11 不自然な建造物
密林のただ中に不自然な形で出現した連環状の更地の端に、一つの建造物がポツンとこれまた不自然な状態で佇んでいた。
恐らく長期間に亘ってジャングル内に放置されていたにも関わらず、木々の根の侵食を受けた様子もなく、カビやコケの汚れも一切見当たらず、つい先日竣工したばかりだと言われても素直に頷けるような、常識的にはあり得ない綺麗さを保っていた。
ああ、これは非破壊オブジェだと、一郎のゲーム脳は瞬時に答えを導き出した。
システム上壊れてはいけないモノが内包されている?
このリアルともゲームともつかぬ不思議な世界を理解するヒントがあるかもしれない。そう考えると、気が急いてしまい、入り口に向かう足取りも自然と速くなる。
規模はそれほど大きくはなかった。中型の建て売り住宅一軒分ぐらいだろうか。外観は石造りの礼拝堂といった趣きで、切り妻の屋根を数本の柱で支えるデザインがなんとなくギリシャの神殿を連想させた。
何かと苦労してようやく到着したのだ。期待は高まる。
妻入りの玄関部に扉はなく、誰でもウェルカムの状態だ。なので、一郎も遠慮なく中へと足を踏み入れた。
何もないガランとした空間だった。
一番奥の床が一段高くなっていて、そこには白と黒の石碑が一本ずつ、計二本が安置されている。人の背丈ほどの高さで、全体にツルツルの鏡面加工が施されている。垂直ではなく、やや斜め後方に傾いて設置されていて、正面に立った時に表面が見易いように配慮されていた。
近づいてみると、それぞれの石碑の右上には人の手形と覚しき窪みが見つけられた。
どうやら、ここに手を当てろということらしい。
ものは試しと、一郎は右側の黒い石碑に右手を伸ばす。
フェイスガード越しの視界に入ってきたのは白くま君の無骨な肉球付きの毛皮だった。
建物の周囲は焼却という名の加熱消毒済みで脅威は完璧に取り払っている。安心して脱げるというものだ。
インベントリを表示させ、装備タブを操作して初期のチュニックとボトムズに変更する。
防塵フィルターを通さない空気がやけに美味しく感じられた。チュニックの肩口に顔を擦りつけて涙の残滓を拭い取る。
ついでに怪我の治療もしておこうと、初級ポーションを一つ取り出しかけて、ふと怪訝に思う。
“痛くない? なんで?”
インベントリの表示を取り消して、じっくりと左腕を観察してみたが、もやはどこを噛まれたのか痕跡を発見するのも難しい。
なにげに回復能力の高い肉体だった。
「いや、明らかにおかしいだろ!?」
独り突っ込みをしても、当然ながら答えが返ってくることはない。
さしあたって不都合はないので、諦め半分、こういうものだと自身を納得させ、一郎は気を取り直して右手を石碑に差し伸べた。
窪みに掌を宛がうと、黒い石の表面がうっすらと光を放ち、中央部に文字列が現れた。
『インタラクションコードが見つかりません
処理を続けますか? Yes or No 』
「バグってるよ、これ……」
なにかもう駄目駄目である。期待が大きかっただけに、失望感は半端なかった。ガスガスと右足の踵で石の基壇を蹴りつける一郎を、いったい誰が責められようか。
どうでもいいやと、投げやりな気分で左手の指先で『Yes』に触れた。
再び、石碑に文字列が表示された。
『データベースの引き継ぎに失敗しました
指定された構造体に誤りがあります
レジストリの取得に失敗しました
インデックスを再構築します……』
「……エラーメッセージのオンパレードなんだけど……」
この世界において一郎の存在はそれだけイレギュラーということなのか、単にシステムの不備なのか。諦めの境地で、流れる文字列をぼんやりと目で追っていく。
やがて、表示が止まり、入力待ちの状態になる。
『クラスが不明です
初期クラスを設定してください』
その下部には選択できるクラスがツリー形式で並んでいた。大別するとウォーリアーとメイジの二系統があり、そこから職種ごとに細かく分岐している。
Earthgald Online にはなかったサマナー(召喚師)に興味を惹かれたが、混乱しているシステムにこれ以上混乱の種を仕込むわけにはいかないと、一郎は現在選択可能なクラスの中から、素直に魔法系火力職の最高位と思われるスペルキャスターに指先を当てた。
『データベースの引き継ぎに失敗しました
指定された構造体に誤りがあります
…………』
またもやエラーメッセージのオンパレードである。
予想はしていたのでもう嘆かない。最後まで付き合ってやろうと、次々と現れる文字を流し読んでいく。
そして石碑の表面に最終的に残ったのは、一郎の個人情報だった。
『
Name : イチロー
Sex : 男 Age : 17
Class : スペルキャスター
Base Level : 1
Class Level : 1
HP : 01020 / 01020
MP : ***** / 65535
STR : 24 DEX : 36 VIT : 42
INT : 999 MEN : 999 LUK : 18
SP : 100
』
今更感は否めない。一番最初にこれが提示されたなら、一郎は感嘆の声を上げただろう。あれだけのエラーメッセージの後だけに、示された数値のどこに信憑性があるというのか。明らかにデータの引き継ぎに失敗していた。
「運営、ちゃんと仕事しろよな……」
突っ込み所も満載だ。
姓はどこいったのか、とか。
永遠の17歳なのか、それともゲームと違ってちゃんと成長するのか、とか。
今どきのシステムで2バイトしか持たせないってどうなのよ、とか。おまけに桁溢れだし。
「魔法関連のパラメータだけ別の次元にいってるし……」
とりあえず、ボーナスとして貰えたらしいSPの100を LUK に全振りしておく。が、上限が99だったらしく、余った19ポイントは VIT に回した。
それ以上石碑に変化はなかったので、一郎は当てたままだった右手を窪みから離す。
わずかに遅れて、表示されていた文字列は消滅する。
やれやれと、どこか釈然としない思いを抱いて嘆息した。