10 前進か後退か
さて、と一郎は考える。
前に進むべきか、それとも引き返すべきか。
密林に入ってすぐにコレなのだから、奥に行けばどんな危険が待ち受けているか判ったものではない。孤島だから大型肉食獣がいないので安心だ、など楽観的にも程がある。
もっとも、十倍の大きさで迫ってくるとは一体誰が予想できただろうか。もし十倍が二十倍になったら? 正直、冷静に対処する自信はない。それは先ほどのムカデで実証済みだ。
収穫もなしに引き返すのは、それはそれで何か負けたような気がして癪である。そして島からの脱出という目標が遠のいてしまうことを意味する。カルデラ盆地に戻ってもできることはない。食料が尽きるまで孤島でボッチ生活、は引きこもり体質の一郎でも願い下げだった。
「とりあえず……進むか」
気乗りはしないが仕方がない。それに早く安全な場所に辿り着いて腕の痛みをなんとかしたい。
安全確認をと、その場で足踏みしながらひと廻りする。
発見してしまった。
地面を這う、細い一本の銀色の糸。
「引き糸!?」
地上を徘徊するクモがいる!?
ゾワリと悪寒が背筋を駆け抜けた。萎えそうになる両膝を叱咤激励し、糸の伸びる方向を中心に油断なく見据える。
サーチ・アンド・デストロイ、同じ轍は二度と踏まない。巨大クモとの取っ組み合いなど心の底から勘弁してほしい。
即座に撃てるよう、杖に魔力を通しながら監視を続ける。
密林の薄暗さにもある程度視力は順応していたが、それでも細部まで識別できるわけではなかった。死角を極力減らそうと、周りの幹から可能な限り距離を取り、目を細めて地に落ちた影の奥まで睨みつけた。
一郎の両耳の内側で、心臓の鼓動が大きく鳴り響いている。防毒マスクのフィルターを通して行う呼吸音もやけに五月蠅く聞こえた。
慎重に慎重に、スリスリと足の裏を地面に擦りつけながら、さして大きくもない一歩を踏み出す。
右手方向!?
影の中で何かが動いた、ような気がした。
「ファイアーボール!」
すかさず、撃ち込んだ。
確認なんて悠長な真似は後でいい。襲撃者に行動する時間を与えない事が最優先だった。
水分を大量に含んだ生木のはずなのに、なぜかマッチ棒みたいに簡単に燃え上がる大木。やけに眩しくて、一郎はソッと視線を逸らした。
ふと、頭の奥で警鐘が鳴る。
こういう時、背後から襲ってくるのがお約束ではないのか?
迷わない、躊躇わない。振り向きざま
「ファイアーランス!!」
問答無用で貫通能力の高い攻撃魔法を撃ち放つ。
一本の真っ直ぐな炎の道が数十メートルに亘って開かれた。その途上に何が存在したのか、もはや一郎の関知するところではない。
“待てよ”
己の頭上がまったくの無防備である事に思い至る。
「ファイアーパレットぉ!」
広範囲型火炎散弾を広葉樹の屋根目掛けて射出した。
これは逆効果だった。
燃え上がる葉っぱやら枝らがハラハラと舞い落ちる中、何やら虫みたいな得体の知れないモノも一緒に振り落ちてきたのだ。
ポトリと、体長三十センチを超える極彩色の毛虫がすぐ目の前を通過した時、一郎はキレた。
「ブレイズサークル!」
Blaze Circle:火属性上級、施術者を中心にして環状の業火地帯を発生させる。初撃ダメージ+持続ダメージ。効果中は魔法攻撃力に応じてMPを一定量消費し続ける。
長い年月の間、変化に乏しかった熱帯雨林に突如として白色の火柱が天を衝く勢いで立ち上がった。五十メートルを超す大木を一瞬にして飲み込んだ火柱はしばしの蹂躙の後、その出現時と同様に忽然と消え去った。直径百メートルほどの更地を残して……。
溶けた大地から蒸発する水分が靄となり、余熱を孕んだ空気が陽炎となって周辺の景観を歪ませる中、白くま君は威風堂々と歩いて行く。
「最初からこうすれば良かったんだ」
環境保全なんて心と懐に余裕のある者がすればいい。
誰も居ない見てない無人島で、現代日本のマナーや常識が何の役に立つというのか。明日がどうなるかも知れぬボッチの一郎にとって、安全に過ごす、は何よりも優先してしかるべきなのだ。
いや、もちろん自己正当化を図るための後付け理由だ。
本音を言えば、面倒になった。
更地の端に到着すると、再びブレイズサークルを発動させた。
「はっはは、こんなジャングルなんて燃えてしまえ」
誰も見ていないのをいい事に、ちょっと悪役なポーズを決めたりもした。
そんな事を幾度か繰り返し……。
一郎はマップ上の不審な物体のある場所に辿り着く。