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【014】悪夢

 



  "僕" は闇の中に一人佇んでいた。


 そこに真っ赤な口紅をした女が浮かび上がる。

 縦に巻かれた栗色の髪にはきらびやかな金の髪飾り、首元には大振りの宝石をあしらったネックレスを下げ、胸元が大きく開いたロココスタイルのドレスを着用している。


「ああ、男の子を産めて本当に良かったわ。良く聞きなさい、アシュタル。あなたはいずれこの国の君主になるの。私達が豊かでいる為に使えるものがあるのなら何でも使うのよ。これではまだ足りないわ。足りないの」


 高飛車な口調でそう言った女は "僕" の頭を撫で満足げに微笑んだ。

  "僕" はその顔が嫌いだった。


 ……嫌いだった?


「あなたのせいよ、アシュタル。私が愛されないのも、私が殺されなきゃいけなかったのも、あなたがいけないの」


 女は真っ赤な紅で縁取られた唇から、より真っ赤な血をゴボゴボと音を立てて滴らせた。


「あなたがいけないの。あなたが足りないから。あなたが愛されないから」


 僕に力が足りないから。だから僕は愛されない。

 幼い心が素直に言葉を受け入れて、幼い "僕" が泣いていた。


 流れ出る血と共に女の姿も次第に闇へ溶けていく。

 すると今度は遠くから複数の人間がヒソヒソと話す声が耳へと届いた。


「夫人の息子なんて、死んでしまえばいいのに」

「母親そっくりのあの子の顔。不愉快だわ」

「特にあの目元なんてまるで生き写しだものね」


 止めろ…… "僕" にあの母親の姿を重ねるな……!!


 不愉快な声が "僕" を追いかけてくる。どこに隠れていても、見えない振りをしては追いやろうとする。

 だが誰かの温かな手が "僕" の耳を覆い、それらの言葉の矢を遮った。


「……止めて。この子はヤンネ様と関係無いでしょう」


 それは青髪の女だった。凛とした顔立ちでこちらを見下ろし、優しく、でも悲しく微笑む。


  "僕" はこの(ひと)が好きだった。

 ……好き、だった?


「貴方は何も悪く無いの」


 青髪の女は涙を流してこちらを見ている。


 そうだ、 確かに僕はこの(ひと)が好きだった。

 この(ひと)の側にいれば、……父上が会いに来てくれたから。


 やがて複数人の言葉の矢は、青髪の女へと向いた。


「その子が苦しむのも貴女のせいじゃない」

「使用人の分際で侯爵の子を孕むなんて。愛人風情が正妻気取り?」

「侯世子様に付け入ろうとするなんて、何で浅ましい女なの」


 不意に、"僕" の耳を覆っていた青髪の女の手が離れる。

 女は生気の無い顔でだらりと立ち尽くしていた。その背後から吹く風で髪が、服が、はたはたとなびいている。


「悪いのは私。穢らわしいのは私。

 ……そして、貴方に消えてほしいと思っていたのは、私」


 青髪の女は力無く後ろへと倒れ、そのままどこまでも落下していく。

 やがてグシャリ、という大きな音が足元で響く。音の方を見るとそこには青髪の女の無惨な亡骸が落ちていた。


 それに気付いたと同時に、誰かが "僕" の頬を思い切り殴った。

 それは "僕" が敬愛して止まない男。"僕" と同じ髪の色をした、 "僕" と少しだけ顔立ちの似た男。

 だがその男は悲痛な面持ちでひたすら "僕" を殴りつけてきた。


「何故彼女が死ななければならない! お前さえいなければ! お前さえ……!!」


 父上……! 僕はただ、貴方に認めてもらいたくて……!!


 だが男は手を止めない。身体は何も感じないのに絶望に支配された心があまりの痛みに悲鳴をあげる。

 いつの間にか男の後ろには更に二人の少年が立っていた。自分より少しだけ幼い顔をしたその二人は、青髪の女によく似ている。


「よくも母を死なせてくれたな」

「死ね。邪魔者」


 二人の少年がこちらに石を投げ付ける。敬愛する男の影で、二人の少年がニヤニヤとこちらを見下ろしていた。


 ────もういい。もう生きたくない。誰からも必要とされず、愛されず、生きる意味もないのだから……死なせてくれてもいいだろう……?



「アシュタル」


 その時、不意に手を引かれた。小さな手が "僕" の手を掴み、そのまま強引に引いて少年達の元から離していく。

 くすんだ紫色の長い髪に大振りのリボン。ふわふわのワンピースを着た少女だ。

 振り向いた少女は柔らかく微笑んだ。


「……好きだよ、アシュタル。貴方の事が好き」


 そして二つの唇が初めて重なった。

 それは闇に灯された光のように、生きる意味を温かに "僕" へと与えてくれた。


「二人だけの秘密だからね……」


 顔を離し得意気に笑う少女につられ、"僕" も少しだけ頬が弛んだ。

 少女は両手を伸ばし "僕" の頬に触れる。その温かな感触と柔らかな温度によって、この闇から抜け出せる気がした。

 だが少女の姿はどんどんと霞んでいく。


 ────メルアン! 待って……!!


 しかし霞行く少女はやがて消え、伸ばした腕は届かなかった。

 その代わりに細く長い指をした手が頬へ伸びてくる。……目の前にいるのは少女ではなく、見知らぬ大人の女だった。


 ────誰……だ……?


 しかし女はこちらを向いたまま応えない。

 その細い指先がこちらへ伸びると……愛しげに首筋を撫で、はだけた胸元を這い、手の甲を滑らせてやがて頬に戻ってくるとその親指で唇をなぞる。

 ぼやけた視界の正面で女は妖艶に微笑む。


「ああ……何て美しくて、そして哀れな子。今だけは全て忘れていいの。貴方は私のもの。私も貴方のものなんだから」


 女は強引に重ねてきた唇から内部を犯すと、貪るように食んでいく。


  "僕" は何故、拒まなかった? 拒めなかった? それとも "僕" は受け入れてしまったのか?

 ぼんやりとする頭と妙に重い身体が「これは夢だ」と諦めを誘う。だが唇を重ねられる度に大切な想い出は傷付いて、その痛みが縛りきれなかった心に訴える。「これは現実だ」と。

 だがどちらを受け入れても "僕" には地獄でしかなかった。

 一方的な行為の中、やがて心も身体もその芯から凍てついていった。現実から目を背ける代わりに嫌悪と憎悪が "僕" の心を支配していく。


 ────気持ち悪い……


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!


 それは女に対してもだが、自身に対しても強く感じる嫌悪感だった。

 憎しみが募れば募るほどにこの身体が力を帯び、その目からは涙の代わりにじわじわと黒煙が溢れた。


 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!!


 そう唱えるほどにどんどん力が湧いてくる。そして嬌声を上げながら()で腰を振る女を押し倒し、その首を絞めた。

  "僕" が誰かに支配されるなんて、冗談ではない。心も身体も、貴様なんかにくれてやるつもりはない。

 メキメキと音を立て潰れていく首。だが女は恍惚の表情のまま見上げてくるだけだ。

 やがてブチンという音を最後に女の首は胴から離れる。その首からは血ではなく、ねっとりとした黒い液体が吹き出す。その液体が返り血代わりに "僕" の身体を染める。


 ……いつの間にか、 "僕" の手には一本の大剣が握られていた。血のように真っ赤な色をした大剣だ。

 それに気付いた直後、殺したはずの女の声がすぐ後ろから話しかけてくる。


「お父様を悲しませたくないでしょう? 私達の事は、()()()()()()()ですからね」


 ────止めろ!! "()()()()" と同じ言葉をその口から吐くな!!


 手に持った大剣で女を斬り捨てると、女の身体は黒煙となって闇へかき消える。

 だがまた別の場所にゆらりと現れた。


「ただ口を閉じればいいの。そうすれば誰も傷付かない」


 再度女を斬り捨てる。今度は一瞬の躊躇いもなく。

 だが女は先程と同様に闇へかき消え、また現れる。


「愛しているわ」

「お父様の顔に泥を塗りたくはないでしょう……?」

「逆らえないはずよ。だって私は貴方の───」


 ────喋るな! 汚い汚い汚い汚い汚い!!

 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!!


 女が現れる度大剣で斬り捨てる。

 その度に力は増し、 "僕" の中の憎悪も大きくなっていくように思えた。


 しばらくして少し離れたところにまたもあの女が現れる。だが今までとは様子が違った。

 女ではなく母の顔をしていた。


「私、子供が出来たのよ。だからもう何もかもこれで終わり。

貴方も十分楽しんだでしょう……? これで終わりよ。これで、全部」


 女はナイフを片手に飛び掛かってきた。 "僕" もまた大剣を構え、女の中心を貫くべく腕を伸ばす。

 ……だがその大剣は、女を貫く前に別のものを貫いていた。

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