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【013】夕暮れの町

 部屋の西側に位置する漆喰の壁は窓の木枠で四角くくり貫かれ、開け放たれた窓の向こうからはオレンジ色の夕陽が射している。


 ────ここは、ウルキの町の宿だ。

 あの後アシュタル、ツォイス、ジャンタ、ロデは枯れ森を無事脱出し、何とかこの町まで帰る事が出来た。しかしその道中でアシュタルの意識は完全に途絶え、今は宿の一室で横になっている。アシュタルの容態を考えると直ぐにでも馬車を出し、アルベド団本部のあるツェーレルクという町に向かいたいのだが……日没も近い為馬車は出せないと判断し、今日はこの宿に泊まる運びとなったのだ。


「ふーーーーー……」


 ツォイスは窓辺のソファーに掛けていた。肺の中をたっぷりのタバコの煙で満たし、味わうように溜めてからゆっくりと鼻から吐く。漂う紫煙は白い烟獣の様にも見えた。

 窓の外から聞こえる人々の声には、穏やかでない言葉が入り交じっていた。枯れ森から戻ってきた際アシュタルは殆ど意識を失っていたが、それを見た町の人々が「アルベド団の団員では?」「何かあったのでは?」と噂しているのだ。

 しかし、枯れ森で起きた一連の出来事があまりに衝撃的な事ばかりで、それらの噂話はツォイスの耳を右から左へ通り過ぎるだけだった。窓辺に肘を付いてもう一度タバコを吸い、大きく吐いた。


「……ツォイス殿、タバコを吸われるんでしたら自室に戻って頂けますか?」


 そう声をかけたのはロデだった。ゆったりとしたベッドに苦し気に横たわるアシュタルの側で、その汗を拭いながらツォイスの方を見ていた。その横の椅子には額や腕に包帯を巻かれたジャンタが座っており、アシュタルの方を向いてはいるもののこっくりこっくりと舟を漕いでいる。

 ツォイスはロデをチラリと見た後もう一度だけタバコに口を付け、じっくりと味わってからその火を消した。


「アシュタル君の具合は? 相変わらず?」


「ええ。……ですが、峠は越えたように思います。あの……ツォイス殿、アシュタル様の今の状態は…本当に虚闇とは関係の無い事なのですか?」


 ロデの言葉が指しているのは、この宿に着いた直後、ツォイスの覚醒具でアシュタルの解析をした際の内容についてだ。

 その解析結果を見る限りでは侵蝕率はほぼ通常通りの数値になり、数値の変動もだいぶ落ち着いていた。誘導侵蝕による反動も数値としては見られなかった。……だが、事実今もアシュタルの体調は芳しくない。

 ツォイスは意見を求めるようにジャンタをチラリと見た。だが椅子に掛けていたジャンタはすっかり眠ってしまっており、ツォイスはアシュタルへ視線を戻した。


「まぁ、関係無いとは言い切れねぇんだろうけど……現時点では、何とも言えねえな」


 一度ルジルファを介した虚闇がアシュタルに悪影響を及ぼしているのか、はたまたこの()()()()()()の影響か……それについては解析だけでは何とも言えず、歯切れの悪い言葉しか出てこなかった。


「明日の日の入りの頃にはツェーレルクに向けて馬車を出したいと思っています。……アルベド団本部の医療班なら、アシュタル様の容態について何か分かるかもしれませんからね」


 ロデはそう言ってツォイスから目を逸らした。アルベド団の医療班について触れたことで、ツォイスがどういう反応をするか目に見えていたのだ。

 そして案の定ツォイスは呆れたような顔で溜め息を吐いた。


「……藁にもすがる思い、ってか? 無駄無駄。医療班っつーのは治りもしない黒化(ニグレド)病患者を看てる奴らだぜ? その上あいつらは俺ら研究班の傀儡みたいなモンだ。治療と称して人体実験めいた事だってする」

「……ですが」

「っつーか、黒化(ニグレド)病患者から如何にして覚醒者を生み出すかってのがアルベド団の今の本質だろ? アルベド団のレーヴァン総長っつーのも非覚醒者で現場の事をどこまで分かってるのか……。ザクゼン侯直々に長に任命されたってだけだからな、どうせ覚醒者を増やして育てて四柱の烟獣供にぶつけて……それで成果が出ればラッキー、位にしか思ってねぇよ。

 いくらアシュタル君が覚醒者として優れていようが立場があろうが、ザクゼン侯がアシュタル君をアルベド団に差し出してる以上、特別扱いも期待出来ねぇしな」


「………………」


 ツォイスが間髪入れずそう話すと、ロデは苦々しげな表情で黙りこくった。


「ってかよ、何でアシュタル君ってザクゼン侯に邪険にされてんの? 一人息子だろ?」


「……それを聞いて、アシュタル様に対して何かして差し上げられる事はありますか?」


 ロデに他意は無かったが、ツォイスにはそれが反抗的な言葉に聞こえたようだった。それに気付いたロデは慌てたように目を伏せる。


「申し訳ありません。ですが……気を悪くなさらないでください。長年共にしてきた私ですら、アシュタル様に何もして差し上げられないのですから…………第三者にアシュタル様の事を悪戯にお話ししたくはないんですよ」


「…………聞くなら本人に聞けってか?」


 それは無理だろ、とジト目を向けるツォイスだが、ロデは困ったように笑い無言で応えた。


「だがよ、ロデ君。……確かにロデ君は非覚醒者だし対烟獣の戦術面では頼りねぇかもしんねーけどよ……今回の件は本当に助かったし、それに普段からアシュタル君の身の回りの事全般についてよくやってるじゃねぇか。謙遜にしたって『何もして差し上げられない』なんて言う事ねぇだろ」


「ふふふ……ありがとうございます。まさかツォイス殿に慰めていただけるとは思っていませんでした」


 そう言ってロデは唯一露出している目元だけで柔らかく笑った。

 それから「……何もして差し上げられないどころか、アシュタル様を苦しめる要因の一つとなってしまいましたが」と独りごちたが、それはツォイスには聞き取れず、ロデもまた言葉を反復する事はなかった。


「それにしても……あの枯れ森の件で問題が山積みになったな。俺は予言の書にあった "名無しの子供" さえ手に入れば烟獣の事も黒化(ニグレド)病の事も全て解決出来るんじゃねぇかと思ってたんだがなぁ。そんなに甘くは無かったか」


「……この名無し君についても、アードミラーロの異変についても、枯れ森での怪異についても……謎が謎を呼ぶ結果となってしまいましたね」


 そう言いながら、ロデは椅子に座ったまま眠っているジャンタに毛布を掛けてやった。森で出会った際のままの、ぼろぼろの衣服は薄く皮膚の露出も多い。だが、その体温は幼子の様に温かだった。


「この子、見た目以上に幼く感じますね。何者なんでしょう。この衣類も見かけない繊維で編まれているようですし」


「ああ……俺はルジルファに取り憑かれた記憶喪失の子供だと思ってたんだが。名無し君曰く『ルジルファでも川辺の子供(し た い)の方でもない』って話だったからな」


「つまり、ルジルファが川辺の子供に取り憑いた事で生まれた第三の存在、と言う事ですか?」


「……そうだな。そしてこの第三の存在…… "ジャンタ" ってのがこの予言の書にとってイレギュラーなものであるとしたら、 "名無しの子供" ってのはあの川辺の子供の身体を依り代として復活した、ルジルファの事を指していたのかもしれねぇ」


 そこまで言葉を並べた後、その内容の恐ろしさにツォイスは身震いした。

 ルジルファはこのザクゼン侯国を中心に知られている "小国の英雄物語" に登場する悪魔の名だ。そして虚闇の始源であり、その虚闇で構成される四柱の烟獣もまたルジルファの力の一部であり、それら虚闇を統べる者なのだ。

 あの物語が事実なら、ルジルファは英雄とされた王を恨んでいるだろう。だが、人間であるその王が現存している筈もない。それ故その憎悪の矛先が、小国の民の子孫であろうこのザクゼン近隣の人々に向けられてもおかしくはない。

 もし "名無しの子供" が "復活したルジルファ" の事を指していたとしたら……虚闇を力の源とする覚醒者では、ルジルファ相手に手も足も出ない可能性が高い。そもそも漆黒の子供の姿をしていた時も、アシュタルは遊ばれていただけなのかもしれない。


「……死ななくて良かったわ……」


 枯れ森での事を思い出しツォイスは思わずそう呟いていたが、ロデも同じ事を考えていたようで、ツォイスの言葉に同調するように無言のまま目を伏せた。


「そう言えば名無し君は『どちらかが出てきたらおれは消える』とも言ってたんだが……こりゃ消えてもらう訳にはいかねぇな。今後はルジルファの事に加えて川辺の子供についても調べる必要があるかもな」


 ツォイスはおもむろに立ち上がり、ジャンタの側へ歩み寄った。そしてジャンタが纏う衣服をまじまじと見る。


「随分太い糸で編み上げられてるな。素材は何だ……? この布の出所も調べないとな。それからこの衣類とは不釣り合いなピアス。新しい物では無さそうだが、それ程古くもない。これも川辺の子供の事を調べるにあたって重要なアイテムになりそうだ」


「……この子の事は、アルベド団にどう報告するつもりですか」


 ジャンタの側に立っていたロデが、ジャンタを見下ろしながら訊ねた。ツォイスはその問いに即答出来ず、無精髭の生えた顎に手をあてて少し考え込む。


「そこなんだよなぁ。俺はこいつをアルベド団にくれてやるつもりは無いんだ」


 ややあって口を開いたツォイスだが、その言葉は歯切れが悪い。しかしツォイスはそのまま言葉を続けた。


「アルベド団本部内にも俺用の研究室はあるんだが……お上の息のかかった研究班員については俺は信用してねーんだ。だから重要な物は全部ツェーレルクからは離れた別の場所に置いてある。俺としてはこの名無し君は()()()に置いておきたいんだが……アシュタル君がこの調子だからなぁ。そうなると俺らは別行動って事になっちまうな」


 そう言って頭をバリバリと掻いたツォイスは、アシュタルが横たわるベッドの端にドカッと掛けた。ロデに睨まれた気がしたのでそちらの方は見ず、肘をついて俯き溜め息をもらす。

 少し間をおいて、先に口を開いたのはロデだった。


「……ツォイス殿、そんな秘密の場所の存在を私に打ち明けて良かったのですか?」


「……あ? そうだな、俺らはこの "名無しの子供" についての秘密も共有してる訳だしよ、ここまで来たら信用するしかないだろ?」


「……そうですか。でも私はツォイス殿の事はあまり信用していないのですが」


 ロデの正直な返答に対しツォイスは「ぶひゃひゃっ」と笑っていた。


「ひっひっひっ……まあそうだな。俺の事は利用する位の気持ちでいてくれて構わねえ。俺もアシュタル君を利用しているに過ぎねぇからな。ま、お互い()()は一致してるだろ? 情報を共有し必要な時に協力するっつうか……同盟を組むって事で一つよろしく頼むわ」


「……ええ、よろしくお願いいたします」


 ロデがそう応える頃には、既に陽はとっぷりと暮れていた。

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