【008】東の竜・アードミラーロ眷属烟獣
アードミラーロから流れ出た小型の烟獣は、ジャンタ達の方へと徐々に近付いてきていた。
烟獣が虚闇を拡散する際に、虚闇が小型の烟獣と化したという事例は無い訳では無かった。だが今までは虚闇を拡散する際に偶然生まれた産物であり、今回のような、烟獣を生み出す為の虚闇の放出と言うのは前例の無い話だった。
モニターにはそれらの小型烟獣のデータが新たに表示されており、ツォイスはそれを眉間にシワを寄せて確認していた。
アードミラーロ眷属烟獣 3体
虚闇総量 A 6,029
B 226
C 428
虚闇濃度 12~23%
烟獣全長 A 6.5M
B 0.8M
C 2.7M
侵蝕干渉域 0.00M
移動速度 6~12KM/H
到達予測 A 10MIN
B 18MIN
C 20MIN
「おいおいおいおい冗談じゃねぇよ! 一体何が起こってるんだよ……!!」
そう言ってツォイスは頭をバリバリと掻き、アシュタルへと視線を向けた。アシュタルは目線こそ合わせなかったが、それを感じてか、小さく溜め息を吐いた。
「フン……この怪異の始まりは…名無しの、貴様が全ての……元凶ではないのか?」
アシュタルは途切れ途切れに言葉を発し、ジャンタを睨んだ。
「…………だから名無しじゃないってば!」
ジャンタがムッとした顔で噛みつくも、アシュタルが応える事は無かった。
アシュタルは時折苦し気に呻きながら、その度に呼吸を整え平静を保とうとしている。この症状がツォイスの言った通り、ルジルファによる侵蝕率の急激な低下と不安定さから来るものであれば、黒化病の、しかもかなり重度の患者と同じような状態にあると言える。それでもアシュタルは冷たい瞳に光を宿し、静かにジャンタを睨んだ。
「貴様が目覚めてから、色々な事が、起こりすぎている……! 何者かの気配が…迫っていると言ったが、追われているのは…貴様ではないのか……? この、アードミラーロの眷属も、そうだ……」
「言われてみれば確かに……そう考えるのが自然だな」
アシュタルの意見に同意したのはツォイスだった。だがその表情は晴れないまま頭を抱えて唸る。
「……だがどうする? 森からは出られねえわ、アードミラーロの眷属烟獣が近付いてくるわ、他にも何か訳の分かんねぇのが追っかけてくるわ……なのにアシュタル君は動けねぇし、俺は闘える能力じゃねぇし、これじゃ八方塞がりじゃねぇか」
「ツォイス困ってる? おれも何か手伝う?」
「…………」
首を傾げたジャンタがツォイスを見ていたが、それに応えることなくツォイスは考え込んでいた。
……そして、思い付く。
「……お前がいるじゃねーか!」
「??」
ツォイスがパッと顔を上げた先で、ジャンタも不思議そうにツォイスを見ていた。
「おれ?」
「そう! お前!!」
ツォイスはテンション高くジャンタの両肩をバンバンと力いっぱい叩いた。
「お前は俺らと一緒に来るんだよな? それは即ちアルベド団に入団するって事だ、うん。って事でこれから俺が入団試験をしてやる。今この近くには烟獣っつー虚闇の怪物がいる。それをお前が倒すんだ! 闘えない俺らを守るんだぞ!」
「……! 力を生かすのか!!」
テンションの高いツォイスに続き、ジャンタもまた目を輝かせた。頬を高揚させ鼻息も荒い。
因みにツォイスには入団を許可するような立場には無いため、入団試験と言うのはそれとなくジャンタを釣るための口から出任せだ。そのやり取りの横でアシュタルが鼻で笑っていたが、ジャンタは気付いておらずやる気満々の様子だった。
「それで? うろやみのかいぶつ? えんじゅう? ってどんな奴だ?」
「……まあ聞け。いいか、烟獣ってのは虚闇の集合体だ。んでそいつを倒すには同じく虚闇の力が必要だ。
お前さっき "覚醒具" を作りたがってたよな? あれは虚闇で出来た武器とか道具の事だ。お前も覚醒者ではあるみたいだからな……恐らく覚醒具を作れる筈だ。やり方は教えてやるから先ずはお前の覚醒具を生成してみろ」
「かくせいぐを、せいせい?」
「おう。お前利き手はどっちだ……? まずは利き手の手のひらに意識を集中させろ」
ジャンタは両利きだった。とりあえず、両手をグーにして力んでみるも……まるで反応が無い。
「?? それで?」
「いや、『それで』じゃねえよ……普通ならこれで多少なりと反応がある筈なんだがなぁ」
ツォイスは溜め息を吐いて、ガシガシと頭を掻いた。
「……まあいい。気を取り直してもう一度だ! 早くしないと眷属烟獣がこっちに来ちまう」
「おう!!」
────しかし何度試しても覚醒具が生成される気配はない。ジャンタの返事だけは相変わらずいいのだが。
「……おっかしいねぇ。ちょっと解析してみるか……。よし、もう一度だ」
「まかせろ!!」
ツォイスは先程出したままのモニターを手のひらですくい、ジャンタの前に移動させた。そしてモニターの向こうに映るジャンタにタッチし解析を始める。
先程の簡易解析では何も分からなかった為、ツォイスはモニターの端から指をスライドさせてコードを描き、そこから更に別モニターに繋げた。そしてそのサブモニターを指先でタッチすると、メインモニターとは別の詳細データが表示された。
それは虚闇反応を可視化した解析図だ。例えば通常の覚醒者の場合、覚醒具を生成する際は全身にうっすらと黒煙を纏い、その手のひらと生成された覚醒具は真っ黒く反応する。
しかしジャンタの場合はそうではなかった。
「なんだ、これ……」
ツォイスの目に映ったのは、頭からつま先まで真っ黒なジャンタのデータだった。
簡易解析で表示されなかった各項目もそれぞれ数値として出ていたが、増減が激しく振り幅も広く、おおよその数値も定める事が出来ない。それ故先程は数値化出来なかったようだ。
だがツォイスは見たことのないデータに気をとられ、感知特化覚醒者でありながらそれの存在を忘れかけていた。
ツォイスがハッとして辺りを見回すと、数百メートル離れた先の木々の隙間に影が見えた。それは巨大な黒煙の塊にしか見えないのだが、風に流され散り散りになることも無い。それは一つの生き物のように固まりこちらへとゆっくり流れてくる。
「クソッ……来やがった!」
苦々しく呟くツォイスに反応し、ジャンタもまた顔を上げた。
「あれが、うろやみのかいぶつ? けんぞくえんじゅう?」
「……ああ、そうだ。あいつらには実体がない。だからこそ虚闇の武器……覚醒具が必要なんだ。
まあ逆も然りであいつらは実体があるものには直接的には触れられねえ。俺ら覚醒者と黒化病患者を除いてな。って言うのも……」
そう言ってツォイスはモニターをもう一つ生成し、それでアシュタルの状態の解析データを表示させた。モニター越しのアシュタルは身体の周りに黒煙が漂っているのが確認出来る。
「ま、黒化病患者を含む覚醒者ってのは、こんな感じで常に自らの虚闇から干渉を受けざるを得ないんだわ。故に烟獣からも物理的干渉を受ける。
……アシュタル君もお前も例えとしてはちょっと微妙な人選なんだがよ。覚醒者としては特殊な分類だからな」
ツォイスは今出したばかりのモニターを消しながら言葉を続ける。
「だがあいつらは黒化病の病原そのものとも言える訳で、虚闇の干渉を受けていない人間にとっても決して無害とは言えねぇ。患者が増えれば死者も増える、まあその分覚醒者もちょっとだけ増えるけどな」
「んんん……?」
困ったような顔で首を傾げるジャンタに対し、ツォイスはふぅ、と溜め息を吐いた。だがこの反応は予想がついていた為、ツォイスの表情ににそれほど悲壮感はない。
「兎に角だな……あのアードミラーロの眷属烟獣はお前を狙っている可能性がある。……ってかお前を狙っててくれねぇと俺とアシュタル君が困る。烟獣の相手を出来るような状態じゃねぇからな。
だからお前があいつらを引き付けて、全部ぶっ倒せ。それが出来たら合流だ。この森から抜けられるかは分かんねぇが……その前に烟獣にやられちゃ元も子もねぇからな」
ツォイスの言葉は暗にジャンタに囮になれという事を指していた。ジャンタのような研究材料を手放すのは惜しいが、命あっての物種だと、それが最善と判断したのだ。
だがツォイスはジャンタを囮にするとは言え、ジャンタに期待している気持ちもあった。あのルジルファが取り憑いた(?)人間の子供なら、何かやってくれそうな気がしたのだ。加えて言うと「多少離れたとしてもジャンタなら、動物の帰省本能的な何かでこちらに戻って来るだろう」とも思っていた。
「……分かった! そうすればアシュタルとツォイスが助かるんだな! おれ、頑張る!」
ジャンタはツォイス以上に事を安易に捉え、やる気満々に腕と脚をバタバタと屈伸させた。どうやらジャンタなりの準備運動らしい。
「よしよし、その意気だ。先ずその為にはお前に頑張ってもらわないといけねぇんだが……」
そう言ってツォイスはジャンタを見た。その手のひらにはほんの少しだけ黒煙が漂ってはいたものの、覚醒具の生成には至っていない。
先程の解析では表示されなかったが、ツォイスはジャンタがアシュタルと同じ武装覚醒者……即ち戦術に特化したタイプだと踏んでいた。それはジャンタのこのズバ抜けた身体能力が、武装覚醒者が必ず保持している "身体能力強化" というスキルに当てはまると考えていたからだった。
だが────。
「おいお前……! 武器はまだ出来ねえのか!? これは基礎中の基礎だぞ!」
焦るツォイスとは対照的に、ジャンタはまるで緊張感がない。ジャンタは黒煙が少しだけ出た手のひらをツォイスに向け、「見て見て!」などと満足げだ。
そんなジャンタに対しツォイスはまたチョップをお見舞いしてやった。
「アホタレ! その程度の虚闇で闘うくらいなら俺がこのモニターを投げつけてやった方がまだ可能性あるわ! ……ってうおおおおお……! やべえ!」
そんなやり取りをしているうちに、眷属烟獣は間近に迫っていた。ゆっくりと距離を詰めながら、その中心に黒煙が凝縮していく。
これは眷属烟獣三体の内の一体で、最も大きいもののようだ。
「……これ以上はもう無理だ! せめてお前はここで足留めにでもなってくれ! ────アシュタル君は立てるか? 肩は貸す、歩くぞ!」
ツォイスは自身の肩にアシュタルの腕を回させると、何とかそのまま立ち上がった。息も絶え絶えのアシュタルも、歩を進めようと何とか脚を動かす。しかしその歩みは遅く、やがて脚はもつれ、アシュタルはバランスを失う。それによってツォイスは膝から崩れ、支えを失ったアシュタルもまたぐしゃりと倒れ込んだ。
ツォイスが振り返ると、尚も両手に集中するジャンタの後ろから眷属烟獣が迫っていた。その大きな黒煙の塊の、さらに黒々とした中心が揺らめく。その揺らめきはだんだんと形を形成し、異形の姿へと変貌した。
ツォイスがその姿に一瞬たじろく。
「クソ……随分と気味の悪い形に化けやがって……!」
それは巨大な、漆黒の赤子の姿だった。黒煙の中からズルズルと出て来ると、地面を四つん這いで這って近付いてくる。
ツォイスは再度アシュタルを抱え直し、何とかその場を離れようとする。だが思うように進むことが出来ない。
やがて漆黒の赤子は立ち止まり、巨大なその手をツォイス目掛けて降り下ろした────。
…………ドン!!
激しい衝撃により、ツォイスとアシュタルは地面を転がった。しかしそれは漆黒の赤子によるものではなかったようだ。
「お、お前……!」
ツォイスらに向かって降り下ろされたはずの赤子の手元には、その手を両腕で支えるジャンタの姿があった。ジャンタが二人を突き飛ばし、庇ったのだ。
相変わらず覚醒具は生成されていない。だがその両手から僅かに出た黒煙によって、この眷属烟獣にしっかりと触れる事は出来るらしい。
「二人を助ければいいんだよな! おれ、力を生かすぞ!」
だが漆黒の赤子はジャンタを押し潰せないと感じたのか、その手を放す。そしてその直後、横に振り上げた手でジャンタを弾き飛ばした。
「わあっ!」
小さな悲鳴を残し、ジャンタはまるでオモチャのように飛ばされていった。その身体は数十メートル先の大木の幹に激突し、その衝撃で枝葉が大きく揺れる。
「─────っ! クソ!」
漆黒の赤子の意識がジャンタに向いている内に……逃げなくては。
ツォイスはアシュタルの腕を肩に掛け直し、再度逃走をはかろうと試みる。アシュタルが回復する様子も無かった為、殆ど引きずるような状態で歩き出した。
だが無情にも漆黒の赤子はツォイスらの方を向いた。遠くに吹っ飛んだジャンタより、近くでのろのろと歩くツォイスらの方が狙いやすいのだろう。
しかし、漆黒の赤子の手がツォイスらに伸びる事は無かった。
「とりゃー!!!」
またしてもジャンタが二人を庇ったようだ。二人に伸ばされた腕を、その懐に飛び込んだジャンタが弾き飛ばしていた。
そしてジャンタは少しだけ仰け反った漆黒の赤子を尻目にツォイスの方を向いた。
「ツォイス! 見て!!」
そう言ってジャンタは両手をツォイスに突き出した。どうやら覚醒具の生成に成功したようだ。
「な……なんだそりゃ……」
その虚器を見てツォイスは呆れてしまった。
それはアシュタルの覚醒具である大剣と同じ形をしていた。ジャンタの力はアシュタルから吸収されたものである故、それはまだ分からなくもない。問題はその大きさだ。同じものを両手に二本持っているが、その長さは手のひら程しかない。
……正直なところ、ツォイスにはジャンタが両手にフォークを持っているようにしか見えなかった。
「んん! いっくぞー!!」
呆れるツォイスをよそに、ジャンタはすっかりやる気になっていた。屈伸のような準備運動をしたかと思うと、ジャンタはそのまま漆黒の赤子へ飛びかかっていった。




