さらっと恐ろしい事を言われた気がしたが、当のドラヴァンはへらへらと笑い、装置の横にしゃがんで手を振っている。そして自身の覚醒具である糸を生成すると、器用に編んでネット状に作り替え、それを自身の周りに張り巡らせた。
ロッセの代わりに実技をやると言っていたドラヴァンだったが、その内容は即席のバリアとでもいうようなネットの内側で、エドレドを見ているだけのようだ。……今後この男がリーダーである班に配属されるのかと思うと、先が思いやられるエドレドだった。
しかし、コアを与えられた虚闇は考える時間を与えてはくれなかった。装置から発生した虚闇は小さな雲のように一塊にまとまると、まるで牙が生えたような真っ赤な口を目一杯開ける。そしてそのままエドレドの方に向かってきた。
しかも、一体二体じゃない。────十数体だ。
「う……わ……!!」
エドレドは慌てて背中を向けそうになったものの、何とか堪えた。そして自身の右手に握られた多節鞭で振り払うように前方を薙ごうとする。
しかし、重量の無い覚醒具では力加減が分かりにくい。エドレドの多節鞭は人工烟獣らには届かず、演習場の壁の表面をガリガリと這うに止まっていた。
「うわ……! うわわわわわわ……!!」
そんな中尚も向かってくる人工烟獣らを目にし、エドレドは焦ってしまっていた。後退しながら多節鞭をがむしゃらに振り回す。
「おわ! あぶねえよ!」
エドレドの多節鞭はドラヴァンの位置まで飛んでいっていたらしい。勿論、糸のバリアで守られていたが。
だが今のエドレドはそんな事はどうでも良かった。……寧ろ、寝ぼけ眼で引きずり出された挙げ句、録な説明も無いまま無理難題を押し付けてくるドラヴァンにも腹が立っていたのだ。
ロッセの教育方針はスパルタだと思っていたが……ドラヴァンの場合、色々雑過ぎてある意味ロッセ以上のスパルタのように思えた。
小さな雲のような烟獣達は、ドラヴァンには目もくれずエドレドに向かってくる。その動きは俊敏で、距離を空けた状態で目でやっと追える、と言った素早さだ。エドレドの振るう多節鞭の間を上手くかい潜って近付こうとしてきている。
黒い状態の烟獣は物理干渉を受けないとは聞いていたが、まさか風を切る音も一切しないとは思わなかった。しかし無音という訳でもなく、恐らく烟獣特有のものであろう「ヴォムッ」というような……形容し難い音がその動きに伴っていた。
ヴォムッ……! ヴォムッ……! ヴォムッ……!
烟獣達はエドレドを取り囲み、隙を窺っているようだった。そして一瞬の隙を突いて、烟獣の一体がエドレドの脇腹を掠めていった。




