05. 無事山頂に
無事、山頂に到着した。
心配していた危険生物の襲撃もなく、突然の天候の崩れもなく、傍目には何の障害もない登頂だった。
ただし、一郎の内面を除いては、である。
彼は自分の臆病さを甘く見過ぎていた。
平坦な地での高さ三メートルと、急勾配の崖上でのそれを、なぜ同じように考えたのか。
途中、怖い物見たさで下を向いたのがいけなかった。
MPの残量を視認できないことが輪を掛けた。
一郎は生まれて初めてガクブルという状態を味わったのである。
必要もないのに、何度もMPポーション(Lv.1)を飲み干した。最初の一本目など、手が震え過ぎて一滴も口にできずに零してしまった。
盆地と外輪山天辺の標高差は何百メートルなのか。その間を命綱なしで体験する空中遊泳は、一郎のもともと低い心の耐久値をガリガリと削っていった。
墜落の恐怖と戦いながら必死で上を目指し、ようやく山頂の平らな地面を視界に捉えた時には、思わず安堵で涙ぐみそうになったほどである。
レビテーションを解除して着地すると同時に、ガックリと両手両膝をついて項垂れる。
「こ、怖かった……」
プルプル震える四肢に意識して力を込めていないと、無様にその場に突っ伏してしまいそうだ。どんなに走り回っても平常運転だった心臓も、この時ばかりはメタルバンドのバスドラムみたいにエイトビートの連打を刻んでいる。
掌や膝に食い込んでくる小石の痛みに気がついたのは、どれぐらいの時間が経過してからだろう。
ノロノロと立ち上がり、掌を擦って石を落とし、ボトムズの膝頭を叩いて汚れを払う。
情けなさを自覚しなから、しょぼくれた面を上げる。
絶景が、目の前に広がっていた。
雲一つない空。
敷き詰められた緑の絨毯。
陽光にきらめく青い海。
一郎の頭の中のすべてが吹き飛んだ。
3DCGでは決して表現し切れない大自然の雄大な展望に、あんぐりと口を開け、ただ見惚れた。
外輪山の海側の山肌の傾斜は緩やかで、中腹あたりから低木や下草が地面を覆い始め、裾近辺から一気に樹木の密度が上がっている。熱帯多雨林、ジャングルと呼ばれる大密林で、それが海岸線まで続いていた。
梢の上を旋回する鳥らしき生き物の姿が幾つか確認できる。耳を澄ませば、数種類の鳥類の鳴き声が選別できた。
進む方向を決めるため、島全体のマップを表示させる。
見慣れない表記が増えていた。
『はじまりの無人島』
また、それまでは小学生の宿題の白地図みたいだったのに、島の西側の四分の一ほどが緑と茶色に塗り潰されていた。
踏破した地域の詳細が追記される仕様らしい。
そして……。
「さりげなくボッチ宣告されてるし」
探検の第一目標があっさりと否定されていた。ちなみに、第二目標は島の脱出手段の模索、だ。
マップを閉じ、周囲に視線を巡らせる。
盆地を囲む稜線を見つめる一郎の瞳の奥には、ある決意の色が浮かんでいた。
マッピング機能がついているのなら、未踏破地域をすべて埋め尽くすことがプレイヤーの義務である。
島を脱出したなら、もう二度と戻ってくる機会はないだろう。マップを埋めるチャンスは今しかないのだ。
優先事項が他にあるわけでもなく、時間に追われているわけでもないし、少しぐらいの寄り道は許されるだろう。
自分自身に向かって言い訳している間にも、既に一郎の両足は歩き出していた。
外輪山の峰を時計回りに辿るコースだ。
風雨に晒されやすい場所のせいか、海側の斜面に大きな起伏は少なく、道がなくても進行方向に迷うことはなかった。地面には小石や溶岩のなれの果てみたいな瓦礫が散乱しているが、歩行に支障をきたすほどでもない。
これなら使えるだろうと、杖を持ち替えて速度アップの支援魔法を自身に掛けた。スピードに対処するため足下を見ながらの移動になるが、観光ではなく、島を早く一周することが目的なので問題はない。
一郎が考えていたよりも、島の規模は大きかった。マップを隈無く埋めるためには、棺桶内での一泊を途中で挟み、翌日の昼近くまで掛かってしまった。
が、満足だった。やり遂げた感は半端ない。
途中、大型獣の姿は一度も見なかった。
火山活動によって隆起して出来たという地形、大陸からは渡ってこれない大洋上の孤島という地理、この二つの要因が合わさって、大型のほ乳類の生息を難しくしているのかもしれない。
地球の進化のルールと異なる可能性もあるので断定はできないが、襲われる危険が少ないのはありがたい。
全域がフルカラーで塗り分けられた島のマップをニヤニヤしながら眺めていた一郎は、ふととある一点に注意を惹かれた。
島の南側の密林の中に、なにやら四角いものが記載されていたのだ。
自然界にはあり得ない造形に、一郎は人工物ではないかと予測する。
「無人島だから集落はないとして……遺跡か?」
その昔、海中に沈んだ古代文明の跡?
浪漫である。
漢として見逃すわけにはいかない。
現在位置と目的の場所をマップで確認してから、一郎は斜面を下り始めるのだった。