03. 想像上のESC
「やばっ!」
慌てて、想像上のESCキーを脳裏で乱打しまくり、杖をブンブンと滅茶苦茶に振り回す。
幸い、射出前で未完成扱いだったのだろう。圧倒的な熱量を帯びた白色の光球は、徐々にその輝きを失い、半径を少しずつ小さくしていき、やがて跡形もなく消え失せた。
一歩間違えれば大惨事だったろう。光球が出現した真下は草葉ごと大地がざっくりと抉られていた。焼失ではなく蒸発だ。嫌な臭いのする水蒸気が上がる跡地から、一郎は気まずくなって視線をそっと外した。
それでも、だ。
「ふふふ」
頬の筋肉が緩んでしかたない。噛み殺そうと奥歯に力を込めても、喉の奥からだらしない笑いがこみ上げてくる。
魔法すげぇ~まじすげぇ!
グッと前屈みになり、全身を硬直させて、叫びたい衝動を必死に押さえつけた。
ここで大声を上げて踊り出したら、ただの“変な人”である。例え目撃者はいなくても、一郎の矜持はそれを許せない。
ジッと我慢を続けてみたが、無理だった。
瓢箪型水筒を手にし、頭から冷水を被る。短い頭髪だからすぐに頭皮はビショ濡れになり、首筋を伝って胸元や背中にひんやりとした水が流れ落ちていく。火照った肌から急速に熱が失われていくのが心地よい。
「ふぅ~」
落ち着いた。ひと口水を口中に含んでから瓢箪を腰へ戻す。
改めて、長杖・海ヘビちゃん(火)を構えた。
先ほどの失敗の原因は判りきっている。
興奮し過ぎて魔力を込め過ぎたのだ。
目を閉じて深呼吸を数回。
今度こそ大丈夫だ。
気を静め、慎重に魔力を杖に通していく。
うっすらとクリスタルが光を帯びる。
再度、火属性下級魔法を。打ち出す方向は斜め四五度上方。
「ファイアボール!」
ブォン、という風切り音が聞こえたような気がした。
直径二メートル程の赤い火の玉が一直線に青空の中を突き進んでいく。
一郎の視力の限界を突破するのに、さほど時間を必要としなかった。逆流れ星?
「あ、あれ?」
何かおかしい。一郎は首を傾げつつも、別の魔法を試してみることにした。
三度、杖に魔力を込める。
「ファイアアロー!」
ズビュン
赤い迎撃用対空ミサイルみたいなのが直進していった。
「いや、絶対におかしいだろ、これ……」
どちらも単体攻撃用下級魔法なのに、範囲殲滅クラスの威力を持っていそうだ。
初期ステータスにボーナスポイントが付与される、と運営からのメールには記載されていたが、付けるポイントの桁を間違えてはいないか?
下級でこれなら中級以上なら、とそこまで考え、一郎はハッとなる。
今の自分は中級どころかその上位の上級や特級まで行使が可能だと、理屈ではなく感覚で悟ってしまったのだ。
Earthgald Online において、魔法は火・水・風・土・聖・魔の六属性があり、それぞれに下級・中級・上級・特級が用意されていた。各級には五つずつ魔法が設定され、使用している級のすべての魔法熟練値を最大にしないと上位級の魔法は解放されないシステムになっていた。近接職の物理系スキルも同様だ。
この熟練値が難敵で、Earthgald Online 全盛時では、街を出ると、破壊不可属性の立木に向かって体当たりを繰り返すタンク職とか、スタミナポーションをガブ飲みしながら反復横跳びを延々と続ける軽装備職とか、湯水のようにMPポーションを消費しながら虚空に向かって魔法を打ち続ける魔法職の姿、なんていうのが日常の風景の一部になっていた。
悲惨だったのが、熟練上げには対象となる相手が必要な支援職だった。彼らは街の入り口に陣取り、出入りするプレイヤーに向かって我先にとヒールやバフを掛けまくっていた。“低レベルのバフで上書きするな!”“誰にでも低レベル時代はあるんだよ!”なんて全体チャット上のやり取りは、過疎となった今ではもう見られない。
その大変な熟練上げをしなくても済む?
新ゲームへの移行という話だったし、そもそもここがどういう世界か不明なのだから、システムが同じと考えるほうに無理がある。
ただ、試してみる価値はあるだろう。
Earthgald Online で新規にゲームをスタートして魔法職を選択した場合、プレイヤーはメイジとなり、装備さえ整えれば全六属性の下級魔法が使用可能になる。
中級になると攻撃型のウィザードと支援型のクレリックにルートは分かれ、行使できる魔法もウィザードは火・水・風・土、クレリックは聖・魔だけとなる。
上級に上がると完全に属性ごとに独立したスタイルになり、特級はその延長だ。
火属性でカンストした一郎の場合、使用できる魔法は以下の通りだ。
下級……火・水・風・土・聖・魔
中級……火・水・風・土
上級……火
特級……火
使えてしまった。四色の海ヘビちゃんと天魔シリーズの短杖を持ち替え、片っ端から試した結果、それらすべてが何の問題もなく発動した。その間、一度も魔力切れを起こさなかったこの肉体のスペックの高さにも感嘆する。
「まずい、魔法、楽しすぎる」
青々としていた草原は、今は元の姿を想像するのも難しいほどの惨状を呈していた。盆地一帯が見渡す限り、焦げ茶色の地面が剥き出しになった荒れ地だ。魔法が炸裂した余熱は消え去らず、ゆらゆらと大気は揺らめき、向こう側の山の稜線を軟体動物みたいに見せている。
調子にのってやり過ぎた自覚は本人にもある。
杖を持っていると自制が利きそうにないので、ひとまず、火属性特級魔法を連発していた海ヘビちゃん(火)をインベントリに収納する。
身を守るための攻撃手段が確立した。一郎はうんうんと頷いて自身を納得させる。威力に難があり人前では到底使えそうにない点には目をつぶる。そもそも、どうしたら人がいる場所まで辿り着けるのかが問題だ。
荒れ地の中でポツンと残った岩に腰掛ける。
既に太陽は稜線の陰に隠れ、辺りは夜の帳が落ちるのを待つばかりという頃合いだ。
一郎はインベントリからチョコラテ(MP小回復)とザッハトルテ(HP小回復)を取り出し、両手でパクつきながら今夜の寝床について考える。
大地は見渡す限り綺麗に耕され、おまけに熱処理済みなので、害獣や虫などの心配はないだろう。
「でも地面にゴロ寝はないよなぁ、てか、トルテうめぇ~チョコラテあめぇ~」
テントや寝袋なんて気の利いたものはない。正月イベントで配布されたコタツでも持ってくればよかったと思っても後の祭りだ。
「そういえば、あれがあったか」
両手のものを完食すると、容器はいったんインベントリに入れてからゴミ箱へ。
瓢箪の水で手と口をゆすぐ。
その辺を歩き回り、比較的平らな場所を探す。
「ここでいいか」
実体化させたのは実寸大棺桶型収納ボックスだ。
重厚な造りながら蓋の片側はヒンジ付きで、開け閉めは片手でも容易だ。顔の部分には蓋付きの覗き窓があるので、息苦しさも低減される。内側のクッションはウレタン製で弾力も充分だ。
早速中に入って横になる。
「うん、グッドだ」
幅にも余裕があり、圧迫感もない。
パタンと蓋を閉じる。
「おやすみなさい」
こうして、異界における一郎の一日目は終了した。
火属性
下級:
fire ball
fire arrow
fire lance
fire pellets
fire shield
中級:
flame wire
flame darts
flame spear
flame swarm
flame wall
上級:
blaze strike
blaze shower
blaze bluster
blaze storm
blaze circle
特級:
meteors strike
hell shower
soul bluster
solar storm
death circle