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「はなせっ、はなせってぇの!!」


 21対の節足による押さえ込みは完璧で、全力で抗っても上体を捻ることすらできない。蹴り飛ばそうにも白くま君の短足はそれはもう見事に役立たずであり、着ぐるみの内側でいたずらに両足をバタつかせるのみで何の効果もない。


 アバターアイテムは破壊不可属性なので毛皮の腕が食い千切られる心配はなかった。が、その中身は脆弱なほ乳類ヒト科の肉体である。大顎の挟力によって腕の筋肉は押し潰され、骨が今にも折れそうな悲鳴を上げていた。


 ゲームでは体感しえないリアルな激痛に、フェイスガードの下の一郎の顔は涙と鼻水でグシャグシャだ。視界が滲んでムカデの頭部がぼやけていたのは幸いだ。機械のごとくただ愚直に噛みついてくる姿を直視したなら、根性とは無縁の一郎の心は濡れたトイレットペーパー並にたやすく溶け崩れ、ついでに括約筋も盛大に決壊したに違いない。


「いたい、痛いってぇの、はなせェ!!」


 唯一の武器クレヨンウィちゃん(火)の先端でゴスゴス殴りつけるが、左腕を拘束されているため力がのらず、焼け石に水状態だ。むしろ、叩いた拍子に落とさぬようにと余計な気を遣う。

 そうしているうちにも、ムカデは節足だけでなくその胴体を深く絡めて、ジタバタもがく白くま君の動きを封じに掛かってきた。


「チュートリアルでコレはないだろ!?」


 肩や腕の毛皮に突き立てられる褐色の脚を、右肘で払おうとしたがビクともしない。カツカツと、ポリカーボネートのフェイスマスクを尖った脚先が不気味に何度も叩く。


「やめ、止めっ! タイム、リセットぉ~!」


 もう駄目、死ぬ~、と転生(?)してから三日目にして一郎は人生を投げかけた。

 軟弱な都会人に大密林サバイバルは難易度が高過ぎたのだ。

 キノコシチュー食べたかったなぁ、なんて埒もないことを考えた時、ふと一郎は思った。


“オレ、なんでムカデ相手に肉弾戦をしてるんだ?”


 彼は火力特化型ウィザードである。筋力は魔法武具が装備できるだけのギリギリしかない、不意討ち上等・見敵必殺・近づかれる前に殺れ、を信条とする移動砲台だ。


「アホだろ、オレ~!」


 痛みで集中心を欠いたが、その分、杖に注ぐ魔力が過剰にならずに済んだ。

 クレヨンウィちゃん(火)の円錐形の先端部が微かに発光する。


 この理不尽なチュートリアルを吹き飛ばせと、

「ファイアーボール!」

 喉奥から発動のキーワードを迸らせた。


 直後、赤い火球がムカデの頭部で炸裂した。

 超至近弾だ。


「うわっ!?」


 ほとんど自爆である。が、効果は絶大だった。


 高温の炎が一瞬にして広がり、ムカデの全身を舐め尽くす。石灰質にも似た硬い体表面の耐熱性は見た目よりも随分と低かったらしい。絶叫を連想させる大顎の動きの後、絡みつかせていた脚を離して長い胴体をのけぞらせる。白くま君の上から地面へと転がり落ち、腹部を内側に、全身が螺旋状に丸まった。


 一郎はムカデから解放されると、急いで横に転がり、その反動で立ち上がる。

 涙を湛えた目をしばたかせて視界をクリアにする。炎に包まれたムカデを注視し、いつでも追撃できるよう、クレヨンウィちゃん(火)を体の前で構えて待つ。


 ムカデは丸まったまま動かない。

 よく燃えていた。


 防毒マスクを着用しているせいで一郎は気づいていないが、辺りには鼻が曲がるほどの異臭が立ちこめていた。火属性魔法の高熱は容赦なくムカデの外殻を焼き、内部の体組織から水分を奪い去る。

 数秒、それとも数十秒か、一郎にとって途轍もなく長い時間が経過し、あとに残ったのは、黒く炭化した丸まった何か、だった。


「はぁ~」


 安堵の吐息が自然と口をついて出た。体中から力が抜け、あれっと思った時には視界がストンと下がり、両膝が地面に落ちていた。立てたクレヨンウィちゃん(火)に寄り掛かり、脱力した上体を支える。勝ち鬨を上げる気力もない。


 乾いた涙の跡に痒みを覚えるが、フェイスガードを外して拭うのは当分先になるだろう。

 噛まれた左腕がジンジンと耐えがたい鈍痛を伝えてくる。白くま君の真っ白な毛皮に汚れや傷は一つもなく艶やかに輝いていたが、その内側の自前の腕は酷い内出血で腫れ上がっているはずだ。

 回復ポーションを使用すればいいと頭では理解していたが、そのためには白くま君を脱ぐ必要がある。聖属性下級魔法のライトヒールでも同様だ。細いポーションの瓶や聖属性杖を保持するには、白くま君の肉球は大雑把過ぎた。


 手際よく着替えて行使すれば三十秒と掛からないだろう。しかし、臆病な一郎にとってその三十秒はあまりにも長かった。危険に満ち溢れた密林のただ中で無防備に生身を晒す蛮勇は欠片も持ち合わせていなかった。


 折れていなければ大丈夫と、妙なところで我慢強さを見せながら、一郎はヨロヨロと立ち上がった。


 ムカデの焼死体に目を向ける。ゲームと違って活動停止後何秒で消失、という訳ではないらしい。放置しておけば、やがて朽ちて地に還るか、他の生き物の腹に収まるかするのだろう。

 念のためにインベントリの中を確認してみたが、当然のことながらドロップ品の獲得もない。面倒でも部位の剥ぎ取りは自力で行う以外になさそうだ。もっとも人の生活圏に辿り着けて、且つ Earthgald Online の金貨が換金できなかった場合に初めて考慮すればよい事である。


「ほんとに死んでるよな?」


 白くま君の爪先で軽く蹴ってみる。

 ガリッと外殻が削れ、弾みで炭化した歩脚の一本がポロリと落ちる。


「南無~」


 弱肉強食の恐ろしさをその身をもって伝授してくれたムカデに対し、一郎は幾ばくかの感謝を込めてひと拝みした。




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