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01. 絶賛混乱中


「な、なんだよこれ…」


 絶賛混乱中である。


 夜中、自室のPC前にいたはずなのに、気がつけば真っ昼間の屋外で大の字になって寝転がっている。

 訳が判らない。判れという方が無理だろう。知らない青空だなんてボケる余裕さえない。纏まらない思考が頭の中で渦を巻き、意味ある言葉が出てこない。


 ふと、首筋がムズムズするのに、一郎は慌てて跳ね起きた。

 雑草の葉先に擽られたのだと知ると、ホッと安堵の息をつく。


 そして、改めて自分の格好の不自然さに思い至った。

 ゴワゴワした素材の袖無しチュニックに、踝まであるゆったりとしたボトムズ、足下は革編みのサンダルだ。ウエスト部には幅広の革ベルトが巻かれ、上衣のだぶつきを押さえている。どことなく見覚えのある貧相な服装である。

 一郎は典型的な黄色人種だったが、肩から剥き出しの腕の肌色は漂白剤を塗したかのように白く、表面には金色に光る産毛が生えていた。


 予感に駆られ、恐々と両手を顔へ持っていく。

 クラリ、と目眩に襲われた。脱力しかけた両脚を踏ん張り、なんとかその場に踏みとどまる。

 鏡がなくても理解できた。まったく別人の顔だった。掌にあたる下顎の無精髭など、これまでの一郎にはまったく縁のないものだ。

 加速する予感とともに、頭髪をまさぐってみた。

 硬質な短めの頭髪がツンツンと逆立っていた。


 理解してしまった。

 一郎がデータ移行を依頼した Earthgald Online のキャラそのものだ。

 本人の意識とともに新ゲームへ移行したとでもいうのだろうか。


「こ、これがサプライズなプレゼント!?」


 なんてネ申運営なんだ! と内心で叫びながら、一郎はその場でグルリと三六○度回ってみる。当然、頭上に旗を浮かべた人影などあるはずもない。膝丈ぐらいの草木が敷き詰められた草原に、取り囲むように緩やかな稜線を描く山々が見えるのみ、風にそよぐ葉以外に動くものはなかった。


「チュートリアル開始のNPCぐらい、視界に入る位置に配置しろよな」


 一郎の口から愚痴がこぼれ落ちる。

 いや、それが現実逃避なのだと本人は充分に知っていた。

 全感覚没入型のVRゲームなんて見たことも聞いたこともない。まして、彼が使用していたのは極々一般的なお仕着せのBTOデスクトップPCだ。どんなマジックを使えばこんな事象を起こせるというのか。


 悪の秘密結社に拉致されて改造された?

 馬鹿な、それこそあり得ない。


 パチン

 両手で頬を強く打つ。ヒリヒリしたが、幾らかは落ち着いた。深呼吸を一つしてから、目についた手頃な大きさの岩に腰を下ろす。

 感覚がリアル過ぎて、到底夢だとは思えない。その可能性は真っ先に除外した。

 どんな状況に置かれたのかは不明なものの、一郎が取り敢えず優先しなければならないのは、生きることだった。


 まずは現在位置だと考えた途端、半透明の地図が視界を塞いだ。


「!?」


 意識が乱れた次の瞬間には、地図はあっさりと消えていた。


「マ、マップ?」


 再び地図が現れた。何度か試してみて、声に出さなくても表示が可能なこと、強く念じれば任意の地点を自由にズームイン・アウトさせられることが判明した。


 初期状態はこの世界の全体地図のようだ。Γ型と」型の二つの大陸が東と西に分かれ、その間を大海が横たわっている。それぞれの大陸の西と東の海岸線は比較的似通っているので、その昔地殻大変動で分裂したという設定かもしれない。


 二大陸に挟まれた大洋のほぼ真ん中に、ポツンとピンマークが浮かんでいた。意識を向けると徐々にズームアップしていき、やがて歪んだ円形の孤島が映し出された。ピンマークは島中央の僅かな盆地部に刺さっている。どう考えても現在所在地だろう。


 一郎は軽い絶望感に見舞われた。マップは完成したものの機能は未実装なチュートリアルエリアに放り込まれた、そんな感が拭えない。ゲーム内にしろ現実にしろ、あまり喜べない環境下であることは確かだった。


 頭を数回横に振って気を取り直す。マップ機能があるのならインベントリもあるはずだと、マス目状の収納領域を脳裏に思い浮かべてみる。

 案の定、透過加工されたウインドーが視界に重なった。


 中身は期待していなかったが、意外にも沢山の物品が詰まっていた。アイコン表示のそれらのどれにも見覚えがある。どうせ消えてなくなるのだと、無節操に倉庫から移した物ばかりだった。運営の不手際か、もしくは消える詐欺だったのか。種類分けするタブと自動整理機能があったので、量は多いが前ゲームよりも見易くなっていたのは幸いだ。


「まじでゲームか、ここは?」


 VRの可能性は即座に否定したが、それは早計だったのか。

 インベントリを消すと、ステータス、スキル、システムなど、思いつく限りの機能を試みる。

 試してみたものはいずれもが不可だった。ヘルプもGMコールももちろん実装されてはいなかった。

 なんとも中途半端な世界である。ゲームとしてみれば未実装が多過ぎたし、現実としてみるならあまりにもゲーム寄りな発想が実現されていた。マップをミニ表示に切り替えてレーダーにするなんて便利機能はその最たるものだろう。


「でもなぁ……」


 確かに困った状況ではあるものの、こんな不思議世界をどこか楽しんでいる自分がいる。

 現実世界に思い残していることは欠片もない。母子家庭だった一郎は、就職直前に母を病で亡くして以来天涯孤独の身だった。急いで帰還しようと考えるほど仕事に愛着はなかった。

 幾ら悩んでも答えが出ない状況なら……


「よし、冒険だ!」


 握りしめた右拳を胸に当て、スクッと立ち上がって青空を仰ぎ見る。


「…………」


 いそいそと堅い岩の上に座り直す。内なる衝動に応えてノリで行動した自分を、一郎は猛烈に後悔した。二十過ぎたいい大人のすることではない。誰も見てないとはいえ、あまりにも気恥ずかしかった。今の外見が十代の少年だから、というのは何の慰めにもならない。


 フゥーと溜め息を吐く。


「よし、反省おわり」


 ペチンと頬を叩いて気分一新。

 取り敢えず、心に余裕がある間は今の状況を楽しむのも悪くない。


 行動を開始するにあたってまず最初にしなければならないこと。

 それは食事だ。


 実をいえば、インベントリ内にストックされた料理を見た時から、早く確かめたくてウズウズしていたのである。

 選んだのはイルーマ風ミートシチュー、敏捷値を上昇させるバフ効果のある一品だ。火力特化型ウィザードの一郎にはあまり利用価値がなく、スキル上げのために作ったきり、ずっと倉庫の肥やしになっていた。

 前ゲームで食事といえば対象をマウスで右クリックするだけだったが、この世界ではどうなのか?


 ゴクリと唾を飲み込み、左の掌を上に向けて。


「こい!」


 期待が大きいだけに掛け声にも力が入る。


 ズン、と左手に重みが伝わった。

 木製の深皿になみなみと湛えられたミートシチューは、まるで出来立てのように白い湯気をくゆらせている。使用されたスパイスの芳醇な香りがツンと鼻の奥を刺激した。

 左手は塞がっているから、右手だけで深々と拝み、

「いただきます!」

 添えられた木の匙を握り、躊躇わずにパクついた。


「あ、あちぃ~けど、うめぇ~」


 この料理を作った俺は天才だと自画自賛。

 理屈なんてもはやどうでもいい。物理法則で腹は満たされない。大切なのは、舌と胃袋が幸せになること、それだけだ。


 大丈夫、インベントリに料理がある限り、自分はこの世界で生きていける。


 一郎の心中に確固たる自信が漲ってくる。

 ぜひともこの世界でも料理スキルをカンストさせなければと決意も新たに、黙々と匙を動かし続け、咀嚼と嚥下を繰り返す一郎なのだった。




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