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【016】少年エドレドの闘病記 ◇

 ツェーレルクという町はザクゼン侯国の中心付近にあり、町の外れにはアルベド団の本部がある。

 そこには百人前後程の覚醒者がおり、その十倍はいるであろう黒化(ニグレド)病患者は幕壁(カーテンウォール)の外にある石造りの建物に収容されるようになっていた。その内部は大広間をカーテンで細かく仕切り、そこに患者一人一人のベッドが設置されている。

 黒化(ニグレド)病の進行速度は人によってまちまちだが、その致死率は変わらず九割以上と言われていた。殆どの者が、ここで死を待つしかなかった。

 ────だから、()()はごく当たり前の出来事なのだ。


「グ……! ウ……ウゥ…………!!」


 カーテンで仕切られた一室で、一人の少年が呻き声を上げた。病状は悪化し、黒化した腕からはじわじわと黒煙が立ち昇っている。

 まるで全身の細胞の一つ一つが自我を持ち、存在を主張して疼くようだった。気を抜いた一瞬で全て、自分の物ではなくなってしまいそうな錯覚さえ覚える。身体は内部から焼かれるように痛み、喉が潰されたような圧迫感によって、浅く短い呼吸を繰り返す。そして視界が狭まり意識は朦朧としていく。

 少年は自身の元に複数人のアルベド団員が集まっている事も、担架に乗せられ大広間から運び出された事も分からなかった。そのあまりの苦しさに喘ぐだけで、辺りに気を回すことは出来なかったのだ。

 しかしそんな中でただ一つ分かった事があった。


 ────俺も、死ぬ時が来たんだ……。


 そして少年は揺れる担架の上で、意識を手放した。






 ──────────






 それは数ヵ月前の事だ。少年は父と義兄と義兄の兄弟の、計五人でウルキの町の側の林を訪れていた。ウルキは元々林業が盛んな町である為、この町の近隣で暮らす人間なら度々訪れる場所だ。


 必要な木材を町へ運ぶ為黙々と作業をする五人だったが……それは突如として起こった。東の竜アードミラーロによる虚闇の放出だ。林を訪れていた五人はたちまち黒煙に取り囲まれ、皆はその黒煙の中を突っ切るようにして慌てて町まで帰ったのだった。

 そしてその夜、何故か少年だけが黒化(ニグレド)病を発病した。他の四人には黒化(ニグレド)病の兆候は全く見られなかったのにも関わらず、だ。

 少年は高熱と倦怠感、身体の痛みで動く事も儘ならなくなり、その腕の一部は黒ずんで黒煙がじわりと滲んでいた。


 黒化(ニグレド)病の疑いがある場合、アルベド団への報告義務がある。少年の父は枯れ森付近に建てられた、アルベド団東支部であるアードミラーロの観測基地を訪れた。そこには常駐する団員がおり、アルベド団本部との通信器によって本部へ連絡をする。

 因みにこの通信器と言うものが虚闇由来の道具らしく、覚醒者のみが使用出来る物らしい。どんな仕組みなのかは少年の父には分からなかったが、それはとても便利な連絡手段だった。要請を受けた本部の団員が、翌日が早朝には少年を迎えに来たのだから。


 黒化(ニグレド)病の致死率は高い。それに生き延びたとしてももうこの日常には戻れない。

 少年も少年の家族もそれは理解していた。しかしその別れはあまりに突然過ぎて、受け入れられるものではなかった。


「違うんです、この子は違うんです……!!」

 息子を奪われまいと必死に偽ろうとする母、サーナ。


「息子を、お願いします……」

 言葉少なながら、険しく真剣な目で団員を見ていた父、ベルロ。


「お母さん、落ち着いて。エドレドなら大丈夫だって。ね……?」

 取り乱す母を宥めようとする長女、アーシャ。その横に申し訳なさそうに佇む義兄、ギール。


「……ちゃんと帰って来ないと、許さないから」

 きつい言葉を吐きながら涙を流している次女、リュエン。


「何で!? 何でエドレドが……!!」

 現実を受け止められずただただ取り乱す三女、アルキミ。


 少年は家族に何か言葉を掛けたかったが、何も浮かんでこなかった。少年もまた現実を受け止められずにいたのだ。黒化(ニグレド)病の事を知っているからこそ、これが自分の身に降りかかった出来事という事にリアリティを感じなかった。


 しかし、感傷に浸る時間もないまま少年は家族と引き離された。そしてアルベド団員によって馬車に乗せられ、着いた場所はツェーレルクの外れだった。


 そこで少年は療養生活を送る事になった。

 一日二食の食事と、一日三回の検診を受ける。これらは全て無償ではあったものの、身体の調子が良い日でもベッドから動けない事、また患者同士の接触が禁止されている事は、そこで長い月日を過ごす上で酷く苦痛となった。外界から隔離されている為外部からの面会についても出来る訳もない。加えて周りから聞こえる末期患者の呻き声と、担ぎ出されたその患者が二度と戻らない事が堪らなく恐ろしく、まだ幼さの残る十四歳の少年の不安を煽り続けた。


 そんな日々の中、少年はよく自分の黒化部位である左腕を眺めていた。検診で患者の元を回る団員の会話を盗み聞く以外では、それ位しかする事が無かったのだ。

 少年の左腕は手の甲から二の腕の真ん中位までの範囲が斑に黒ずんでいた。これは患者の中ではそこそこ大きい方らしい。

 ……一概には言えないらしいが、黒化(ニグレド)病の進行が早いか否かというのはこの黒化部位の大きさである程度予測出来るのだという。黒化(ニグレド)病は空気感染ではあるが、内部からはもちろん体表からも感染する。……と言うか黒化(ニグレド)病は体表感染が殆どだ。どうやらこの黒化部位はその体表感染の証であり、その範囲の大きさが体内に入り込んだ虚闇の量の基準にもなっているという話だ。そして入り込んだ量が多ければ病状の進行速度も早いという事らしい。


 少年の場所とカーテンを挟んだ向こう側……前後左右の患者は、少年がここに運び込まれた日には既にそこにいた。彼らがどんな人で今どんな状態なのかは分からない。だが少年は自分の病状の進行速度は自覚していたし、彼らより先に()()であろうと覚悟していた。

 だがそんなものは不安や恐怖を押し黙らせる為の理屈でしかなかった。分かっていても……本心に向き合えば辛くなる事も分かっていたから、そうするしかなかったのだ。


 少年が覚悟していた未来は、数ヵ月後に現実となった。


 少年は黒化(ニグレド)病の末期症状によって苦しみ、呻き……揺れる担架の上で、どこか冷静に自分の措かれている状況を理解した。抱く希望を押し殺し、期待に心が潰されるのを恐れ、諦めるように努める。

 だが少年が意識を手放さんとした時、淡い期待にすがろうとする本心が心を支配していた。


 ────嫌だ……! まだ死にたくない!!




 ……少年が目を覚ましたのは石造りの小さな個室だった。そこには大広間でもよく見かけたアルベド団員複数人の他に、見知らぬ男の姿があった。


「よっ! 目ぇ覚めたか?」


 短髪でいかつい風貌の中年男性だ。少年が眠っていたベッド横の椅子に掛け、少年が目覚めるのを待っていたようだ。


「……俺……生き…て…る……?」


 少年は自分の身に何が起こったかも分からなかった。久々に発した声がたどたどしく言葉を綴る。

 そんな様子を見た横の男はその顔をくしゃりとさせて笑い、椅子から立ち上がるとベッドの上の少年の頭を撫でた。


「エドレド・マウリック……って言ったな。おめでとう! お前さんは三六四番目のアルベド団公認覚醒者だ。しかも待望の武装覚醒者だぞ!」


 覚醒者……? 俺、生き残ったのか……?


 少年は未だぼんやりとした頭で何とか状況を整理しようとする。しかしこの中年男性、空気を読んでくれないのか、その思考を言葉で遮ってしまった。


「俺はドラヴァン・ボダン。お前さんが配属予定の第四班の班長だ。よろしくな!

 それから今後の事はそこのオネーチャンが教えてくれるからな! 早く一端の覚醒者になってくれよ!」


「は、配…属……!? どういう事……!」


 まあまあとドラヴァンと名乗る男に宥められ、促されるままに視線を部屋の奥へと向けた。

 ドラヴァンが指す先にはソファーに座る一人の女性の姿があった。艶やかな黒髪を揺らし顔を上げる。


挿絵(By みてみん)


 その女性は、何と言うか……田舎町で育った純朴な少年には刺激が強すぎる格好だった。

 豊満なボディラインをこれでもかと強調したようなドレスは、申し訳程度にしか肌を覆っていない。その女性が脚を組んで座ればその腿に目が行ってしまうし、立ち上がり此方に歩いて来れば重量感たっぷりに揺れる胸元に目が行ってしまう……。

 少年は俯いて目を逸らした。それは目のやり場に困った事もあるが、思わず赤面してしまったのを隠したいからでもあった。

 いくら死の淵から還ってきたばかりとは言え……まだ自身に何が起こったか理解しきれていない上、数ヵ月間録に異性を目にする事も無かった年頃の少年だ。この状況で平常心を装わせるなんてなかなか残酷にも思える。


「エドレド・マウリック。顔を上げなさい」


 名前を呼ばれ、少年は思わずギクリとした。()()()()()()()()()事を酷く後ろめたく思っていたし、それを怒られるような気がしたのだ。

 しかしそんな少年をよそに、その女性は両手を少年の頬に伸ばして無理矢理上を向かせた。


「あたくしは武装覚醒者教育班、ロッセ・クレンシャ。貴方のような覚醒者達が一人前になるまでの間の教育を担当していますわ。

 ────駄目ですわよ、マウリック。お話しの時は、ちゃあんと、あたくしの目を見て?」


 ロッセと名乗る女性は目を細め妖艶に微笑み、至近距離から少年を覗き込んでいた。それはまるで少年の反応を楽しんでいるようでもあった。


「────こらこら、病み上がりのおチビ君をからかってやるもんじゃないよ」


 それを横で見ていたドラヴァンが苦笑いを浮かべ、やっと助けに入る。だがその頃には少年は真っ赤な顔から冷や汗が出る程追い込まれてしまっていた。

 少年はどうせならもっと早く声をかけてくれれば良かったのにとドラヴァンを睨みたくなったが、それよりも兎に角恥ずかしくて膝を抱え小さくなった。


 少年……もとい、エドレド・マウリックは、この日よりアルベド団の武装覚醒者となった。

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