【007】二つの足音
ジャンタはアシュタルとツォイスを抱え、森の中を走り続けていた。それにも関わらず、いくら走っても森の出口が見えない。
だが辺りの景色は様変わりしていた。先程までは木々が生い茂る深林であったが、今は森に囲まれた草原地帯となっていたのだ。
「ここはどこだ? 俺らはこんな場所は通んなかった筈だが……??」
ジャンタの背中から顔を上げたツォイスが、辺りを見渡しながら横のアシュタルに訊ねる。しかし今のアシュタルは周りに目をやる余裕は無いようだ。
「……チッ。方角は…本当に合っているんだろうな……!」
「大丈夫だぞ、アシュタル! おれ、ちゃんと西に走ってるぞ!」
唸るようなアシュタルの声に対し、ジャンタが緊張感無く答える。だがジャンタの答えは信用ならないようで、アシュタルは「どうなっている」と、横のツォイスを睨み付けた。
「お、俺も分かんねぇんだって! なぁ、そうだ! 名無し君!」
「……おれは名無しじゃないってば!」
ツォイスに呼ばれ、ジャンタが不満げに答える。だがツォイスは構わずに続けた。
「まあまあ。それよりお前、さっき『何か来る』って言ってたヤツは何だったんだ? 今はどうなった?」
「んんん……何だろう? けもの?? よく分かんないけど、だいぶ離せたみたい。まだ探してるけど真っ直ぐは来ないよ?」
「そうか……。何だか分かんねぇけど撒けたんならまぁいい。アードミラーロからもある程度距離は取れたみたいだな。名無し君、どっか隠れられる場所は無いか? 少し調べたい事がある」
「……だから名無しじゃないってば!!」
ジャンタはそうプリプリ怒りつつ、言われた通り辺りを見渡した。そして森の中に地面が窪んだ場所を見つけ、そこに滑り込んで二人を降ろす。
「隠れられてるかは微妙だが……この際贅沢は言ってらんねぇか」
ツォイスはそう言って首に下げた小石を手に取り目の前へかざした。すると小石からは黒煙が溢れ、それは空中へ浮かぶ半透明のモニターへと姿を変えた。
それを見たジャンタが「うわー! なにそれ! すごいすごい!」等と騒いでいたが、事態が事態だけにツォイスは一先ずジャンタを無視し、目の前のモニターを操作し出した。
「今……アードミラーロの情報を検索して落とし込んでる。森を抜けるヒントが何かあるかもしんねぇからな……」
「どういう事だ……?」
そう言ったのはアシュタルだった。相変わらず肩で息をしているものの、何とか意識は保てるようになってきたらしい。
「……ああ、この森はちょっと様子がおかしいみたいなんだわ。俺とアシュタル君が森に入ってあの川辺に着くまで、そう距離は無かった筈だ。だがいざ出ようとしたら、まるで出口が見えねえ。
まあ……烟獣によってこんな事が起こったなんて事例はないんだが、アードミラーロも様子がおかしいともなれば、前例が無いことも調べておいた方がいいだろ?」
「…………」
ツォイスの言葉にアシュタルは無言で応え、目を逸らした。現状に苛立っているようにも見える。
「……アードミラーロと距離がある分、データ解析に時間がかかるな……。ただ待ってるのもなんだ。アシュタル君、具合はどうよ??」
そう言ってツォイスは小石に触れて、もう一つモニターを生成した。それをアシュタルに合わせて身体と虚闇の状態を調べる。
一方的に解析しようとした事でアシュタルが睨んでいた気がしたが、ツォイスは気付かなかったふりをして作業を続けた。ついでに言うと背後のジャンタが「ツォイス! それやりたい!!」と騒いでいたが、ツォイスはこれも無視してやった。
数秒してモニターには数値が表示される。
アシュタル・リー・ザクゼン
虚闇内在型 武装覚醒/刀剣
虚闇保持最大量 3,480
虚闇残量 2,700
侵蝕率現在値 07%
侵蝕率増減値 ±8.01
侵蝕率平均値 41%
侵蝕率進行値 0.012/720h
侵蝕可能最大値 92%
侵蝕時発動能力 0段階 サーチ【小】
一段階 身体能力強化【大】
二段階 属性付与
三段階 未確認
それらのデータに併せて身体状態のデータと虚闇を可視化した図を眺め、ツォイスは顎に手を当ててうーん、と唸った。
「んー……ルジルファから少しは虚闇を取り返せてはいるが……一度ひっぺがされてるせいか、身体に馴染んでねぇな。侵蝕率が異様に低くなってやがる。少なくともこれが20%まで行かないと武器の生成は難しそうだねぇ。増減値も高過ぎるな。せめてコンマ一以下まで落ち着かないと……。こいつが身体に負荷をかけてる原因かもな。
────それにしても、この保持最大量と侵蝕可能最大値はさすがだわ……」
アルベド団には多くの覚醒者が在籍しており、その能力も様々だ。その中でもアシュタルの能力は特に際立っていた。
逆にツォイスは感知特化と0段階オートサーチという能力以外については平均ど真ん中と言った数値だ。アシュタルの解析結果の横に比較対象としてツォイス自身の解析結果を並べて見比べると、その差は一目瞭然だった。
ツォイス・ゴットハルト
虚闇外在型 感知特化覚醒/虚闇解析
虚闇保持最大量 660
虚闇残量 580
侵蝕率現在値 28%
侵蝕率増減値 ± 0.47
侵蝕率平均値 28%
侵蝕率進行値 0.025/720h
侵蝕可能最大値 51%
侵蝕時発動能力 0段階 オートサーチ【極大】
一段階 虚闇解析
二段階 不可
三段階 不可
そもそも覚醒者とは、黒化病の延長線上にいる存在だ。黒化病とは黒い竜烟獣の撒き散らす虚闇によって肉体が侵蝕を受けた状態であり……肉体を蝕んでいた虚闇を支配し、病状の進行をある程度制御することが叶った状態こそが覚醒者の姿だ。
加えて覚醒者となるには黒化病患者であった時に "琥珀晶石" と呼ばれる鉱石を手に入れなくてはいけない。
琥珀晶石とは、このザクゼン侯国の首都近くでのみ確認されている鉱石だ。詳しい事は分かっていないものの、体内外の虚闇を吸収する性質があるらしい。この琥珀晶石はアルベド団によって患者に配給されており、虚闇による肉体の侵蝕速度を和らげると同時に、覚醒者となった際も虚闇による肉体への負担を軽減するという役割もある。
そしてツォイスの首に下げられている石こそがその琥珀晶石であり、大概の覚醒者は自身の所有する虚闇を体外に保管する事で侵蝕率進行値を抑えているのだ。
だがそんな一般的な覚醒者 "虚闇外在型" とは違うのがアシュタルの "虚闇内在型" だ。これは琥珀晶石を必要とせず虚闇を体内に直接留まらせるという、虚闇への高い耐性を持った者のみが到達出来るごく珍しいものだ。覚醒者はわざと虚闇に肉体を侵蝕させる行為……即ち侵蝕率を上げる事によって一時的に能力を強化する事が出来るが、この虚闇内在型はその上限が非常に高い傾向にもある。
本来黒化病患者は琥珀晶石を手に入れられなければ虚闇によって肉体が侵蝕され、結果その身体は黒く変色し死に至る。
病に伏していた当時のアシュタルは明らかに黒化病患者であったにも関わらず、原因不明の病と診断され、琥珀晶石を与えられなかった挙げ句田舎町の屋敷に軟禁されていたのだという。しかしアシュタルは生まれつき虚闇への耐性が非常に高かったらしく、病によって命を落とす事も、虚闇による精神汚染によって強大な力と邪悪な精神を持つ "忘却者" と言う危険な存在になる事も無く、劣悪な環境に措かれながら覚醒者として目覚めたのだそうだ。
アシュタルの生い立ちについては何かと気になる事はあったのだが……アシュタルがああいった性格である為、ツォイスはそれ以上の事は知らなかった。アードミラーロのデータ解析進行率を表すプログレスバーを横目に、アシュタルの解析データを眺めながら唸る。
「────なあツォイスってば!」
「……………………あぁうるせぇ!!」
後ろで騒ぐジャンタがいい加減鬱陶しくなって、ツォイスは振り向き様にその頭部に思い切りチョップをお見舞いしてやった。それによってジャンタが「いたい!」と叫んでいたが、ツォイスはそれを無視して更にモニターを生成し、それをジャンタに向けた。
ジャンタのデータも数秒してモニターに表示される。
ジャンタ
虚闇内在型 覚醒種別不明/解析不能
虚闇保持最大量 解析不能
虚闇残量 780
侵蝕率現在値 解析不能
侵蝕率増減値 解析不能
侵蝕率平均値 解析不能
侵蝕率進行値 解析不能
侵蝕可能最大値 解析不能
侵蝕時発動能力 不明
「ほらこれで満足かよ!────ってなんじゃこりゃ。アシュタル君と同じ虚闇内在型っていうのと……アシュタル君から奪った虚闇が残量としてそのまま出てる以外何にも分かんねぇじゃねーか」
ツォイスはジャンタがイレギュラーな存在である事は理解していたつもりだが、まさかここまで解析出来ないとは思っていなかった。表示された結果に "不明" ではなく "解析不能" という文字が多い事も不気味で仕方がない。
しかし残量が780と表示された時点でジャンタがツォイスより保持最大量が多い事だけは確かとなった。
驚きを隠せないツォイスの横では、未だにジャンタが騒いでいる。
「そうじゃなくて! おれもそういうの、出してみたい!」
そう言ってジャンタが指差したのはツォイスが生成したモニターだ。
「は……? "覚醒具" をか? お前が??」
覚醒具とは覚醒者が虚闇から生成した道具全般を指す。ツォイスであればこの解析モニターであり、アシュタルであれば赤い刀身の大剣だ。
解析データを見る限りジャンタも覚醒者ではあるようだが、今はそんな事をしている余裕はない。ツォイスは「また今度な」とジャンタを適当にあしらって、アードミラーロの解析モニターへと視線を落とした。
プログレスバーは98……99……と進捗状況を表示し……ややあって、アードミラーロの解析データが表示された。
烟獣・アードミラーロ
虚闇総量 595,663
虚闇濃度 150~1,523%
全長 52.25M
侵蝕干渉域 R36M
テキストのデータには特に異常は無いが、相変わらず恐ろしい数値だ。寧ろ桁外れ過ぎて笑えてくる程だった。それは五十二メートルの巨体でその半径三十六メートル圏内に入ると最低でも侵蝕率が百五十%まで上がってしまうと言うんだから、人間が近付けば一瞬であの世行きだ。
因みに侵蝕率はパーセンテージで表示している事からも分かる通り、百が限界値となっている。ただしそれほどまで高い侵蝕可能最大値を持つ人間は存在しておらず、百より手前で肉体が限界を迎える場合が殆どなのだが。
ツォイスが別ウィンドウに表示されたグラフに目をやると、虚闇濃度を可視化したアードミラーロ全体の画像データには不穏な動きが見てとれた。アードミラーロの核があるであろう部分を中心に、高濃度部が波紋のように波打っていたのだ。
「これは……虚闇を拡散する前兆だ! また黒化病患者が増えるぞ……!!」
「虚闇をかくさん??」
ジャンタの緊張感の無い声が返ってくるも、ツォイスはそれを無視してモニターを操作し出す。その横では肩で息をしているアシュタルもまたうっすらと開けた目でモニターを確認していた。
しかし……ツォイスのその手は次第にスピードを落とし、タタン、とモニターを叩いたのを最後に手を止めてしまった。その表情には、焦りが見てとれた。
「────違う。拡散されるのは……黒化病をもたらす虚闇よりもっと厄介なものかもしれねぇ……」
ツォイスがそう呟いた直後、アードミラーロから虚闇が放出された。その黒煙はふわりと舞い降り、波のように地を滑り、森の中を流れ這う。
やがてその波は流れながら様々な物を拾い、それを核とし、複数体の小さな烟獣となってジャンタ達の方へするすると流れてきた。




