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08 序盤の相手

ニートになりたい……

 初級冒険者が序盤で相手するMOBの定番といえばスライムだろうか。もっとも、これはイメージが先行したゆえの勘違いであって、実際にLv.1でスライムと戦闘するRPGはごく少数であろう。


 Earthgald Online の場合、冒険者が一番最初に踏み出したフィールドで遭遇する討伐対象はキツネかウサギだった。同族リンクはしない非アクティブ系モンスターで、自分からわざわざ掻き集めない限り目の前の一体だけの戦闘に集中すればよく、チュートリアルをきちんと履修していれば苦戦することもなく倒せるイージーな経験値源である。

 初心者の心を折る理不尽な強敵のポップなど論外だ。不届きプレイヤーの操るBOTの邪魔をする為に高レベルMOBが配置されることもままあるが、手出しさえしなければタダの動く障害物でしかないので一般プレイヤーに害はない。


 初級エリア内では対モンスターだけでなく、対人面でも優遇措置がとられているケースが多い。一定レベル未満のPCへの一方的な攻撃の不可などがそれに該当する。逆に言えば、初心者狩りなどという蛮行がまかり通るようなシステムの場合、新規参入プレイヤーの定着率の向上は到底望めず、プレイ人口は確実に先細りになる。


 以上が、一郎が一般的なMMORPGに抱いていた“常識”だった。初心者は必要以上に過保護に、である。

 マップに追記された“はじまりの無人島”も良くなかった。どうしたってチュートリアル臭がプンプンと漂ってくる。危険? なにそれ? てな具合である。

 確かに寄ってくる虫の類いは鬱陶しく厄介だが、RPG的見地からすれば、奴らはMOB以下の存在で、日常生活における不快要素の一つでしかない。白くま君+防毒マスクの一分の隙もない防護が、まるでモニター越しのサバイバルのような非現実感を増長させ、リアルとゲームの境界を曖昧にしていた。


 ようするに、一郎は油断しまくっていた。それはもう盛大に。


 陽光の届かない熱帯多雨林の内部は薄暗く、巨木の根元の影に何が潜んでいるのか探ることは不可能だ。例え暗がりに目が順応できたとしても、複雑に絡み入り組んだ大樹の根は死角が多く、視認性の向上は期待できそうにもない。

 また、白くま君は頭の天辺から爪先まで全方位にわたって満遍なく高い防護力を持ち高い気密性を備えているが、それが災いして、皮膚感覚と聴覚を完璧に阻害する結果となっていた。そして、顔全体を覆うポリカーボネートのフェイスガードが大気をその設計方針通りに見事に遮断し、ちょっとした空気清浄機並の複合フィルターを有する防塵防毒マスクは嗅覚をものの見事に役立たずにさせていた。

 一郎は普段から外界への興味が薄く、他人の心の機敏に疎かったが、いまや、精神的にも肉体的にも完璧に空気の読めない男に成り果てていた。


 キチキチキチ

 硬質な殻が擦れる乾いた音。

 ガサガサガサ

 湿った落ち葉が重量物に踏み潰される騒々しい音。

 そのどちらをも一郎は知覚することができない。


 堆積物の下から這い出てきた体長2メートルを超える多環節動物は、21節からなる胴体部を蛇行させながら、地表の影から影へと移動する。暗褐色の体表面は周辺環境への保護色となり、景色の中にその輪郭を溶け込ませている。

 一郎にとって幸運だったのは、襲う側の頭部についた単眼の性能があまりよろしくなく、遠距離からの強襲が不可能だったことだろう。視覚よりも触覚で索敵する分、獲物のすぐ側まで寄らなければならなかった。もっとも一郎ののささやかな幸運は事態の悪化をほんの数秒遅らせただけなのだが……。


 各環節に一対ずつ計15対の脚を蠢かせ、体長と同程度の長さの触角を盛んに振り回しつつ、襲撃者は捕食対象へと接近する。

 どんなに鈍い者でも、大顎に挟まれる直前になれば気づくというものだ。

 薄暗い中、白くま君の短い足をヨタヨタさせながら一歩ずつ慎重に進んでいた一郎は、ポリカーボネートの透明樹脂越しに、茶褐色の鞭状の物体を目撃した。


「へぁっ!?」


 本格的に密林探索を開始しての、初の未知との遭遇だ。着ぐるみの頭部は可動範囲が狭いため、その場で足を踏み換えつつ、体全体で振り返る。

 既に、捕食者は最初のひと咬みの準備を終えていた。


「うわっ!!」


 恥も外聞もない悲鳴が喉の奥から迸り、フェイスガードの内側で反響する。


「ム、ムカデぇ~!?」


 地球の進化形態と照らし合わせれば、それは確かにムカデだった。ただし、スケールは10倍以上違ってはいた。

 体節をギチギチと反り返らせ、節足で器用にバランスを取りながら襲ってくるムカデの頭部は一郎の顔の高さにあった。


 ガチッ


 毒に濡れた大顎の一撃を回避できたのは、ただのまぐれである。ワタワタと着ぐるみの中で両足を動かそうとして失敗し、仰向けに倒れ込んだことで強襲者の目測を誤らせたのだ。

 幸運はそう何度も続かない。

 湿った地面で仰向けになった一郎の上に、ムカデは遠慮なくのし掛かる。逃れようと抵抗する白くま君を複数の節足で巧みに押さえつけ、とどめを刺そうと大顎をガチガチと噛み鳴らす。


「くっ、こ、このぉ~!」


 重い。身動きとれず、圧迫感で呼吸すらままならぬ状況に一郎は追い込まれていた。格闘技で固め技を決められたような気分だろうか。ギブアップとタップしても解放してもらえないのは明白なので、挫ける心に鞭打って逃亡の道を模索する。

 どこを見ているのか判らない二つの単眼が攻撃のタイミングを読ませない。胸の前で抱えていたクレヨンウィちゃん(火)のお陰で、なんとか顔面部への噛みつきは阻止できた。


 代わりに、左の上腕を見事に挟まれた。


「イッテェ!」


 食らいついたムカデに離す素振りは微塵もない。あるのは獲物を食しやすいよう解体せんとする本能だけだ。

 無表情に、小刻みに頭部を振って圧力を掛けてくる殺戮者に、一郎は恐怖と痛みで泣き喚いた。




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