【011】■■■■■■は、誰?
「あ? 何に見つかったって……?」
そう問おうとしたツォイスだったが、言葉は途中で途切れた。ジャンタが見つめる先で枝葉が大きく揺れたのだ。
しかし茂みはガサガサと音を立てるものの、そこに潜む何者かの姿を捉えることは出来ない。だがそれは確実に近付いて来ているようだった。
その気配を感じ、ツォイスはジャンタが言っていた事を思い出した。
「お、おい、まさか……」
アードミラーロの件でその存在をすっかり忘れていたが……逃走時、ジャンタはもう一つの気配の接近を伝えていた。どうやらこの気配はその "何か" らしい。
アシュタルは苦しそうに呼吸をしながらも辺りの物音に耳をそばだてた。そして忌々しそうに呟く。
「チッ……囲まれたな」
「へっ!?」
ツォイスは情けない声を出し慌てて立ち上がった。
辺りを見回すと至る方向で茂みが不自然に揺れている。何者かがこちらの様子を窺っているようだった。
「うわぁ……こんなにいっぱいに囲まれてるのにサツイしか感じないや!」
「殺意!?」
ジャンタが能天気に恐ろしい事を言っている。まるでツォイスの恐怖心を煽っているようだ。……勿論本人は無自覚だが。
その一言がだめ押しになったようで、ツォイスは物音がする度「ヒッ」と声をあげ身体を強張らせている。
「おいおいおいおい……今度は何だってんだよ……! お前! 何とかしてくれよ……!!」
そう言いながらツォイスはジャンタの両肩を掴んでガクガクと揺らした。ジャンタに話しかけているものの、その視線は物音の先へと向けられている。よっぽど怖いらしい。
肩ガクガクが落ち着いたところでジャンタはツォイスを見上げ、首を傾げた。
「………おれ?」
「そう! お前!!」
やっとジャンタの方を向いたツォイスはその両手でジャンタの両肩をバシバシと叩いた。……何やら覚えのあるやり取りだが、当の本人達が気に留める様子はない。
「いいか! 俺とアシュタル君は今ロクに動けない! 元気なのはお前だけ! よってあの得体のしれない奴らの相手を出来るのはお前だけ! ってことでその敵意剥き出しの "何か" を追っ払ってこい!」
大の大人が頭から血を流している子供に助けを求めている姿はなんとも滑稽だ。だが息も絶え絶えのアシュタルを除くと、それに突っ込める人物は残念ながらいないようだ。
「んんん……そっか。じゃあ頑張る」
「よしよし! 偉いぞー」
そう言ってツォイスはジャンタの背中をポンポンと叩いた。まるで犬の相手でもしているようなツォイスだ。
ジャンタは額の血をガシガシと拭い、身構えた。出血は既に止まっていたようだ。血はそれ以上滴って来ることはなかった。
しかしジャンタが踏み出す前に、茂みに潜む何者かが動いた。
『オ前達、何者ダ』
茂みの奥から声がした。その言葉遣いは辿々しく、声は随分と幼く聞こえる。
茂みから不意に声をかけられ、ジャンタ達は声の方を向いた。……と、同時に……。
『オ前達何者ダ』
『オ前達何シニ来タ』
『怪シイ奴ラ』
『何者ダ』
『オ前達怪シイ』
至る方向の茂みから次々と声が聞こえた。どれも皆幼い声だ。何でも良いから何か言いたいといった様子で、後半の方は皆で同じ言葉を繰り返していた。
『何者ダ』
『何者ダ』
『何者ダ』
『何者ダ』
『何者ダ』
『何者ダ』
『何者ダ』
姿は見せないくせにとにかくザワザワとうるさい。そしてしつこい。
「うーーるさーーーーーーーい!!!」
ジャンタの大声によってその声がピタリと止まり、代わりにジャンタの大声が山彦になって返ってきた。
と言うか、大声にも程がある。まだ動けるツォイスは耳を覆う事が出来たものの、アシュタルに至ってはそれをモロに食らってしまったようだ。頭に響いたのか、思い切り眉間に皺を寄せて頭を抱えている。
「五月蝿いのは貴様だ……」
アシュタルが忌々しげに呟いていたが、ジャンタは自分の事を言われていると気付いていないようだ。ツォイスはそんなアシュタルに同情したものの、アシュタルの怒りの矛先が自分に向きそうなので言葉にはしなかった。
ジャンタは更に続ける。
「お前らこそ誰だー! 出てこないなら捕まえてやるからなー! 臆病者ー! ばーかあーほまーぬけー!!」
「……って煽るな!!」
すかさずツォイスがジャンタの頭にチョップをお見舞いした。それがちょうど傷口付近だったらしい。
「いたああああああ!!!」
「このアホタレ! こんな状況で煽るやつがあるかっつーの!」
だが時既に遅し。茂みに潜む何者か達はジャンタの挑発により怒って飛び出してきた。
『誰ガばかダー!』
『誰ガあほダー!』
『キャイン! 放シテ!』
『エッ? アッ! 誰ガまぬけダー!』
『……ダ、誰ガチンドン屋ダー!』
『……エート、誰ガ……エート…………ダーッ!』
『……ダーッ!』
それは数頭の野犬……ではなく狼のようだった。それぞれ何か叫びながら飛び出してきたが、この際その内容はどうでもいい。
「クソッ……アシュタル君! 護身用の……あるか!?」
ツォイスがアシュタルの方を向くと、アシュタルは既にそれを手にしていた。小型のリボルバー式拳銃だ。それは森に入る際に、アシュタルの従者であるロデに持たされたものだった。
アシュタルは拳銃を構えているが、ツォイスはそこに横から手を伸ばした。銃はロクに撃てないが、今のアシュタルよりはましだと思ったのだ。
「代わるぜ!」
だがアシュタルがツォイスにそれを渡す気配はない。息も絶え絶えながら、自身に向かってくる狼の方へ一発発砲する。
ダンッ!!
銃弾と発砲音に狼達がたじろく。だがアシュタルは追撃の手を緩めない。そのまま二発三発と発砲する。
「フン……ゴットハルト、貴様の身は貴様で守れ。……貴様の保身の為の恩義なら、返すつもりは、ない」
「ええ……! おいおいおい!」
アシュタルに冷たくあしらわれ慌てるツォイスだったが、アシュタルの銃撃によりツォイスに被害が及ぶことはなかった。
アシュタルは口ではそう言いつつも、恩義を返す形となっていた。
「おりゃーっ!!」
ジャンタもジャンタで文字通り、狼達を蹴散らしていた。本来であれば複数の狼相手に拳銃一つでは対抗できたものではないが、それが叶うのもジャンタの活躍によるものだ。
あっという間の出来事だった。三人の周りにはすっかり伸びた狼達がコテンと倒れ、辺りは静かになる。
落ち着きを取り戻したツォイスがそれらを見やると、狼らはまだ子供のようだった。毛色も様々で、青やら赤やら色とりどりの狼が入り交じっている。
ツォイスは何だこいつら……と言いかけて、そもそもの異変にやっと気付いた。
「───ん? あいつら喋ってなかったか……?」
色々な事がありすぎて常識が麻痺していた。狼が人間の言葉を喋る訳がない。当然の事だ。
しかしその "当然" を当然のように破壊してくるのがジャンタだ。
「?? 狼男は喋るよ?」
「は? 俺は今狼の話をだな……」
しかしその会話はアシュタルによって遮られた。
「貴様ら……あの奥だ……!」
ジャンタとツォイスはアシュタルが言葉短に指した方向を向いた。
それは木が生い茂り薄暗くなっている場所だ。僅かな木漏れ日が、そこにいる何かの輪郭を映し出す。
『放シテー! 放シテー!』
その場所から狼の内の一匹の声がした。そう言えば一斉に飛び掛かって来た際、一匹だけ謎の悲鳴をあげていた事を思い出す。
『放シテヨー……キューン……』
その狼を捕らえている何者かが、ゆっくりとこちらに向かってくる。どうやら人間のようだ。狼を胸に抱えているのか、首の辺りから胸元にかけて、フサフサの塊がパタパタと暴れている。
それはひたりひたりと歩き、木陰を抜け、ついにその姿を現した。
────それはミイラだった。しかもその口には件の狼を咥えている。狼は子供とは言えその体格から十キロはあるだろうが、それが暴れているにも関わらずまるで動じる気配はない。
ミイラと言っても包帯グルグル巻きの類いではなく、素肌に衣服を纏ったミイラだ。その衣服は白を基調としておりどこかたおやかな印象を持たせる。まあ、ミイラ相手にたおやかも何も無いのだが。
「すごい! ミイラだ!! おれ、初めて見た!!」
「………いやいやいや! ミイラは歩かねえよ!」
ジャンタが初ミイラに感動しているようだが、何とか正気を保ったツォイスがそれに突っ込んだ。突っ込みながら自分に言い聞かせている、と言った方が正しいかもしれないが。
ミイラは途中で立ち止まると、ペッと唾を吐くように狼の子供を放した。
狼はその足元でコロンと転がり、尻尾を巻いてそそくさと離れた。そしてジャンタ達の周囲でまだ伸びている仲間の狼達をつついて起こし、その仲間と共にまたミイラの方へと駆けていった。
ミイラと狼は敵対している訳では無いようだ。
狼達が自身の後ろに回ったことを確認すると、ミイラが口を開いた。
「■■■■■■……は、誰?」
ミイラの言葉は殆ど聞き取れなかった。
その声色までは枯れていないのか、普通の男性の声だった。……しかも、どちらかと言えば爽やか系だ。
「■■■■■■は、誰?」
ミイラは同じ言葉を繰り返すが、やはり聞き取れない。
ジャンタらがその問いに応えずにいると、ミイラはカクン、と首を傾げた。
「■■■■■■じゃなかったみたいだね。まあいいや。獣臭い血にも嫌気がさしていたし、ちょうどよかった。……そろそろ人間の血が飲みたいなぁ」
『ヒ、ヒドイ……ボクノ血ヲ散々飲ンデタクセニ……』
ミイラの後ろでは先程まで咥えられていた狼が項垂れており、噛まれていた首元を仲間の狼が舐めて慰めている。
「喋る狼の次は吸血ミイラかよ!? どうなってんだこの森はよぉ!」
そう叫ぶツォイスはさり気無く回り込み、ジャンタの後ろに隠れた。
「俺は不味いからな! タバコもふかすし酒も飲む! 陽の下には滅多に出ねえし毎日薬漬けだ! 俺は不健康そのものだからな!! 分かったな!!」
ジャンタの陰に隠れながらも必死のツォイスだ。
ミイラはにっこりと笑った。
「この際誰でもいいよ。狼達よりはましだからね。ふふっ……じゃあ不味い方から順にもらおうかなぁ……」
「は!?」
するとミイラの姿が一変した。その腕、その脚……身体全体に血液が廻りだしたのが見てとれた。血管はドクンドクンと脈打ち、その肉はメキメキと張りを取り戻す。
やがて、ミイラは巨漢の筋肉ダルマに変貌していた。
「────ゴットハルト!!」
それはアシュタルがツォイスに警告を促そうとした瞬間だった。
ミイラ……もとい、筋肉男がツォイス目掛けて走り出す。咄嗟にしゃがむツォイスだが、それで回避出来る程生易しい相手ではなかった。
「ぐわっ!!」
その身体に激しい衝撃が走り、筋肉男に腕を掴まれたのが分かった。
だが、どうやら噛まれた気配は無い。ツォイスは恐る恐る目を開けた。
「…………!」
ツォイスと筋肉男の間には、ジャンタが割って入っていた。どうやらツォイスを守ろうとしたようで、筋肉男を押し退けようと必死だ。
それにしてもこの筋肉男、あのジャンタと同等の力とは恐ろしい限りだ。
しかしその緊迫した空気の中で、筋肉男はにっこりと笑った。
「……ちょうど良かった。君が一番捕まえにくそうだったからね」
「ぐううううっ……!! うう?」
筋肉男はジャンタの手首を掴むと…………そのまま齧りついた。




